蛹化

 声に色があるならば。それはきっと深淵な孔雀石マラカイトの色でしょう。
 色ににおいがあるならば。多分それは木の、かたく尖った針葉よりも厳かなものでしょう。
──もし。
 においに味があるならば──…。
 それは、どんなにか、こころよいものでしょうか。
 あなたの喉から出る音は、にも耳にもここちよい。
 きっと舌にもうれしい筈です。

──あぁ。そのを……。
──おしえて下さったら、いいのに。
──…チャカさま、

「──…腹がすいているのだろう」
 胼胝たこの多い、赤銅色のゆび。ざらりとした厚皮の感触が、やわこいお菓子をくちびるに渡してくれる……。
──すこしだけ、いたずらをした。
 たくましい、あなたのゆび。さきっぽを、やわらかいお菓子といっしょにちいさく噛んだ。
 つめの根元の皮に、乳歯のとがった所が触れる。
「──こら、」
 叱責はそれだけ。聞きわけよく顎を下げ、くちのなかに挟んだゆびを解放する。
 くわえるものを失った。
 なまま、噛みあわせれば、やわこいお菓子が奥歯のあいまにもっちり潰れる……。
──橙花水とうかすいとナッツを練った餅菓子ロクムの味だ。
 練り込まれた開心果ピスターシュのみどりの種が、しろい歯に負けかりりと鳴った。
 柑果かんかのかおりが、鼻梁の奥に抜けてゆく……。

──くちのなか。
──慕わしい指のかたさは、もう、ない……。

 みかげ石の茶卓には、釉薬ゆうやく五色ごしき鮮やかに、幾何きか模様もようの陶のさら。
 砂糖をまぶした賽の目状の餅菓子ロクムが、色とりどりに載っている──…。

──薔薇ばらすいと、扁桃あめんどうを練ったもの。
──桂皮けいひとカーダモンの芳香をもつもの。
──はしばみ味の、こりこりしたの。
──薄荷ハッカのかおりの、ほろ苦いもの。
──の白い花を練ってある、いささか鼻腔にくるしいもの……。

……どれも等しく、のどがけるように甘い。
 けれど、熱砂の国の人びとには、慣れ親しんだ味だ。
 舌にも鼻にもあまやかな、口当たりのよいものは、たいてい全部わたしが平らげ──かおりのきつい、子どもの舌がきらいな味は、そのほとんどを旦那さまがお腹のなかに片付ける。
 チャカさまは、ひと・・よりよっぽど鼻が利く。
 つよい香りは決して好きではなかろうに。……なにも言わずに貰ってくれる……。

──午后ごごのしずかな陽だまりは、頬の上にあたたかい。
 さわやかな香りのお茶が、こころよく喉をあらって胃におちた。

──くわえるものを失った。
 また、おなじことを想った。
 ちろりと、くちびるを舐める。ひふの上で粉砂糖がきしきし鳴った。
──お菓子にたっぷり塗してあったその粉は、くちもとにもたっぷりと落ちている。
──お菓子を渡してきた時と、おなじ指が拭ってくれた……。

「よくたべる──。」

 ふかみどりの声がした。声は、低くちいさく苦笑する──。
 雄強ゆうきょうに隆起した、褐色の咽喉のどがうごく。声のしずかな動きと共に、黒曜の髪がつと・・揺れる。
──夜色のするどいが、少しだけ細まった……。
 朗らかにわらう時でも、眉間と立派な鷲鼻には、ほのかな皺が残ってしまう。
──無意識のらしい。

(あぁ──…いじらしいひと。)

「──うまいか?」
「おいしゅうございます」
「……また、購ってこよう」

──ね、だんなさま。
 は、たぶん、『声の交換』なのだと──わたし、そう思うんです。
 だんなさま。
 ねえ、
 おしえて下さったらいいのに。
──あなたさまの声のあじ。
 あぁ。
 匂やかな交換こ。

「……その味だけでかろうよ」

──隣席の、ずっと上の所から、わたしの巨きな旦那さまが呟いた。
 とうとつな声だった。
 はしばみ味の餅菓子を、ちいさな口で私はこりこり・・・・噛んでいる。
──それまで、どのような言葉も発さず、わたしは、ただ、噛んでいた……。
 に対しての返答ではない筈だ。
 あれは、ひとりごとよ。きっと……。

──あぁ。かぐわしい交換こ。
──音にならないふたりの声を、交換するんです。
──しろい歯や、くちびるのや……時には、舌べろで。

 わたし、しってるんですよ。
──くちびるを密に接するは、音のなき声の渡しあい。
 ね、チャカさま。
──…あなたのこえ。
──きっと、お菓子の味より、もっと、ずっと、いものでしょう?
 ねえ。
 おしえて下さったらいいのに……。

「……どんなあじ?」

──あいくるしく視えるように擦りよって、あまえた声で問いかける。
「──おまえの残した味ばかり」
 残りもののお菓子をほおに食みながら、チャカさまは私のあたまをさらさら撫でた。
「──薄荷ハッカ餅菓子ロクムだ、嫌いだろう…?」
「……いじわる。」

──いつだって、おしえて貰えやしないのです。

 絨毯に、わたしは、ころりと横たう。
 安座するチャカさまの巨きなももかおを伏せ、薄いまぶた・・・をとじた……。
──仔うさぎが、とうめいな気もちで、親の腹部に安らうように。

 つんとする鼻の奥を木のかおりが慰めた。
──このひとが、長衣に焚いた針葉の香木……。
 布地きじへと染みた香気のけむりに、けれど、貴方のにおいも溶けている。
 その慕わしいものは、吸気とまざって喉に降り、わたしの細い肺臓へ……。

──午睡ごすいにやさしい夕の刻。
──ちいさな肉のからだには、あえかな微熱がはじまる。

 そう遠くはない、いつか──…。
 この微熱にかされて──きっと、わたしは、蜜の柱のようになる。
──かすかなものが、おなかのなかに揺蕩たゆたった……。
 けれど。今はただ、あなたのももほおる……。

──予感があった。
「──…チャカさま、」

 いつの日か──…。
 わたしは、きっと、蛹化ようかする。
 とうめいには、決して、決して──成りないだろうものへと。

蛹化ようか
 昆虫類の幼虫が脱皮してさなぎになること。


(↓スクロールであとがき)







 くちびるとくちびるを、密に接しあうことを『声の交換』だと思っている子のはなし。



 抽象的になりすぎた……。上にある一文がこのおはなしの全てです。
 きっと、もうすぐ、この子の躰は初潮を迎えるのだろうなあと……。

 羽化より前に脱皮をし、さなぎになる女の子……。(概念)

 さなぎというのは、はじめは綺麗なとうめいで──羽化の時が近づくにつれ、中に宿った不完全な成虫の躰を透かし、濁った色になるんです……。
 ほんとうに。



 チャカさま、お誕生日おめでとうございます……。
 はじめて……間に……合った……?
 お誕生日要素とは……。(アップ日付が誕生日でありさえすれば 無条件にお祝いSSに変化すると思い込んでいる)

 先日はじめてトルコのロクム(ターキッシュデライト)を食べたのですが(ピスタチオ味)甘さというより香りがやや凄いという感想です……メーカーによるのかもしれませんが……。
 ヤバめの『ゆべし』感。……トルコゆべし……。謎。(謎)

 ナルニアの原作1巻で、氷の魔女が次男坊を誑かすのに使った『あのお菓子』らしいです。ウィキが言ってた。

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