とりまく泡はまるで金平糖

 先日の会議の後、 γ 率いるブラックスペルの第3アフェランドラ隊は日本支部のメローネ基地へと異動になった。 γ の分かりやすい視線によりなまえに対して何か思うところがあるのは明白であったが、いくら γ がもがいた所でなまえを救うことなど出来やしない。彼女の苦しみを理解出来るものはミルフィオーレ内でただ一人。そして、全てを知りながらも彼女がもがき苦しんでいることを野放しにしているものが一人。彼女は逃げたくても逃げることが出来なかった。

「入るよ」

 なまえが扉をノックしてから部屋へと入ると、そこは物が溢れかえり、デスクの上も書類にまみれていた。

「……相変わらず汚い」

 部屋を見渡してから呟いた。お目当ての人物は書類まみれのデスクに伏したまま眠っているらしい。相変わらず部屋の中では隊服を脱いで、昔から好きなバンドのTシャツを着ていた。
 戦闘要員ではないなまえは当然、気配を消すことなど出来ない。それでも気付かないとはAランクの隊長としていかがなものかとなまえは眉を顰める。だがこのまま起きないのであればと、悪いことを思いついた子供のように口角をあげると、そろりと近付いてお目当ての人物の肩を強く叩いた。

「わ!」

「!?な、なに?!?」

 その人物は強い衝撃と大きな声に驚き、体を飛び上がらせてそのまま椅子から転げ落ちる。全く、本当にこれで大丈夫なのだろうか。なまえは自分のファミリーを疑った。

「おはよう、正一」

「なんだなまえか。は〜全く、驚かさないでよ……」

 のそのそと起き上がり、再び椅子に掛け直す。ズレた眼鏡を直してから入江正一はなまえに向き直った。

「僕、何か忘れてたことあったっけ?」

「白蘭がこれもお願いって」

「またか……、しかもデータで送らずなまえを使ってくるあたり、また面倒なやつだなきっと」

 正一はなまえから受け取った書類を見てから低い唸り声を上げて眉を顰めた。

「ほら、僕の予想通りだ」

 本当人使いが荒いんだから、と正一は呆れたような声を出し、一先ずこの山積みになっている書類を退かさなければと掻き集める。その様子を横目に見ながらなまえは辛うじてスペースの空いているソファへと座った。要件を伝えてそのまま戻るかと思っていたが、どうやら彼女はまだ戻る気が無いらしい。何かあったのだろうかと、書類を掻き集める手を止め、正一は振り返った。

「何かあったのかい?」

「……いや」

 なまえにしては珍しく言い淀む。その様子に正一は心当たりがあった。だが、ここでその話をする訳にはいかない。彼にしか把握出来ない、物が溢れかえっているデスクの引き出しから何やらごそごそと探す素振りを見せると、「あった」と呟いてからなまえにそれを手渡した。

「なに……?」

「昔から好きだっただろう?」

 掌に載せられたのはガラス瓶に入った金平糖であった。ピンクやブルー、イエローなど、色とりどりのそれはガラス瓶の中でころりと音を立てた。

「……よく覚えてるね」

「そりゃあ帰り道、あんなに食べていたらね」

 ガラス瓶の蓋を開けて、金平糖を掌に乗せる。なまえを幼い頃から知っている正一は、彼女がよく金平糖を食べているところを見ていた。あの時の自分達が今こうしてイタリアでマフィアをしているだなんて、誰が想像しただろう。掌に乗せたそれを見つめて、僅かに口元が緩んだ彼女を見た正一は、過去の自分を恨んだ。自分が間違わなければ、彼女を巻き込まずに済んだかも知れないのに。彼女が今苦しんでいるのは自分にも原因がある。
 掌に乗せた金平糖を口に入れると、上品な甘さが広がった。そして暫くしてからそれを噛む。この上品な甘さと食感がなまえは好きだった。

「ごめん」

 突然の謝罪になまえは数瞬思考が止まったが、無言のままソファから立ち上がり正一の側まで近寄ると、彼の頭にぽん、と掌を置いた。

「正一は悪くないよ」

「でも……」

「違うの」

 遮るようにして続けたなまえに正一は困惑した表情を見せる。だが思い詰めた表情のまま、その先を彼女は一向に話さない。

「大丈夫かい?」

「うん、私こそごめん」

 もう戻るね、と告げて、なまえは正一の部屋を出る。なまえの立場を何とかしてあげたい気持ちは勿論ある。だがこの計画は絶対に失敗してはならないし、彼女にも知られる訳にはいかなかった。彼女に何もしてあげられない自分に、正一は腹立たしくなった。

 正一の部屋を出たなまえは小さく息をついた。彼の近くにいるとついつい本音が漏れてしまいそうになる。この揺らいでいる気持ちは決して誰にも知られてはいけない。
 気持ちを切り替えてあの真っ白な部屋へと戻ろうとしたその時、隊服のポケットに入れてある端末が震えた。着信のようだが、この端末が震えたということは、となまえは僅かに体を強ばらせる。通路の至る所に設置してある隠しカメラに映らない死角へと移動し、恐る恐る着信の差出人を確認する。そしてその名を確認してからなまえは再び暗い海の底へと心を沈ませた。





- ナノ -