昏迷
──…濁ってゆく。
かつては、あれほど。清く、まぶしく耀いていたものさえも──…。
◆
「ヘレウ、」
おんなの名を、かれは呼ぶ。
「ん──…」
あいてのゆびは、敷布の上で──…けだるそうに、かれの頭を撫ぜてゆく。
(もっと──…)
ペルは、かさねて接吻を
「──…またか。」
もっと、もっとと──…のぞみはじめると、きりがない。
汗を浮かせたおんなの裸体に、ペルは再びのしかかる──…。
またかとつぶやく女の声は、どこか、ねむたく──それでも、ふしぎにやさしい──…。
「──…すまない、」
「……まあ──…良い。」
濁ってゆく──…。
かつて、あれほど清く、
「──…あ、」
おとこは、ここちよく呻いた。
「…………っ、」
苦痛か、
なにひとつ、声も上げずに──…。
◆
やわらかな草の上で──…おさない日々。ふたり、遊んだ──…。
もつれあい、くすくすと笑いあい──…上になり、下になり。くすぐりあった。手と手は、きよらかに触れあって──繋ぎあう。
「ペル、」
いまよりずっと高かった、少女の声。
「なあに」
それに応えるおのれの声も、変声を迎える前のいとけなさ──…。
◆
──…どうして。
かように、
──…濁ってしまったのだろう。
◆
「ああ、おまえ──…」
ひくい声。
ペルは、幾度も、幾度も、おんなの口に吸いついた。あいての息を塞ぐが如く──…。執拗に。粘性に……。
「──…すまない、
……すまない……」
終わりの視えない
「ペル──…」
苦痛に掠れたおんなの声は、それでも、清い。
(──…どうしてだろう。)
(なぜ、おれは──…)
かように濁ってしまったのだ。
──…
そうして。
──のがれることのできない、大きないのちの欲望に──…ゆっくりと、呑まれていった。
『
fin.
◆
◆
──接吻は、にがく。酸く──…あまかった。
◆
檸檬を砂糖に漬けたのを──…おんなは、さりさりと食む。
「
文句をいうなら、食わなければよいのに──。指をひたひた糖蜜に濡らして──…もうひときれ。
──…さりさりと食む。
「──…酸いぞ、これ」
「……そりゃあ、そうだろうよ」
ペルはあきれて返事する。
おんなに倣って、かれもさりさり食んでみた。
(……成る程、)
と、かれは自然にその目を
「──酸いな」
「言っただろ」
「うむ……」
ふたりは、酸い酸いと言いながら、砂糖漬けの檸檬を食む。もうひときれ。またひときれ……。さりさりとたべる。
◆
──接吻は、にがく。酸く──…
──…あまかった。
◆
おんなのゆびを、ペルは、ちゅうと吸う。
──…目を
「──酸いな」
「……そりゃあ、そうだ」
◆
粘性な接吻を交わして、ふたりは寝所でもつれあう。
大柄なおんなのからだを、けれど容易く組み敷いて──…ふと、ペルは、『罪』ということばを想った。
「──…どうした」
「──いいや。……おまえが、かわいくてな」
「気色わるい」
かれは、ふふと
かつての葛藤を──…ペルは、思い出す。
──…ほしくてほしくてたまらなかった
いまは、その、ほとんどすべてを──…
(──…手に入れた。)
この地の民のあいだでは、
婚前交渉など──…褒められたものではない。
──…知ったことかと。
また湧き出る葛藤をも、衣と共に脱ぎ捨てて──…ペルは、素裸となった。
「──…ん、」
幾度も、幾度も──…いとしい
それは、あまく。
苦く。
酸く──…
──…『罪』と似通うあじがした。
『檸檬』
fin.
◆
◆
内乱後
◆
「どうするんだ、これ」
「どうしたものかなあ……」
──…月の
──遭難した。
◆
鳥男の
あれよあれよという間に上空へ巻き上げられ──…なんとか危うく着地はしたものの。
「どこだここ」
「……さあ」
「荷物は」
「……失くした」
以上。追憶おわり。
◆
持ち物の確認を、ふたりでした。
──肌身離さず持っていた水袋
「……ある。」
──食料入れ。
「……ない。」
──火打ち石。
「あるな」
──
「ない。外套で代用するか」
──酒。
「なくていいだろうが」
「ペルよ。わたしには必要なんだ」
「ろくでなし……」
──義足。
「ちゃんとついている」
女が、おのれの脚をこんこん叩く。
「よかったな……」
ペルは安堵の吐息を漏らす。
──チョコレイト。
「どこにあるんだ」
「──ここだ!」
義足の脛のあたりを、おんなは、得意げにぱかりと開く。
中からころりと出てきたのは──…砂漠の昼にどろどろに溶解し、夜のさむさに最凝固した、いびつなかたちの糖菓──…。
「──…」
「…………ペル。」
「…………なんだ」
「やる。」
「いらん」
「もらっておけ」
「いらん」
むざんなチョコレイトといっしょに、ころりと転がる紙の包み。
「なんだこれ」
「火薬」
「物騒なものを脚にいれるな……」
「こっちはガンパウダー(※お茶の一種)」
「ややこしいものを一緒にいれるな……」
◆
枯れ木が、昼の暑さにじわじわ炭化したやつを──どうにか見つけて掘り起こす。うんとこしょ、どっこいしょ。
それを焚きつけにして、火打ち石で火を起こす。
義足の中の収納(?)に入っていた茶器で、湯を沸かす。
沸かしている間に、外套を
「冷えるな」
「そりゃあな……」
零下に凍てる砂漠の夜。星を見ればおおまかな方角はわかるが──…気温が、も少し上がるまでは動かない方がよい。
この場所で野営することにした。
「お、沸いたか」
湯が沸いたので、ガンパウダー(お茶)で飲み物を淹れる。なお、ガンパウダー(火薬)はペルが没収し、火から遠ざけてある。
「………硬い。」
ペルが、渋い顔で最凝固したチョコレイトを齧る。
──ごりっ、とも、ぼきっ、ともつかない、食品にあるまじき音がその顎から聞こえてくる。
──…頑丈な顎だ。
「………おまえも、食え。」
親切なことに、陶板と紛う硬さのものを、きれいに二つ折りにし──ペルは、女に渡す。
──…相変わらず、繊細さを兼ね備えた
「いらん」
「食え」
「いらん」
「──…あんな場所にいれた、おまえが悪いんだぞ」
「ぐう……」
ふたりして、ごりごりと劣化した糖菓をたべて──…そのよるは、天幕でくっついて寝た。
『糖菓』
fin.
翌朝めちゃめちゃおうちに生還した。