涙で甘くなったりしない

 会議を終えて、なまえは白蘭と共に彼の部屋へと戻った。やはり雨は降り続いていて、止む気配は無い。窓に打ち付けるそれは幾つも連なって、涙のように下へ下へと流れていく。

「 γ クンに何か言ったの?」

 前にいる彼は振り返ることをせずに窓を見つめたまま呟いた。

「何か、とは」

「会議中ずっと君とユニのことを見ていたよ」

 怖い顔してさ、と白蘭は笑いながら振り返った。

「気付かなかった」

「あんなに見てたのに、可哀想に γ クン」

 言葉とは裏腹に面白そうに話す白蘭になまえは眉を顰める。彼は気にしていない様子でソファへと座り、マシュマロの封を開けた。

「あんまり媚び売っちゃ駄目だよ」

「媚びなんて……!」

 白蘭の言葉にカッとなり、なまえは声を荒らげる。そんな反応をすれば彼が喜ぶだけだと一番知っているのは彼女の筈なのに。直ぐに気付いたなまえはハッとして口を噤んだ。

「 γ クンには何も出来ないよ」

 その言葉が何故か自分に言われたように感じ、なまえは思わず俯いた。なんだか今日は心に沢山棘が刺さって、痛くて仕方がない。白も黒も、誰も味方だなんて思っていないが、同じミルフィオーレの人達から冷たい言葉を浴びせられることや、突き刺さるような視線を、何も、感じていない訳では無い。ちゃんと感情はあるし、棘は容赦無く刺さっていく。なまえは前にも後ろにももう動けなかった。前にはこの白い神様のような悪魔が、そして後ろには……「なまえチャン」

「っ!」

 いつの間にか考え込んでしまっていたなまえは白蘭から声を掛けられたことに驚いて、びくりと体を揺らした。

「もう今日の仕事は終わり」

「え……?」

 今日はまだまだやらねばいけないことが沢山ある。その原因を作っているのは目の前にいる彼なのだが。

「さ、此処においで」

 白蘭は自らが座るソファの隣を叩いた。意図が分からずなまえは眉を寄せたまま白蘭を見つめ返す。

「早く」

 その言葉にゆっくりとなまえはソファに向かい、白蘭の隣へと座った。一体何なのだと彼に問いただそうと見上げようとした瞬間、彼の腕が伸びてきてなまえはすっぽりと腕の中に収まってしまう。思わずなまえは体を強ばらせるが、添えられた手はゆっくりと背中を撫でるものだから、自然と肩の力は抜けていった。
 普段であれば抵抗するか、声を上げるかのどちらかであるが、今日は大人しく白蘭の腕の中に収まっていた。白蘭はそんななまえの様子に緩やかに目尻を下げるが、彼女からはその表情は見えない。
 互いに無言のままであった。悔しいが、彼の匂いはなまえを安心させた。今まで何度この匂いに包まれただろうか、なまえはもう覚えていない。規則的に聞こえる音になまえは抑えていた感情が溢れだしそうになった。彼も人間だ。神様でも悪魔でもない。なまえと同じ、ただの人。その事実はなまえをより一層苦しめる。悪魔であればどれだけ良かったことか。そうであれば仕方が無いと、諦めがつくのに。

「もうやめよう」

 なまえのその言葉に返事はない。

(こんなゲーム、楽しくないよ)

 何度思っただろう。だが白蘭にそれを告げたことは無い。きっと彼は怒るから。
 異質な彼はこの世界に愛着なんてものは無い。全ては好奇心によって動いている。世界征服をしてみたらどうなるのか。ただそれだけの為に彼は動いている。なまえはそれを理解することは出来ない。
 返事が無いことが気になりなまえは顔を上げた。だが見えた彼の表情になまえは思わず目を見開いた。

「なんで」

 白蘭が泣きそうなの。
 言葉は出てこなかった。困ったような表情をして見つめる彼の視線になまえは耐えきれずに視線を逸らす。眉間に皺は寄っていて、眉は垂れ下がり、白菫色の瞳にはいつもより薄らと水の膜が張っているような気がした。なんて表情をしているのだ、今まで一度もそんな表情をしたことが無かっただろう。何で、貴方がそんな顔をするの。なまえの心臓はぎゅう、と締め付けられた。
 窓に打ち付けられた雨の涙は止まることを知らずに永遠と流れ続けている。こんなに泣くことが出来たら、いつかは二人の心も晴れるだろうか。そんなくだらないことを考えてなまえはまた心が沈んだ。
 もう全部何も考えずに彼と一緒に居れたらいいのに。





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