昏迷




──…濁ってゆく。
 かつては、あれほど。清く、まぶしく耀いていたものさえも──…。





「ヘレウ、」

 おんなの名を、かれは呼ぶ。

「ん──…」

 あいてのゆびは、敷布の上で──…けだるそうに、かれの頭を撫ぜてゆく。

(もっと──…)

 ペルは、かさねて接吻を強請ねだった。おんなはやっぱり怠そうに、かれの望みに応えてくれる──…。

「──…またか。」

 もっと、もっとと──…のぞみはじめると、きりがない。
 汗を浮かせたおんなの裸体に、ペルは再びのしかかる──…。
 またかとつぶやく女の声は、どこか、ねむたく──それでも、ふしぎにやさしい──…。

「──…すまない、」
「……まあ──…良い。」

 濁ってゆく──…。
 かつて、あれほど清く、耀かがやかしかったものも──すべて。

「──…あ、」

 おとこは、ここちよく呻いた。

「…………っ、」

 苦痛か、快楽けらくか──…判然としないものに、おんなは荒く吐息する。
 なにひとつ、声も上げずに──…。





 やわらかな草の上で──…おさない日々。ふたり、遊んだ──…。
 もつれあい、くすくすと笑いあい──…上になり、下になり。くすぐりあった。手と手は、きよらかに触れあって──繋ぎあう。

「ペル、」

 いまよりずっと高かった、少女の声。

「なあに」

 それに応えるおのれの声も、変声を迎える前のいとけなさ──…。





──…どうして。

 かように、

──…濁ってしまったのだろう。





「ああ、おまえ──…」

 ひくい声。
 ペルは、幾度も、幾度も、おんなの口に吸いついた。あいての息を塞ぐが如く──…。執拗に。粘性に……。

「──…すまない、
 ……すまない……」

 おらぶように赦しを乞うて。けもののように──…そのひとにむしゃぶりついた。
 終わりの視えないさくの夜──…。

「ペル──…」

 苦痛に掠れたおんなの声は、それでも、清い。


(──…どうしてだろう。)

(なぜ、おれは──…)


 かように濁ってしまったのだ。


──…昏迷こんめいのなかで、かれは、ふたたび呻いた。

 そうして。

──のがれることのできない、大きないのちの欲望に──…ゆっくりと、呑まれていった。



昏迷こんめい




fin.











──接吻は、にがく。酸く──…あまかった。



 檸檬を砂糖に漬けたのを──…おんなは、さりさりと食む。

い」

 文句をいうなら、食わなければよいのに──。指をひたひた糖蜜に濡らして──…もうひときれ。
──…さりさりと食む。

「──…酸いぞ、これ」
「……そりゃあ、そうだろうよ」

 ペルはあきれて返事する。
 おんなに倣って、かれもさりさり食んでみた。

(……成る程、)

 と、かれは自然にその目をすがめた。口の中に唾液が湧く。

「──酸いな」
「言っただろ」
「うむ……」

 ふたりは、酸い酸いと言いながら、砂糖漬けの檸檬を食む。もうひときれ。またひときれ……。さりさりとたべる。





──接吻は、にがく。酸く──…
──…あまかった。





 おんなのゆびを、ペルは、ちゅうと吸う。
──…目をすがめて、微笑わらう。

「──酸いな」
「……そりゃあ、そうだ」





 粘性な接吻を交わして、ふたりは寝所でもつれあう。
 大柄なおんなのからだを、けれど容易く組み敷いて──…ふと、ペルは、『罪』ということばを想った。

「──…どうした」
「──いいや。……おまえが、かわいくてな」
「気色わるい」

 かれは、ふふと微笑わらって、またおんなの口を吸う。

 かつての葛藤を──…ペルは、思い出す。
──…ほしくてほしくてたまらなかったひとの肉──…。
 いまは、その、ほとんどすべてを──…

(──…手に入れた。)

 この地の民のあいだでは、
 婚前交渉など──…褒められたものではない。

──…知ったことかと。
 また湧き出る葛藤をも、衣と共に脱ぎ捨てて──…ペルは、素裸となった。

「──…ん、」

 幾度も、幾度も──…いとしいひとのくちびるに、吸いついた……。

 それは、あまく。
 苦く。
 酸く──…

──…『罪』と似通うあじがした。




『檸檬』




fin.











内乱後




「どうするんだ、これ」
「どうしたものかなあ……」


──…月の沙漠さばく只中ただなかで。


──遭難した。





 鳥男の背中せなに乗り、遠出したところ──…季節外れの砂嵐に巻き込まれた。
 あれよあれよという間に上空へ巻き上げられ──…なんとか危うく着地はしたものの。

「どこだここ」
「……さあ」
「荷物は」
「……失くした」

 以上。追憶おわり。





 持ち物の確認を、ふたりでした。


──肌身離さず持っていた水袋

「……ある。」


──食料入れ。

「……ない。」


──火打ち石。

「あるな」


──ほろ。(野営用)

「ない。外套で代用するか」


──酒。

「なくていいだろうが」
「ペルよ。わたしには必要なんだ」
「ろくでなし……」


──義足。

「ちゃんとついている」
 女が、おのれの脚をこんこん叩く。

「よかったな……」
 ペルは安堵の吐息を漏らす。


──チョコレイト。

「どこにあるんだ」
「──ここだ!」

 義足の脛のあたりを、おんなは、得意げにぱかりと開く。
 中からころりと出てきたのは──…砂漠の昼にどろどろに溶解し、夜のさむさに最凝固した、いびつなかたちの糖菓──…。

「──…」
「…………ペル。」
「…………なんだ」
「やる。」
「いらん」
「もらっておけ」
「いらん」

 むざんなチョコレイトといっしょに、ころりと転がる紙の包み。

「なんだこれ」
「火薬」
「物騒なものを脚にいれるな……」
「こっちはガンパウダー(※お茶の一種)」
「ややこしいものを一緒にいれるな……」





 枯れ木が、昼の暑さにじわじわ炭化したやつを──どうにか見つけて掘り起こす。うんとこしょ、どっこいしょ。

 それを焚きつけにして、火打ち石で火を起こす。
 義足の中の収納(?)に入っていた茶器で、湯を沸かす。

 沸かしている間に、外套をほろとして枯れ木と組んだ。──…簡易的な天幕をつくる。

「冷えるな」
「そりゃあな……」

 零下に凍てる砂漠の夜。星を見ればおおまかな方角はわかるが──…気温が、も少し上がるまでは動かない方がよい。
 この場所で野営することにした。

「お、沸いたか」

 湯が沸いたので、ガンパウダー(お茶)で飲み物を淹れる。なお、ガンパウダー(火薬)はペルが没収し、火から遠ざけてある。

「………硬い。」

 ペルが、渋い顔で最凝固したチョコレイトを齧る。
──ごりっ、とも、ぼきっ、ともつかない、食品にあるまじき音がその顎から聞こえてくる。
──…頑丈な顎だ。

「………おまえも、食え。」

 親切なことに、陶板と紛う硬さのものを、きれいに二つ折りにし──ペルは、女に渡す。
──…相変わらず、繊細さを兼ね備えた鹿だ。

「いらん」
「食え」
「いらん」
「──…あんな場所にいれた、おまえが悪いんだぞ」
「ぐう……」

 ふたりして、ごりごりと劣化した糖菓をたべて──…そのよるは、天幕でくっついて寝た。



『糖菓』




fin.



 翌朝めちゃめちゃおうちに生還した。
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