碧春

 ことりが花蜜かみつを吸っている。
 しろくちいさな樹咲きざきの花だ。
 枝の上、ちぎり取ったがくの裏から花ごと咥えて──僅かばかりのあまさを、ことりたちは舐めている。
 巴旦杏はたんきょうの樹上であった。
 王のみやこが西の端。外宮の、もっとも外れにその花木かぼくは若く在る。──軍吏ぐんりいえの庭先だ。
 涼やかな朝だった。虫除けの香炉が、澄みきった味のけむりを上げる。しかし、きょうばかりは、そのにおいに花の存在こそがまさる……。
 わか草のあいま──のったり寝そべる輪郭が、二本、あった……。
 男と女。──大柄なふたりだ。はなびらが、ひらひらとその躰につもってゆく……。
 化粧けわいされた枝のなか──。ことりが、ふたりの頭上でちょんと跳ねる。尾羽をぴこぴこさせる。──うたう。つがいでも求めているのか。
 ことりは、枝咲の花をひとつ、くちばしに咥えた。──可憐なふうに蜜を吸う。吸い終わった無用の花は、くちばしからぽっとり落す……。
──花は、蜜だけ無くして、その他には欠けもない。
 完全なかたちを残したひとつの花は、ひらひら、くるくる、落ちてゆく。ことりが咥えたがく・・のほうより、五枚も花弁を生え揃わせた上の部分のほうが重い。そちらを下に、逆さま向きに落ちてゆく……。
──しろく乾いた平原と、青紫せいしの河原に着地した。
「…──?」
 輪郭のぼけたひくい声。う、だか、あ、だか判断しがたい──おとこの声だ。
 花にとっての平原は、かれ・・の乾いたしろい頬。河は、その頬に走る──白膚ひふの内部に刷り込まれた色素の紋様。
 顔の上にひっくり返って落っこちてきたちいさな花を、しろく、節くれた指が摘む。その頬に、黄いろの花粉がささやかなもよう・・・をつけたが、男は気づいていない。
(──あぁ、ことりの残しもの……。)
 つまみあげた花を、ペルは、ねぼけまなこに、指先からそうっとひら・・の上に置く。ゆるやかに起き上がる。そのあたまや躰に堆積していた葩びらが、はらはら落ちた。
 おのれの頭上を、ペルは見あおぐ。
──枝ぶりに密集したうすももいろの花々は、陽の光を透過する。
 ときどき、葩びらの隙間から、切れ目のようにやわらかな空の色。蒼天のかけらみたいだ。
──あわい色の陰翳は、花の群れがつくりだす。その中を、ことりの影がたえまなく跳ねていた……。
 ことりは、くちばしにひとつ、花を挟んで首をかしげる。うまそうに蜜を吸う。吸い終わると、くちばしのすき間から、下界に花をぽっとり落とす。花はひらひら、くるくる回りながら、やっぱり、逆さま向きに落ちてゆく……。
──すこし離れたわか草の上に着地した。
 ことりは、繰り返す。そのちいさなくちばしだけで器用に枝から花をつみ取り、また咥え──吸ってしまったあとの花には、見向きもしない。
 ことりの残しものだけが、くるくると落ちてゆく……。
──とりどもが、あんまり、うまそうにやるものだから……。
──…見ているほうとて、やってみたくもなるだろう。
 すこし背伸びて手さえ伸ばせば、花は、幾らでも咲いている。
 ペルは──ちいさなひとつの花を見る。じぶんの大きなてのひらに、ぽっつと座ったその花を。
──指の骨は、節々が太く変形し──歪んだような。ひら・・や、指先の厚皮は、ところどころひび割れて。……武骨なかたちのその部分。そこに、ことりの撒いた落としもの、そのかたちはあんまりかわいい。
──落ちた花には実がならぬ。
 それは、かわいそうなことのように、かれには思えた。せっかく咲いているものを、興味本位で毟り取るのも気が咎めた。
 だから──そのまま貰った。ことりのほうってきたもの・・を。

