すなのはる



「──…昼間の件だが、」

 夜半。
 おんなは、ぼつりとつぶやく。

「──…受けようと思う。」

 おとこはそのを瞬いた。

「ひるまの、」
「そう。おまえが、…くれたはなしだ」
「おれが?」
「そうだ」

 おんなは、幾分かむっつりとして──かれの顔ばせを見やる。
──…ぶあいそうな顔だが、ペルにはわかる。……これは、照れ隠しだ。

(──…しまったな、)

 真剣なはなし・・・のようだ。
 ペルは、ぱりとその白い頬を掻いた。青紫せいしのすじを、つうと一滴汗がつたう。

──…昼間の件。
 こころあたりが、

(こころあたりがない……)

「………」
「………」

 気まずい沈黙が、ふたりのあいまに小川を作った。

──…なんの話だったっけか。
 そう問い直せる雰囲気でもなく、ペルはますます答えに窮する。
 どうにも、はなしの流れを読むに──…このおんなは、たいそう真剣な……なにか、なにかのはなしを、しようとしているふうに見えた。

(そんな、そんなだいじな話を──…しただろうか。ひるま。)

──…覚えていなかった。

「──…受けるぞ。」
「受けてくれるか」

 ひとまず、ペルは、適当に相槌をうつ。
──完全に悪手である。

「……そうだ。もう決めた。」
 真剣な顔で、おんなが頷く。

「──ペルよ。
 おまえも、こたえを聞かせろ。」

 まずいことになってきた。







「──…ペルよ。
 おまえというおとこには、ほとほと愛想が尽きた。」

 おんなの、しずかな声。

「すまん……」

 ペルはひたすら平謝り。

「まさか──…まさか、なんのことかも解っていなかったとは……」

 おんなの声がくおんと響く。……湯煙のなかで。

「すまん……」

 おとこの声は、なさけなくしおたれる……。





 湯船のなかで──…大柄な男女がふたり、裸体をさらりと接している。
 巨大な傷を胸部に有する、白皙はくせきのおとこ──…。
 両脚の膝から下と、片側の肺臓を欠く、隻眼のおんな──…。

 傷痍兵しょういへいのふたりぐみ。かれらは、湯治の真っ只中。

──さて。過ぎたる夜の答え合わせがこれだった。

──…ふたりきりの小旅行。

「まさか忘れられるとは」
「すまん……」
「ペル。おまえから振ってきた話だぞ」
「あのひは、いそがしくて……つい……」
「まさかまさか、当日の朝まで知らんふりで忘れているとは」
「ほんとうにすまん……」

 よほど楽しみにしていたのだろう。普段は、のらりくらりと気ままな猫のようなおんなが──…珍しく、ねちねちと怒っている。
 いつもとまるで立場が逆だとペルは思う。

「ヘレウ」
「なんだ」
「そんなにたのしみだったか、」
「そりゃあ、そうだ」
「すまなかったな……」
「まったくだ」



 言い争いはしつつ、
──…それでも、ふたりは、なかよく湯に浸かる。

 銀の砂を撒いたような、紺碧の夜が更けてゆく──…。


    『煙る夜』



◆ ◆ ◆






──…春が来る。
 あの、あるかなしかの──…かそけき季節が。



 何処ぞから放牧された駱駝らくだの群れが、砂漠にぽつりと点在する水たまりに口をつける。

──…雨季のはじまりを告げるあめ・・が、昨夜、訪れた。
 砂漠はいちめん、まだら模様にみなもを湛える。
 数時間もすれば──砂の下に染み込んでしまう、ちいさな──…水たまりのような。みずうみたち。

