まあかの接吻



「──…。」

 おんなの指を、ツウと紅い水がゆく。
 武具を手入れしていたらしい。
 そのひとは、なにも言わずに切れた指を口に含んだ。
──…くちびるが、唾液と混ざった血液で、ほのかにあかく染まっていた。
 うすく化粧けわいをしたように……。



──接吻は、鉄のあじがした。

 ペルのほおに添うゆびには、血の滲んだ包帯が巻かれている。かなり深く切ってしまったらしい。

「ヘレウ、」

 くちが離れるたび、あいての名を、ペルは呼ぶ。──あまえるような。すがりつくような──…ひくい声。

「もういちど、」

 ささやく男を、おんなのくちは、受け容れる──。
 次の接吻は。もっと、もっと──…深く。
 おとこは、想うひとを夢中でむさぼる。

(もっと。もっと──…)

──すこし。……しつこく、吸いすぎた。

「──…あ、」

 虚を突かれた男のこえ。
 がり、と、そのあおいくちびるに、しろく鋭利なものが刺さる──…。
──…おんなの犬歯だ。

──思わぬ制裁を受けた。

 ごく浅く、青紫せいしのくちはぷつりと切れて──…。
──あおくられたひふからは、意外なほどに紅い血が、とろりと、一滴まろび出る……。

「いたい」
 咬まれた男が、ぽそりと文句を言えば、

「──…そろそろ、加減を、おぼえろ、」
 長すぎた接吻に、息を切らしたおんなが唸る。

 撫でられすぎて、嫌気がさした猫のよう──…。



 ふたりのくちびるを、銀色の糸がツウと繋ぐ──…いまだけは、ほのかな赤銅を帯びるそれ……。

 おんなの、かたい指の血を含んだ口内と。
 おとこの、青紫せいしの口からとろりと流れる血液と──…。

──…ふたつの『あか』はまじりあい。離れ──…糸をひき。
──…また、交じる。

──まあかの接吻。
 それは、深く。……あたたかく。ぬかるんで──…。
──…互いの血のあじがした。



『まあかの接吻』



fin.










 頭のなかで、もうひとりの自分が唸り声を上げる。
──…もっと。
 もっと、と──…。

 それをどうにか押さえ込み。ペルは、汗に濡れたこいびとのはだにそろりと敷布しきふを掛けてやる。

「いくじなし」

 荒い息を吐きながら、こいびとは、いじわるなことを言う。

「そう言うな。」
「もうおしまいか」
「──…無理をさせたくない。」
「そんなにやわな体じゃあない」
「──…だめだ」

 つまらない、とぶちぶち言っていた相手は──…しかし、少しすると寝息を立て始めた。
 やはり、相当虚勢を張っていたのだろう。

(──慣れないことを、強いている。)

 ペルは、すまなく思った。
 こいびとの頬をそろりと撫でる──…その頬の、冷えはじめてなお、指をくあつさ……。

──情事の、熾火おきび

 ペルは慌てて手を離す。おのれの中のもうひとりが、また、もっと──…と唸り始めたからだ。


(まったく──…)


 難儀なものだとかれは思う。


(おとこと、おんなというやつは──…)



熾火おきび



fin.









 おんなのはだに汗が耀かがよう。

──…昼ひなか。日課の鍛錬を終え──…そのひとは、あたまから井戸みずを被った。

「──ああ、心地よい」

 満足げに吐息して、もう一度、ばしゃりと被る。
 真水が、そらの蒼を映し──…ひかりながらそのはだを伝ってゆく。薄い木綿の衣服が水を吸い、常より膚に馴染み──貼りつく。それは、とうめいに透け──…本来は隠れるべき部位までが露わであった。

(──…目に毒だ。)

 巴旦杏はたんきょうの木陰、庭先の椅子に腰掛けて──…ペルはひとりで目を逸らす。

──のんびりと時が流れる、休日の午后ごごである。



「──…さっさと着替えないか」
「いやだ。ひいやりして心地がよい」
「……風邪をひくぞ」
「そんなにやわではない。うるさいぞ、ペル」
「いいから早く着替えてくれ……」



 水に濡れたおんなの口唇。巴旦杏の、こまやかなみどりかげで。ペルは、おんなのくちに、そろりと触れた──。

「──…とつぜん、なんだ」

 急な接吻を切り上げて、女が眉を顰める。
 かれはすこし俯いた。果樹の木蔭こかげに染まってなお──その頬は、微かに赤みを帯びている。
 くだものみたくに……。

「──…そんな格好で、外を彷徨うろつくな」
「──…そういうことか。」



 女は、ペルの分厚いからだを押し退け立ち上がる。その、濡れたはだから──真水が跳ねた。おとこの頬にひいやり当たり、水は、流れてゆく……。



(──…こちらまで、おかしな気分になってきた。)

