SSS『お砂糖とクリーム』
2015/03/14 00:00

「……うー…ううぅ…」


わたくしめは今、窮地に陥っております。


「……どうした、食べないのか?」

「…い、いえ! いえいえ! 頂きますとも!」


わたくしの目の前のテーブルには、それはそれは大きなホールケーキが鎮座しておりました。
これは愛しの旦那様が、わざわざ給仕長にお頼みになられて作っていただいた特製のものです。
ケーキには今、四分の一にも満たないような切れ込みが入っておりました。


「…うう、うー……」


わたくしは己の小皿の上にある切れ端をフォークで突きつつ、うんうんと唸ります。
とろけるように甘いクリームを口にぱくりと含めば、既にぱんぱんの胃袋の奥が、きゅうと縮みました。


「…どうした、苦しそうだぞ」


テーブルの向かい側にいらっしゃるチャカ様は、何だか愉快そうなお顔でそう仰います。
もう、口は開けません。
それに何とか、首を振ってお答えすると、わたくしはごくんと、無理やりよく噛みもせず、ふわふわのスポンジを嚥下したのでした。


「………!」


また胃袋の奥がきゅうと唸って、喉がかっと熱くなります。
それは、目頭にも伝播して。
気が付けば、わたしの視界は涙でぐちゃぐちゃでした。

嗚呼、何ということでしょうか…!

折角、せっかくチャカ様がわたしの為に貰って下さったこのケーキは、わたしの貧弱な胃袋には余りに。
余りに、大き過ぎたのです…!


「……う…ううぅ、っひ、」


何とか押し留めようとしても、嗚咽は鼻の奥から湧き上がって来ました。
涙で霞んで良く見えない小皿には、まだケーキが半欠片ほど残っています。
そして、テーブルの上の大皿には……


「……チャ、チャカさま…っぐす、ごめ、ごめんな…さい……」


考えただけで切なく、申し訳なく、不甲斐なくなって、わたしは鼻汁を垂らしながらめそめそと泣きました。
項垂れて鼻を啜れば、向かい側では呆れたようなお声。


「………はあ…全く……泣くことは無いだろうが…」


がたり、と椅子を引く音がして、わたしは目を瞬きます。
ぬるい涙の雫が、ぼとぼとと膝のスカートの上に落ちました。


「……チャカさま…ごめんな、さい…せっかく、チャカさまがくださったのに……わたし、わたくし、もう…っひ、お腹…が……」


お優しいチャカ様は、わたしの横へいらして。
ご自身の手ぬぐいでわたしの鼻と、クリームまみれの口元を拭って下さいました。


「…もう良い、無理はするな」

「………っでも!」


ぽんぽんと、柔らかくわたしの頭を撫でて下さるチャカ様を見上げれば、そこには困ったような顔。


「…おまえがこんな量を食べきれるだなんて、初めから思っていない……」

「……えっ…」


そのお言葉に、びっくりして目をぱしぱし瞬いたわたしの目から、また涙がぽろりと落ちました。
それを節くれた、たくましい褐色のお指が拭って下さいます。


「…だって、チャカさま……」


ケーキを下さった当初、『遠慮するな』『残さず食べろ』と仰られたのは、他ならぬこのお方です。
そのお言葉に、初めはうきうきとケーキを口にしたわたしでしたが。
その量の余りの膨大さに、とうとう泣き言を言って、このざまです。

そう言えば、また嘆息の音。
見上げた先のチャカ様は、ばつの悪そうなお顔で頭を掻いていらっしゃいました。


「……そんなものは、ただの空言だ…」

「……えっ…」

「………少し、当てつけが過ぎたな…」


一体どういう訳だろうとまた目をぱしくりするわたしの前で、チャカさまはべちょべちょになった手ぬぐいをお仕舞いになられました。


「……おまえが、食べ切れもしないだろうにあわあわと全部食べようとする様を見たいが為に、こんな大きさの菓子をテラコッタさんに頼んだんだ………悪かった」


そう仰ってまたわたしの頭を撫ぜて下さったチャカ様に、こちらの口はあんぐりと、顎の外れそうなくらいに開かれました。
それをチャカ様にぱかりと嵌めて貰い、涙と鼻水も収まった頃。