「──…よい季節だ。」
「──そうだな。」

 ぎんいろに空を映す水たまり。それらの群れは、みな一様に、そらをゆく巨きなとり・・を映していた──…。
 巨鳥の背中せなには、大柄なおんながひとり──…。

「ヘレウ」
「なんだ」
「さむくはないか」
「──…ぬくいぞ、ペルよ。おまえの背中は」
「そうか……」

 ならばよしとひと声鳴いて、とりは、そらをゆく。
 おんなは、よぞらのようなその髪筋をなびかせて──…とりの首に頬を寄せた。やわらかく……。





「ペル。──あれ・・は、あったか」
「あった、あった、」
「おお。なかなか大物だな」
「まだちらほらと生えている」
「しおれる前に採っておこう」

 大柄なこいびとたち。かれらの手には──…しろく、きみょうなかたちの、きのこがあった。
──テールファス。雨季にしかお目にかかれない、珍味であった。

「帰ったら──…どうやって食おうかな」
「ペル、あれがいい、ペル。卵でとろりと包んで、よいかおりの草を散らすやつ。おまえがよく作るやつ」
「ああ──…そうするか」
「そうしろ、そうしろ、」

 おんなは、うれしそうに砂地に生える茸を摘み取る。ふんふんと匂いを嗅いで、きみょうなかおをする。……おおきな猫のようだ。
──そのひとは、かれが飼い込むきれいな牝獅子……。


「たくさん採れたら、チャカの家にも少しやるかな」
「ペル。ぜんぶわたしが食べてもいいぞ」
「──…いじきたないやつめ……」

 よもやま、語らい、戯れながら──…ふたりは、あゆぶ。
 春のはじめ。水たまりの砂漠を──…。



    『砂の春』




◆ ◆ ◆






──他愛のない夢を見た。

 砂の上に線を引く。……おさない手。線をぴょんと飛び越える──ほそい脚は、よっつ。ペルと、ふたりで跳んだ。線の向こうへ、こちらへ、むこうへ──…。

──…在りし日、幼馴染としたあそび。

──…いまさっきも、跳んでいた。睡りのなかで……。

「ペル、」
「……うん?」

 ねむけに薄まり、傍らでおとこの声。ひくい声は、ふわふわと夢うつつを彷徨っている。
 接した裸体の汗は、とうに引き──…素肌はたがいにさらりと接する。……ぬくくて、ここちよかった。

「……ゆめをみた」
「……どんな」
「線を、とんで、あそぶゆめ」
「ああ……」
「なつかしいだろ……」
「……うん。なつかしい……」

 お互い、ねぼけていて、会話はどこか子どものような──…。



 むかいあって、ぴょんと跳ぶ。あいての陣地のとおくまで、よりとおくまで──着地できたほうが『勝ち』。他愛もない子どもの遊び。

 こどものころ。なんの疑いもなく飛び越えられた線は──…次第に、そうではなくなった。



 むかいあって、ぴょんと跳ぶ。あいての陣地のとおくまで、よりとおくまで──…。

──…もう、そんなあそびをしなくなった、ある夜に。
……ペルは、線を飛び越えて──…こちら・・・へ、やってきた。



──…あの痛み。



 いちど、受け容れると許容すれば。もう、かれは、決して退いてはくれなかった。
──…やめろ。
 触れるな──…と。

 そう、何度拒んでも──…。



「……怨んでいるか、」
「いいや。……わたしが、望んだことだ」
「──…それでも……」
「ペル。──…後悔しているか、」
「……している。」
「なぜ」
「…………、」
「──……気にするな。……お互い様だ」



 ふたりは、もう、線を飛び越えてしまった。
 後戻りができないくらい。相手の、奥深くに、たどり着いてしまった──…。

──…離れようとすれば──癒着した傷口を、むりに開くように──痛むだろう。


「──どこへ、ゆきつくかな」
「さて。跳んでみないとわかるまい……」



      『畸形きけい




◆ ◆ ◆






──…持て余している。
……春情を。

(──…めんどうくさい、)

 独りで処理してしまえばよいのだろうが──…せわしなく、それもままならない。

(──…ペル、)

 肉体が、じくりと熱をもつ。
 ここのところ、職務が嵩み、ろくに逢瀬もままならなかった。

(──さいごに会ったのは、いつだったか……)

 面影が、脳裏に匂い立つ。同衾した時ふうわり香る、あのおとこが衣に焚いた乳香のそれを幻視した……。

──…会いたい。
 無性にそう想う。

──こいしいのだろうか。
 あのおとこのぬくもりが……。

(──…ペル、)





