SSS『酒憶』
2015/08/24 00:00

日が沈むと、随分冷え込む季節になった。
雨季乾季の他、目立った情景の推移のない此国だが、それでも月の移り変わりと共に気温は変化する。雨季の降雨も減りつつあるこの頃、空に雲はなく、星空の下に大地は霜を張る。

するりと、冷えた器を指でなぞった。
夜空の色より幾分薄い、藍の混じった硝子の酒杯。淵に厚みがあり、どっしりと重たく、円柱とも円錐ともつかぬやや歪な形をしたそれ。細やかな切子の装飾もなく、柄もない。繊細さよりも壮厳であることを良しとする、この国ならではのあしらいだ。
それに、異国の酒を入れて呑むのはどうにもちぐはぐな気がした。誰に貰ったのだったか、忘れてしまった瓶を傾ける。器に対して、色のない酒瓶には細やかな装飾が為されていた。青い硝子の杯に入れれば、途端に曖昧な暗色になってしまう、琥珀色の液体。

器は夜気でひやりと冷たいのに、口へ含んだそれは火のように燃えて喉へと落ちる。酒精の強い酒だ。
舐めつつ、ちらりと視線を前方へ。少し離れたところでこまこまと動く背中を眺める。
ちいさな、ちいさな足。子供と見紛うばかりの背丈。


「どうかなさいましたか?」


夕食の洗い物を終えたのか、妻はくるりと振り向いて頭を傾けた。
合致した視線に、無言で首を振る。相手は、小動物じみた忙しなさで二三瞬き、前掛けで濡れた手を拭う。うんとやわい、五枚葉にも似た手だ。


「よいしょっ」


丈が足らないと、彼女をこの家へ迎えるその日に新調した踏み台。そこからぴょんと飛び降りる姿は、年端もいかない子供のようだ。

…この、いとけなさ。女というには余って幼く、少女にしてもなお危うげな気がする。背丈、齢、仕草。全てが収斂されても、いっそう未熟な。

長椅子に腰掛けたまま、おいで、と手招きした。ぱたぱた寄ってくる足音の、なんと軽いことか。
すぐ目前にきた少女に、ぽんと自らの膝を叩いて指し示す。相手は途端に顔をぱっと輝かせて、ぴょこんとこちらの膝へ飛び乗った。ああ、やはり吹けば飛びそうに軽い。


「えへへ……」


照れたような笑い声。その顔は見えなくとも、首筋と耳介がほのかに色付いていた。
頭を撫ぜてやれば、うへへだか、うひひだか。それは次第に気色の悪い声へと変わる。いつものことだ。

嘆息しつつ、ぺたんとしてくびれすらない腹に手を回す。座りが良くなったのか、ちいさな背中が凭れてきた。薄い互いの衣服越しに、相手の背骨の感触。
どうして、といっそ青くなりそうなほど、それは細い。腕も、足も、首も。丁重に、そっと触れなければ、ぽきんと壊れてしまいそうな気がした。弱い弱い硝子のように。
想像しただけで、やはりぞっとする。胸のざわつきを、酒と共に飲み下した。


「なにか?」

「……いや」


きょとんと、不思議そうに振り返った少女には、ただ微笑んでおく。飲み干した杯を卓に置いて促してみれば、また顔を輝かせた。
幼げな肢体、幼げな表情。すぐに気取った風な顔をして、両手で抱えるように酒瓶を持ち、澄まして酌をしてくる。直後、想像以上に重たかったのか、瓶を取り落としそうになっていた。釣り上げられた鯉のような表情をして、誤魔化すようにまたつんと座る。それらの、唐突な変化が面白い。


「おいしいですか?」

「……まあ、それなりに」


また一口飲み、相手の腹の前へと回した手に杯を休める。
ふと、膝上でもぞもぞ動く感触。見れば杯に鼻を近付け、琥珀色をすんすんと嗅ぐちいさな生き物。この生き物は、酒に滅法弱いというのに。


「こら、」


窘めて、器を遠ざけた。あー、だか、うーだかの喚き声。
丸っこい頭を撫ぜてやれば、嬉しそうにもぞもぞ動いて黙る。まるで、仔犬かなにかのようだ。


「飲んでみたかったのか?」


しばらく、擽ってやりながら戯れていた。
一頻り暴れさせたあと、ふと聞けばこくんと頷く。


「おまえ、酒は飲めんだろう」


言うと、恥じ入るように尻をもぞもぞさせる。
肉は貧相に薄い癖、その感触は不可思議なほどに柔らかだ。


「どんなお味なのか、知りたかったのです」

「どうしてだ」


自分の毛先をちょんちょんと弄りつ、相手ははにかんで笑う。


「…チャカさまが、おいしそうにお飲みになられていらっしゃったので」


嗚呼、己の名を呼ぶこの少女の声色は。
どうして、こんなにも優しげなのか。


「わたくしめも知りたかったのです、おなじものを」


そう言って、微笑む顔が。いとおしい。
こんなことを、惜し気もなく言ってのける女なのだ、私の妻は。
知りたい、近付きたい。その幼く無知な、だが何より純である真っ直ぐさで、彼女はこの懐へと飛び込んできた。