◆ ◆ ◆

 落ち花を、青紫のくちはやんわり挟む。
── 一瞬、草のにおいと似たあまさ。けれど、ただでさえちいさな花だ。とりの吸い残しならばなおいっそう、残った蜜はほんの僅か。……すぐに、何の味もなくなる。
 くちびるに花を挟んだままで、ペルは、ほんのりと首をかしげる。──逞しくおおきな躰で、その仕草だけことり・・・のよう。当人は無自覚だ。
 絨毯に、とりのようにちょこんと座した男の躰。すぐ下で、女はすうすう寝息を立てる。年の瀬の習慣で、潔いほど刈られた髪は、春の日のいま、そのおんなの肩口まで伸びていた──幾枚もの葩びらが、積もっている。……髪飾りのよう。
 花を挟んだ青紫のくちびる。その合わせ目が、ほんのりとゆるまった。青紫のわずかなすき間から、ちいさな笑みといっしょになって、花は、ぽろっとこぼれ落ちる。
「あ、」
 ひらひら、くるくる、ひとつの花は下にゆく。みじかくちいさながく・・の場所より、花びらを五枚もつけた上部のほうがとうぜん重たく下を向く。
 花は、逆さま向きに落ちてゆく……。
──あおじろい野に着地した。
──ん、と睡気を含み、ひくい女のうめき声。
 花にとってのあおい野原は血の気の悪い女の頬。
 顔の上にひっくり返って落っこちてきたちいさな花を、胼胝たこの多いゆびが取る。その頬に、黄色の花粉がささやかなもよう・・・をつけたが、女は気づいていない。
 頬に伏した花をつまんで、女はけげんな顔をする。ねむけで薄まり、いつもよりはするどさに欠ける女の視線がペルに向く。
──すぐさま。かれは片手を上に向け、一本だけ指を立て……。先端で、やわらかな梢を示した。
「──ことりが落とした」
 ぜんぶことりのせいにした。
──しかしながら女のほうは、だれが眠りを妨げたかには大して興味もなさそうだ。ただただ、眠たげに目をしばたく。猫かなにかがするように、ぐあんとあくびする。
──いっしゅん、ペルは、ここのところ庭に来る、懐いたのら・・の猫を想う。
 そのかわいい猫の、まったくかわいくない、化物じみたあくびを想った……。その類似性・・・については……、とうぜんに、口に出しはしなかったが。
 やっぱり猫じみた仕草で、女は爪で挟んだ花をすんと嗅ぐ。その鼻先に、ちょんと黄色く花粉がついた。

◆ ◆ ◆

──ことりも、ひとも、考えることはみな同じらしい。
 ことりが吸って、ペルが吸い──もう、すっかりなにもない花を、そうとも知らずに寝そべった女が吸う。
「──…あまいか?」
 白々しくかれは聞く。
「なんにも……」
 花を咥えたまま、女が、もそもそと応えた。
「……そうか」
 しれっと聞いておきながら、ペルはひとりで照れている。白い耳介。その表皮がほんのりあかい。葩びらを透過した、やわらかな色合いのひかりが、その耳たぶのこまかなうぶ毛を金色に光らせた。色づいた白膚ひふは、ささやかなうぶ毛の反射を目立たせる。
「──なんだよ」
 女が、いぶかしげに聞く。ことばと一緒に、そのくちびるから花のいろがぽろっとこぼれた。
……ペルは、ひそやかに目をそらす。
──もっと見ていたい気も、した……。
 もうひとねむりしようかと、まぶたを閉じる女のそばに、彼もまたいっしょにそべる。花粉のついた頬に頬をすり寄せる。
──ふたりの模様は転写され。
 互いの頬には、ほのかな黄色の、おそろいの柄が刷りあがる……。

 ペルは薄くを閉じる。花の色がやわらかい。
……まどろんで。……かれは、声を出さずに夢想する。
(──…これだけ花が咲いたなら。)
 ことりが千切ってしまったやつは駄目だけど──…、夏になったら、庭の梢はまた鈴なりに実をつける。喰いきれないのを砂糖といっしょに酒に漬けると、同居人がすぐ飲み干す。……みつきは待てと言うものを……。
(……こんどは、床下にでも隠そうか。)
──潤った季節が終われば木立はすべて乾眠する。
 しらちゃけ、かさかさになった葉が積もり、庭掃除がたいへんだ。
──冬至祭には牛の脚を市場でまるごと購って、しめたての肉をふたりで食おう。年に一度のぜいたくだ。

 また、このふたりのいちねんは始まってゆく。のたり、のたりと、ゆるやかに……。

 また今年。ひととせ去れば翌の年。
──…くりかえすことのできるさいわい・・・・を、ペルは、やわらかく口に食む。それは、花のがく・・の蜜のあじよりいっとう甘くかれには思えた。
(……どんな菓子より、うまかろうなあ。)
──…春の真水とおなじにぬくむ心地であった。
 となりに睡る、二本脚のおおきなねこ・・から移ったか──…ペルもまた、ちいさなあくびを噛みころす……。
 空の色さえやさしげな。時はねむたい春のころ。
 青紫せいしの目じりにうっすら滲む、露のような水鏡には花と狭間のあおが映え。
──ちいさな庭では巴旦杏はたんきょう
──みやこでは、あめんどうの花木かぼくが盛りのころである。


へき
 @青色の美しい石。Aあお。あおみどり。


(↓スクロールであとがき)









 遅くなってしまいましたが春季SS。どことなく去年の春のやつと似てる(被ってる)のは……リベンジというか……供養というか……。

 巴旦杏という字、スモモだけではなく、アーモンドにも当てたりするらしいですが……。この小説での巴旦杏はスモモの意で解釈しています。
 アメンドウはアーモンドのこと。両者、桜によく似たかわいいお花を咲かせるそう……。

 アラバスタのような残酷に暑いところで スモモ(中国原産)の木って、ちゃんと生育するのだろうか……。中東でプラムが流通するんだからいけるのでは……。くらいのフワフワした願望で書いています……。

 アーモンドの木はわりと生えてるのでは。出エジプト記に記載が……あるとか……ないとか……えへ……(フワフワ根拠……)

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