──…こつりと。窓の玻璃はりが鳴った。

 はっとして振り返る。窓辺の布を取り払えば──…闇に沈んだ庭先に、白皙はくせきかお

「ペル……」
「──…すまない。こんな時間に……」

 慌てて窓をひらく。──ひいやりと、夜気が頬を撫でた。

 おとこは、するりと部屋に入り込む……。





──…そのまま。
 たがいに、無言で──…からだを寄せ合った。
……抱擁は、おおきな心音を伴った。
 あいてのそれなのか。おのれの、それ・・なのか……。

「──…すまない。」
「──…かまわん。」
「すまない──…」
「──…ペル。
 わたしも、ほしかった。」


──…それから先のことは、あまり憶えていない。





 歯型のついた肉体で、けだるく寝返りを打つ。
──…目前には、白皙はくせき。睡るおとこのかんばせは──おだやかだ。

「……けものめ。」

 ぼつりと、わるぐちをいう。……本心ではない。
 あおく色素の刷り込まれた、青紫せいしのくちびる。寝息を阻むように──…くちづけた。

「ん……」

 おとこが、ふわふわと、黒檀の目をひらく。青紫せいしの隈取り……。

「──…起こしたか。」
「んん……」
「すまんな」
「ん……」

 おとこの、乱れた頭髪を──…やわらかく撫でつける。ペルは、ここちよさげに目を閉じた。
……ことりの雛のように、あまえて頭を擦り付ける。

「すまなかった……」

 ねぼけながら、また、ペルが謝る。
 硬く、ざらりとしたゆびが、鎖骨についた歯型をなぞる……。

「まあ、いいよ」
「つい、かんでしまう……」
動物ゾオン系の弊害だな。けものめ……」
「すまん……」
「──…かまわない。さそったのは、こっちだ……」

 そう言うと、ペルはその白い頬をわずかに染めた。
 女の子みたいに……。
 呆れて見やれば、なおいっそう赤くなる。他愛のないおとこだ。

──…こちらから誘うことは、稀だった。
 だからだろうか……。

「──…ペル。
 また、逢おう」
「うん……」

 ぼつりと、ひくく。おとこの、しろい耳に囁けば──…そこもまた、紅く色づいた。



       『べにいろ』




◆ ◆ ◆






──…午后のひととき。
 青磁のうつわには、カルダモン珈琲。
 よいかおりのそれを啜り、ふたりは、あまったるい菓子を口に含む。さりさりと音を立て──糖蜜に浸された焼き菓子が、舌の上にとろける。

「も少し甘いほうがよい」

 ペルは、砂糖壺から銀の匙で砂糖を掬う。ひとすくい。ふたすくい。みすくい……。──涼しい顔だ。のみものに、さらさら入れる。
 同伴するおんなのほうも、似たようなものだ。砂糖の量は、ペルよりも、ひとすくいぶん少ない。
──…灼熱のこの国では、さして珍しくもない味の嗜好であった。

「うまいか」
「うまい、」

 あまい茶に、あまい菓子を摘みつつ──…ふたりは、のんびりと長椅子に掛けている。久方ぶりの休日だった。

「──ペルよ、」
「うん?」

 おんながぼつりとかれを呼ぶ。ペルは、首を傾げた。
 おおきな図体で、そのしぐさだけはことり・・・のような──…。

「なんでもない」

 くすりと笑んで、おんなが首を振る。
 ペルは、けげんな顔をした。


◆ ◆ ◆


「──噛むな」
「すまん」
「……こら、」
「すまん……」

 こいびとと、裸体を接しあいながら──…ペルは何度も叱られる。
 そのたびに、しゅんとした様子を見せるが──…やはり、噛む。
 あまえたとりが、くちばしでもって指を甘噛みするように……。

「ペル、」
「すまん……つい、」

──…腰骨のあたりを、がりりとやられた。

「このとり・・め」
「すまない……」



     『とり』
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