今度はぐるぐるともたれる胃袋に、わたくしは頬をぷうと河豚のように膨らませました。


「チャカさまの……いじわる!」

「……悪かった」

「食べ物を無駄になさる方には、バチが当たるのですよ…!」


ぷんぷんと怒るわたくしの前で、しかしチャカ様はまた呆れたように仰います。


「……それはお互い様だろうが…」

「何ですって! わたくしにはちっとも心当たりが…!」

「…先月の、菓子の銅像」

「………あ」


チャカ様のお言葉に、わたくしははっとしました。
先月の殿方へお菓子をお贈りする日に、わたくしめは等身大チャカ様像(全チョコレート製)をこの方へ差し上げたのです。


「…自分の、全裸の銅像を衆目に晒され、あまつさえそれを砕いて食べた私の気持ちが分かるか……」

「……ご、ごめんなさい…」


しおらしく謝れば、チャカさまはまたぽんぽんとわたくしめの頭を撫でて下さいました。
おあいこ様でしたね。


「……どれ、残りは私が食べよう。…貸しなさい」


反省して、来年は等身大ではなく十分の一スケールで作ろうと決心した己へ、そう仰って。
チャカ様は、わたくしのフォークをお取り上げになられました。


「…えっ…! でも、チャカさま、この量は……」


旦那様がお腹を壊されては大変と、わたくしは慌ててお止め致しましたが、チャカ様はどこ吹く風。
手始めに、わたくしめの小皿を取ると、ぺろりと大きな一口で、半切れのケーキを食べてしまわれました。


「……!」


わたくしが、あんなに苦心していた小皿が、たったの一口。
呆気にとられて目を丸くしたわたくしの前で、チャカ様は次に大皿へ向かわれます。

そのままケーキをざくりと、わたくしの食べていた三倍はあろうかという大きさの切り身にお切りになられると、チャカ様はそれを小皿にお乗せになられます。
お皿から殆どはみ出しているようなそれを、この方はぱくぱくぱくと、たったの三口ほどで完食されてしまわれました。

ぽかんとするわたくしの前で、その過程が四回ほど繰り返されれば。
もう、大皿の上には何も残ってはおりませんでした。


「……うむ。流石テラコッタさんの菓子だな。美味かった」


またも、開いた口の塞がらないわたくしへ、チャカ様は平然としたお顔で仰られます。

「ただ少し甘かったな」とお茶を飲まれるチャカ様の、その頬に。
ちょんと、白いものが付いておりました。


「あ……チャカさま、ほっぺたに…」

「…うん? どうした」


向かい側にお座りになられたチャカ様へ近寄ると、わたくしはそのほっぺたに付いたクリームを、指でそっと掬います。
そのままぱくりと指を咥えれば、甘い甘いお砂糖の味がしました。


「確かに、甘いですね」


わたくしがぽやんとそうお返しすれば、対するチャカ様は。
悪戯を思い付いた悪い狼さんのようなお顔で、にやりと笑われました。

かの方の変異に、わたくしが気付くより先。
その腕が、わたしの背中を押しました。


「…あっ……」


チャカ様のお顔が、ぐんと近い所へ寄って、わたしが声を上げた刹那。
べろりと、頬へ熱く湿ったなにかが触れました。


「……ああ…甘過ぎるくらいだ」


わたしのほっぺたに残っていたクリームの残留物を、文字通り舐め取られたチャカ様は、意地悪なお顔でくつくつと笑われます。


「………チャカさまの……いじわる!!」


対するわたしは、茹で蛸のように真っ赤になって。
その大きなお膝元に、顔を埋めて恥じ入ったのでした。




(甘い甘い仕返し)




****
へんたいの一人称が一部変わっているのは、へんたいがテンパって被っていた猫が取れたからです。

バレンタインのリベンジを成し遂げたチャカさまでしたが、多分来年のバレンタインも頭抱えることになると思われます。
ドンマイチャカさま!




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