己を捕らえて離さない、ひかりのようなぬくもり。


「知りたかったのか」

「ええ」

「私と同じものを」

「そうです」


細く揺らぎそうな首筋へと、鼻梁を寄せる。自分とこの少女の丈の差に、背はぐっと屈められた。
息を吸えばふうわりと、乳臭さのような、陽光のようないとけないかおり。それでいて、水辺に浮かぶ慈愛の花ロータスのような……少女と女が混じり合って、なお幼いにおい。
酒精の回った血潮は、情動をもゆるりと掻き回す。


「なら、教えてやろう」


普段よりよく回る舌は、そんな陳腐な台詞をも生み出してしまう。大して飲んでもいない酒に呑まれてどうするのか。情けないことだ。
意味もなく憮然とした心地になって、誤魔化すように相手の背中をまたくすぐる。向こうはひゃ、と首を竦めた。
浮き上がった顎を掴んで、振り向かせる。


「チャカさま?」


ぽけっと開かれた玉のような眼と、ちいさな口。
間を置かずに引き寄せて吸えば、びくんと体を跳ねさせ。すぐに、ばたばたと暴れ始めた。喚き声は口唇に遮られ、くぐもって響く。


(………妙な話だ…)


ついさっきまでは、壊してしまいそうだと恐れていたというのに、どうしたことか。
今はこの少女を、ぺろりと頭から食べてしまいたい気がする。
あちらへ捻じ込んだ舌に感じる味は、事実陶然とするほど甘い。菓子かなにかのように。

いや、これは砂糖よりもっと甘美なものだ。もっと……

じたばたと暴れていた相手は、ぐにょぐにょと身じろぐだけになり、やがて大人しくなる。
飴を夢中で舐めていて、ふと我に返ったような心地で口を離せば、ぐにゃんと胸板に崩れてきた。

てらりと光る糸が、こちらの口から少女の唇へと流れ、落ちてゆく。


「……すまん」


今更ながら、酒が過ぎた。
形振りを構っている暇はないのか、唾液さえもぽたぽたと零しつつ、相手は空気を求めていた。顔色は、熟れた木の実のよう。
申し訳なく背中を摩ってやる。げほげほと咳き込んだのち、少女の薄赤に潤んだ目が見上げてきた。


「………く、ないです…」

「ん…?」


何事か言いかけ、また咳き込む。
どうしたのかと、耳を寄せれば。


「おいし、くないです……」


拍子抜けするこちらにも気が付かず、相手はうえーっと舌を出して、首を振る。


「にがいし、からいし……かーっ、っていたくて…ぜんぜん、おいしくないです…な、なんであんなの…」


くすんと鼻をすする少女の頭を撫ぜて、苦笑した。


「…さあ……おまえには向かなかったのだろうな」


そんなことは分かり切っていたというのに。だが、知りたいと言ったのはおまえだ。

ぬらりと濡れた口元を指で拭ってやって、また頭を撫ぜる。そのまま額に唇を寄せれば、喉からくつくつと笑い声が漏れた。
再び引き寄せた頬が、ぷくりと膨らむ。見遣れば、頬に空気を溜めて不服そうな顔。


「……いじわる!」

「悪かった」


……さて。
明日はこの幼げな妻へ、甘い菓子でも買って帰ってやろうか。そうすればきっと、この未熟な娘はもっと甘みを増すだろう。

こちらの味にはうんざりされてしまったようなので、二度目は触れるのみのそれ。薄目を開けて表情を伺えば、閉じた瞼が微睡む子供のようにも見えた。
もう、夜も遅い。そろそろ、寝せてやるべきだろう。

庭木にいるらしい梟の声が、夜の深淵を告げた。








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忘れがちだけどチャカさまってイヌ科で、ジャッカルは"胡狼"って書くんだったなって。

ここ数日異常なまでの個人的チャカさまフィーバーを感じたので。
チャカさま物凄く好きなのですがいざ書こうとするとなかなか上手くいかないから数が増えない…増やしたい……

自分が書いてるチャカさま普通に男前チャカさまばっかりで腑に落ちない。もっと犬々しいチャカさまください。




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