まあかの接吻
「──…。」
おんなの指を、ツウと紅い水がゆく。
武具を手入れしていたらしい。
その
──…くちびるが、唾液と混ざった血液で、ほのかにあかく染まっていた。
うすく
◆
──接吻は、鉄のあじがした。
ペルの
「ヘレウ、」
くちが離れるたび、あいての名を、ペルは呼ぶ。──あまえるような。すがりつくような──…ひくい声。
「もういちど、」
ささやく男を、おんなのくちは、受け容れる──。
次の接吻は。もっと、もっと──…深く。
おとこは、想うひとを夢中でむさぼる。
(もっと。もっと──…)
──すこし。……しつこく、吸いすぎた。
「──…あ、」
虚を突かれた男のこえ。
がり、と、そのあおいくちびるに、しろく鋭利なものが刺さる──…。
──…おんなの犬歯だ。
──思わぬ制裁を受けた。
ごく浅く、
──あおく
「いたい」
咬まれた男が、ぽそりと文句を言えば、
「──…そろそろ、加減を、おぼえろ、」
長すぎた接吻に、息を切らしたおんなが唸る。
撫でられすぎて、嫌気がさした猫のよう──…。
◆
ふたりのくちびるを、銀色の糸がツウと繋ぐ──…いまだけは、ほのかな赤銅を帯びるそれ……。
おんなの、かたい指の血を含んだ口内と。
おとこの、
──…ふたつの『あか』はまじりあい。離れ──…糸をひき。
──…また、交じる。
──まあかの接吻。
それは、深く。……あたたかく。ぬかるんで──…。
──…互いの血のあじがした。
『まあかの接吻』
fin.
◆
頭のなかで、もうひとりの自分が唸り声を上げる。
──…もっと。
もっと、と──…。
それをどうにか押さえ込み。ペルは、汗に濡れたこいびとの
「いくじなし」
荒い息を吐きながら、こいびとは、いじわるなことを言う。
「そう言うな。」
「もうおしまいか」
「──…無理をさせたくない。」
「そんなにやわな体じゃあない」
「──…だめだ」
つまらない、とぶちぶち言っていた相手は──…しかし、少しすると寝息を立て始めた。
やはり、相当虚勢を張っていたのだろう。
(──慣れないことを、強いている。)
ペルは、すまなく思った。
こいびとの頬をそろりと撫でる──…その頬の、冷えはじめてなお、指を
──情事の、
ペルは慌てて手を離す。おのれの中のもうひとりが、また、もっと──…と唸り始めたからだ。
(まったく──…)
難儀なものだとかれは思う。
(おとこと、おんなというやつは──…)
『
fin.
◆
おんなの
──…昼ひなか。日課の鍛錬を終え──…その
「──ああ、心地よい」
満足げに吐息して、もう一度、ばしゃりと被る。
真水が、そらの蒼を映し──…ひかりながらその
(──…目に毒だ。)
──のんびりと時が流れる、休日の
◆
「──…さっさと着替えないか」
「いやだ。ひいやりして心地がよい」
「……風邪をひくぞ」
「そんなにやわではない。うるさいぞ、ペル」
「いいから早く着替えてくれ……」
◆
水に濡れたおんなの口唇。巴旦杏の、
「──…とつぜん、なんだ」
急な接吻を切り上げて、女が眉を顰める。
かれはすこし俯いた。果樹の
くだものみたくに……。
「──…そんな格好で、外を
「──…そういうことか。」
◆
女は、ペルの分厚いからだを押し
◆
(──…こちらまで、おかしな気分になってきた。)
おんなはぼつりと、声に出さずにひとりごつ。
その、濡れ通った
「やめろ、
「──…おまえこそ」
「うるさい……いま、着替えてくるから、」
「──…駄目か?」
「…………」
あまえるように、おとこは、こいびとの名を呼んだ。その衣服が
「……どうしてもか。」
「……どうしても。」
「──…中で待て。」
溜息の音。折れたおんなが吐いたそれ……。
──その湿った口唇に、
ペルはまた、おのれのくちでぺとりと触れた……。
──…今度は。先ほどよりも、ずっと、深く……。
『
fin.
◆
男は、窓の外に佇んでいた。
──…音のない『うた』を、歌っていた。
──吐息の掠れる音だけで。
──…求婚のためのうただった。
◆
──…その
おとこのそれに、応える『うた』を返すことも──…なかった。
◆
さいしょの夜。
──…窓から忍んできたかれを、かの
◆
「ああ──…思ったとおりだ。」
◆
「矢っ張り、おまえ──…」
◆
「──…ああ……そうか……」
◆
「……そうだったか、」
◆
「──まだ、」
◆
「しらなかったのか。」
◆
「……そうか、」
◆
「そうか──…」
◆
「──ふ、ふ……」
◆
──…その
男のからだがなした、ありとあらゆる『暴力』のかたちに近しい行為を──…無言で、耐えた。
血痕が、花弁のように散らされた、敷布の上で──…。
──…ただ。そのおとこ──…ペルを、しずかな
赦しを乞うが如き、おとこの
ただ、なすがままにされていた。
◆
その夜。
そのようにして──…ペルは、少年の日から流れ続けた、涙の河に潜ったのだ。
そのようにして──…想いを、遂げたのだった。
年月と共に煮詰まり──濁った泡を発し──こどもの頃の、清らかなそれとは──まるで変質したそれを──…。
──…ついに、遂げた。
それが、過ちであると──…
──…知りながら。
◆
「──…そばに、いておくれ……」
「………」
「
「………」
「──…ゆるして、おくれ、」
fin.
◆
──…開け放たれた窓から、海風が吹き抜ける。
かれは、あいての
「ん……」
おんなは、睡たげに──…ペルのつむりを撫でてやる。
──…ぞんざいなようで、やさしい手つきだ。
──すると。かれは、いっそう甘えて、おんなの
「こら」
「……すまん」
素裸の
──…いまはもう、すべて終わってものうい頃だ。
──指先と
汗ばんだ皮膚を、潮風がさらりと冷ます。
そのここちよさに甘えて。──ペルはまた、おんなの
◆
──幼少から足繁く通う、避暑地の夏だ。
みじかい余暇──…。ペルは、かつての自家の別邸に、こいびとを迎えた。
ふたりの部屋は、しずかな
──昔馴染みである、支配人の老婆は、なにも問わずにかれらに部屋を
「……ばれてるよな」
「そりゃあ……そうだろう。」
「そういうものか?」
「──…おまえを引き合わせたくて。そのつもりで連れて来たし……」
「そうなのか?」
「そうだが……」
◆
──…
その音が聴こえるたびに──…ふたりは頬を寄せあって、そのまま、くすくす笑うのだった。
「こどものような拾い物」
「おまえがひろったやつだろう、」
「ペルよ。──おまえだって、むきになって集めてたくせに」
「む……」
◆
とおく、潮騒が聴こえる。
その音を、子守唄みたく聴きながら──…ふたりは、睡りに落ちた。
『
fin.
短編『火夏星』のおまけのようなもの。