涙が傷に染みる

 ボンゴレ狩りが本格化している中、ここ最近白蘭の姿が見えないことをなまえは疑問に思っていた。彼が何も言わずにこの建物を出ることは珍しくないが、それにしても以前より頻度が高いような気がした。彼が自らボンゴレ狩りに赴くとは思えないし、一体何処へ行っているのだろうか。
 白蘭に呼ばれ部屋へと訪れると、彼は珍しく隊服を脱いでいた。黒地のシャツに、白いベスト、その上から白いジャケットを羽織ろうとしている。その姿はミルフィオーレファミリーとなる前、ジェッソファミリーの頃に良く見ていた姿であった。

「何処かに行くの?」

「あれ、私服で来てねって言わなかったっけ?」

 勿論そんなことは聞いていない。不機嫌な表情を隠しもしないまま、なまえは口を開いた。

「聞いてない。何処に行くの」

「お昼食べに行きたいなって思って」

 そういえば、と腕時計を確認してみると、既に1時を過ぎていた。彼から送られる仕事の量は膨大過ぎる。時間感覚を忘れてしまうのは常であった。
 たまには外で食べるのも良いかもしれないと、珍しくなまえは白蘭からの誘いを受けた。今日の天気が珍しく晴れていたのもあるかもしれない。

 暫くして再び白蘭の部屋に訪れたなまえの姿は白蘭にとっては見慣れた姿であった。

「うん、似合ってる」

 上から下までゆっくりとなまえの姿を見た白蘭は満足気に呟く。薄いブルーグレーのパンツスーツに、中には白いVネックのブラウス。普段は付けないシルバーのネックレスがとても似合っていた。
 ジェッソファミリーの頃は基本パンツスーツだったので、その姿は何処か懐かしさを感じられた。二人の姿はまるでミルフィオーレファミリーになる前のようであった。

「まあ、本音はワンピースとか着て欲しかったんだけどなあ」

「着ないの知っているでしょう」

 睨むようにして見つめるなまえの肩を掴み、くるりと扉の方に体を向けさせると、そのまま後ろから背中を押す。「お店は……」と呟くなまえに、もう決めてあると伝えると彼女は白蘭にされるがまま一階へと降りていった。



「たまには日本食も食べたくなるでしょう?」

 ニコニコと微笑みながら隣から覗き込まれる。店構えから何のお店かは把握していたが、目の前に広がる光景になまえは静かに肩を震わせた。

「食べたくなるけど……!頼みすぎよ!」

 カウンター席に通され、暫くしてからあれよあれよと目の前に次々と置かれるそれになまえはぎょっとしてから隣にいる犯人を睨み付ける。

「沢山お寿司食べたいかなって思っただけなのに」

「こんなに食べられないわよ」

 静かに怒るなまえを見ても、白蘭は全く気にしていない様子で口を尖らせている。

「折角なまえチャンが喜ぶかと思ったのに」

 その言葉になまえは言いかけた言葉を飲み込んだ。

「……残しちゃ駄目だから白蘭もちゃんと食べてね」

「うん、任せて」

 それと、ありがとう。と小さな声で呟いたなまえに白蘭は満足そうに笑った。

 食べ進めている途中、なまえは最近気になっていたことを口にした。

「そういえば、最近何処かに行っているの?」

 それは色んな意味にも捉えられた。

「秘密」

「まあ、何でも良いけど……」

 特に興味が無さそうななまえの反応に白蘭は面白くないと思ったらしい。楽しみに取っておいたであろう大トロを横から奪い取り、口の中へと放り込んだ。

「あ!それ最後に食べようと思ってたのに」

「大事なものはちゃんと守っておかなくちゃ」

 意地悪そうな顔になまえは少しだけ憎たらしさを感じた。そういえば昔から食べたいものを良くくすねられてたことを思い出す。前はこうして良くみんなでお昼を食べていたな、と過去の光景を思い出した。白蘭と正一、そしてなまえの三人で騒ぎながら共にお昼を食べていたあの頃を。
 ほぼ白蘭が食べたが、あんなにあった寿司は全て二人の胃袋へと収まった。細身に見えるが、身長も高く、引き締まった体の成人男性の食事量はやはり女性とは違うのだなとなまえは改めて実感した。

「美味しかった〜」

 なまえは正直食べ過ぎて苦しいと感じていたが、隣の彼はそんな様子も無く、平然に歩いているものだから尚のこと驚く。ガラリと扉を開けると、店に来る前は晴れていたのに、外は雨が降っていた。

「ありゃ、雨降ってる」

 予報では今日は晴れのち曇りの筈であったが、まさか雨まで降るとは。なまえは折りたたみの傘を持ってくるべきだったと悔やんだ。

「ごめん、白蘭。傘持ってきてない」

「ん、いいよ。ちょっと離れてるけど車まで走ろうか」

 珍しく白蘭が運転してきたのもあって、車を店の側まで呼ぶことも出来ない。意を決して二人で外に出て走り出す。裏の道に止めてある車を目指して、小走りで向かう途中、突然目の前を走っていた彼が足を止めた。

「え、なに?」

 突然の事に驚き、背中にぶつかる寸前でなまえも足を止める。不審に思い、背中から覗き込もうと足を一歩踏み出そうとするが、彼の手によりそれを制されてしまう。

「話が違うじゃない」

 目の前の彼から発せられたその言葉は随分と冷たかったが、どうやらなまえに言ったわけでは無さそうだ。鋭い視線で目の前を睨み付けるその姿に恐怖したなまえは、無意識に白蘭のジャケットを掴んでいた。
 刹那、なまえにも分かるほどの殺気に包まれると、先程まで見えなかった人影が二人を囲むようにして現れた。白蘭の言葉から察するに、この人達は敵に寝返った、という所だろうか。
 ジェッソファミリーにいた時から事務仕事しかしていないなまえは戦場に立った事など、ただの一度も無い。思わぬ敵の出現と殺気に、なまえは息をするのもやっとであった。

「目を瞑ってて」

 目の前の彼から聞こえたかと思うと、突然腕を引かれ抱き込まれる。後頭部に添えられた掌は思いの外強く、雨を吸い込んだジャケットに押し付けられて少しだけ冷たかった。
 言われるがまま、なまえは目を瞑った。それを確認した白蘭は添えていた手を緩め、彼女の頭をひと撫でしてから今度は耳元に掌を添える。そこから敵とのやりとりを数度してから聞こえたのは断末魔。突然の叫び声に驚いたなまえは体を飛び上がらせ、白蘭が添えた方の反対側の耳元に手を当てた。その時、彼が何故耳元に掌を添えたのかをやっと理解してなまえは空いている方の手で彼のジャケットを掴み、額を押し付けた。





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