 おんなはぼつりと、声に出さずにひとりごつ。
 その、濡れ通った背中せなに──…おとこが、白くふとい腕を絡めた──…。

「やめろ、昼日中ひるひなかから。」
「──…おまえこそ」
「うるさい……いま、着替えてくるから、」
「──…駄目か?」
「…………」

 あまえるように、おとこは、こいびとの名を呼んだ。その衣服が湿しとるも厭わず、濡れた女を腕に抱く──…。

「……どうしてもか。」

「……どうしても。」

「──…中で待て。」

 溜息の音。折れたおんなが吐いたそれ……。

──その湿った口唇に、
 ペルはまた、おのれのくちでぺとりと触れた……。

──…今度は。先ほどよりも、ずっと、深く……。




耀かがよい』




fin.











 男は、窓の外に佇んでいた。
──…音のない『うた』を、歌っていた。

──吐息の掠れる音だけで。


──…求婚のためのうただった。





──…そのひとは、声ひとつ上げはしなかった。
 おとこのそれに、応える『うた』を返すことも──…なかった。





 さいしょの夜。
──…窓から忍んできたかれを、かのじょは、なにも言わずに受け容れたのだった。





「ああ──…思ったとおりだ。」



「矢っ張り、おまえ──…」



「──…ああ……そうか……」



「……そうだったか、」



「──まだ、」



「しらなかったのか。」



「……そうか、」



「そうか──…」



「──ふ、ふ……」





──…そのひとは、声ひとつ上げはしなかった。

 男のからだがなした、ありとあらゆる『暴力』のかたちに近しい行為を──…無言で、耐えた。
 血痕が、花弁のように散らされた、敷布の上で──…。
──…ただ。そのおとこ──…ペルを、しずかなひとみで見つめていた。

 赦しを乞うが如き、おとこの青紫せいしのくちびるに──…応えもせず。拒みもせず。

 ただ、なすがままにされていた。



 その夜。

 そのようにして──…ペルは、少年の日から流れ続けた、涙の河に潜ったのだ。
 そのようにして──…想いを、遂げたのだった。
 年月と共に煮詰まり──濁った泡を発し──こどもの頃の、清らかなそれとは──まるで変質したそれを──…。


──…ついに、遂げた。


 それが、過ちであると──…
──…知りながら。





「──…そばに、いておくれ……」

「………」

ひだるいのだ。たまらないほど……」

「………」

「──…ゆるして、おくれ、」



朔月さくげつ



fin.











──…開け放たれた窓から、海風が吹き抜ける。

 かれは、あいてのはだに頬を擦る。すこしだけ潮のかおりがした。

「ん……」

 おんなは、睡たげに──…ペルのつむりを撫でてやる。
──…ぞんざいなようで、やさしい手つきだ。

──すると。かれは、いっそう甘えて、おんなのはだをあまく噛んだ。

「こら」
「……すまん」

 素裸の白膚ひふを、互いにりあわせている。
──…いまはもう、すべて終わってものうい頃だ。
──指先とはだと、くちとくちとは、時折けだるく触れ合うだけ……。

 汗ばんだ皮膚を、潮風がさらりと冷ます。
 そのここちよさに甘えて。──ペルはまた、おんなのはだに頬をすり寄せるのだった──…。



──幼少から足繁く通う、避暑地の夏だ。
 みじかい余暇──…。ペルは、かつての自家の別邸に、こいびとを迎えた。
 ふたりの部屋は、しずかなやしきの離れに在る。
──昔馴染みである、支配人の老婆は、なにも問わずにかれらに部屋をてがった──…。


「……ばれてるよな」

「そりゃあ……そうだろう。」

「そういうものか?」

「──…おまえを引き合わせたくて。そのつもりで連れて来たし……」

「そうなのか?」

「そうだが……」





──…びんのなかで。やどかりが、かさりと音を立てる。
 その音が聴こえるたびに──…ふたりは頬を寄せあって、そのまま、くすくす笑うのだった。

「こどものような拾い物」

「おまえがひろったやつだろう、」

「ペルよ。──おまえだって、むきになって集めてたくせに」

「む……」





 とおく、潮騒が聴こえる。
 その音を、子守唄みたく聴きながら──…ふたりは、睡りに落ちた。



潮騒しおさい



fin.



短編『火夏星』のおまけのようなもの。
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