いつか夢に見たように

 生い茂る木々達の間にある、整備された通りを抜けた先に見えるのは大きな館。自然に囲まれているそこは静かで美しい場所だった。

「本当に来てよかったのかな」

「大丈夫だよ。それに前とはちょっと雰囲気が違ったから」

 なまえの目の前を歩く正一は振り返りながら笑顔を見せた。普段であれば立つ場所も逆であろうが、今日のなまえは随分と奥手でしおらしい。不安に押し潰されないように、両手を合わせ、力を込めて握っていた。

「こんにちはー」

 コンコンと、正一が扉をノックする。趣のある洋館だが余程管理が良いのだろう、古さを感じながらも美しさを保っていた。

「あ!お待ちしていました!」

 間もなくして扉が開き、明るく澄んだ声が聞こえると、少女が現れた。その瞳は太陽の光を反射して、きらきらと輝いている。正一の後ろから覗き込んだなまえは現れた少女に驚きを隠せなかった。

「え……」

 この少女は夢で見た、ユニで間違いで無いのだろうか。未来とはまるで違うその姿になまえは言葉を失う。
 なまえの反応にいち早く気付いたユニは一歩前へと出ると、彼女の手を取った。

「なまえさん、初めまして。ユニと申します」

「……は、初めまして……。あの夢の、ユニさん……なんですか?……本当に?」

「はい。こうして会える日をずっと楽しみにしていました」

 そうして目の前の少女、ユニは微笑んだ。その笑顔になまえは何故だか涙が溢れそうであった。未来でユニと出会った時、彼女はもう既に白蘭に魂を壊されそうになり、ずっと遠くへと行ってしまった後であった為、色が抜けた瞳をしていたからだ。

「未来の私は何度も後悔していました。何故あの時、私も会合に向かわなかったのだと」

「いいんです、なまえさん。その後悔を今の貴方が背負わなくてもいいんですよ。こうして今、手を繋ぎあっているのだから」

 ユニの言葉はなまえの心にすとんと落ちていった。そしてその言の葉は夢を見てから心の奥にずっとあった後悔達を優しく解いていく。大空のように優しく暖かい彼女の心に触れて、なまえは心が軽くなったような気がした。それだけでもここに来て良かったと、そう思えた。
 どうぞ、中に入ってください。と、ユニの後に続き、中へと入る。館の中はとても広く、廊下には絵画や小さなシャンデリアが吊り下げられている。

「他のみんなもなまえさんと会えるの楽しみにしていたんですよ」

「え……?」

 他のみんなと言われてもなまえが知る限り、未来で関わりがあった者など片手で数えられる程しか居ない筈だ。
 言われるがまま客間らしい部屋へ案内され、先ず見えたのは真ん中に大きなダイニングテーブル。そしてその隣のある姿を見た瞬間、なまえは思わずその場で立ち尽くしてしまった。

「なまえ?」

 目の前を歩いていた正一が不審に思い、振り返る。だがそれすらもなまえの視界には入っていなかった。彼女の視線は正一を越えた先、ダイニングチェアに腰掛けた白い男の背中。

「お、きたきた」

 待ってたよ、正チャン。と視線の先にいる男は未来の夢と変わらない声で正一の名前を呼ぶ。なまえは未来の夢を見てから何度も考え、そして自分の中で折り合いをつけて消化していった、筈であった。目の前の男を見るまでは。やはり夢でないと分かっていながらも、何処か現実味の無いあの夢を完全に消化出来ていなかったのかも知れない。気付けばたった今入った客間から逃げるように走り去っていた。

「あれ」

 白蘭と目が合った瞬間に駆け出したなまえの姿を見えなくなるまで目で追うと、彼は気の抜けた声を漏らした。

「早々に振られてんじゃねーか」

「γ クンが睨みつけたからじゃないの?」

「お前のことを見て走り去っただろう」

「やれやれ……手のかかる子だねえ」

 言葉とは裏腹に白蘭の表情は優しげである。ゆっくりとダイニングチェアから立ち上がるとなまえを追うようにして客間から出ていった。

「それにしても」

 なまえの本当の瞳の色はそんなに綺麗な色だったのだな。と、 γ が言葉を続けることは無かった。きっと言わなくても他の奴らも思っただろうと、分かったからだ。



 思わず部屋を飛び出てしまったなまえはいくつもの部屋を走り抜け、中庭のような場所まで辿り着くと、隅の方で丸くなって後悔の渦に飲み込まれそうになっていた。

「こんなところにいた」

 背後からの声に小さく肩を揺らす。恐る恐る振り向くと白蘭はすぐ側まで来ていて、なまえをじっと見つめていた。

「えっ?!」

「おっと危ない」

 驚きのあまり勢いよく立ち上がり体が傾いた瞬間、白蘭の腕が伸びて彼女の背を支える。自然と二人の距離は狭まった。

「ご、ごめんなさい!」

「いいって」

 ずっと会ってみたいと思っていた筈なのに、いざ目の前にしたら何と言うべきか分からなくなってしまう。緊張のあまり震えるなまえの手を見た白蘭は恐る恐る声を掛けた。

「怖い?」

 驚いてなまえは顔を上げる。先程までの態度とは違い、白蘭の表情は不安そうであった。もしかして彼は勘違いをしてしまっているのではないかと、なまえは咄嗟に声を掛けた。

「ち、違うんです。私、貴方にずっと会いたくて……でもいざ会ってみたら緊張してしまって」

 なまえの言葉に少しずつ白蘭の表情は柔らかさを取り戻していく。

「本当は、会ったら話したいこと沢山あったんですけど、緊張で全部忘れてしまって……あの、その」

「名前」

「え?」

「名前、呼んでくれる?」

「びゃく、らん……さん?」

「さんは、いらないから」

「びゃくらん」

「うん、そう」

 背中に添えられた手が力が籠ると、包み込むように抱き込まれる。夢で見たよりもお互い背は少しだけ小さかったが、ふとした瞬間に感じた匂いは夢と変わず、知らない筈なのに何処か安心する香りであり、白蘭もなまえも自然と互いを引き寄せた。

「白蘭」

「なあに」

「この世界は、どうですか?」

「…………。 またなまえチャンに会えたし結構気に入ってるよ」

「良かった……」

 何処まで人のことばかりなんだと内心白蘭は呆れたが、それが彼女なのだ。彼女は優しすぎるから、夢を見ても白蘭のことを責めようとだなんて一切思いついてもいないだろう。自分のことを責めて、周りを心配して、そして後悔して、いつだって彼女は自分を犠牲にしてきた。だからこれからは、彼女が今まで犠牲にしてきた分を取り戻していきたい。そして、二人で一緒に生きていきたい。

「なまえチャン」

「はい」

「僕と友達になってくれない?」

「え……」

 きょとんとした表情でなまえは白蘭を見上げた。

「友達じゃなかったんですか……?」

「え……」

 今度は白蘭がきょとんとする場面であった。

「いや、未来では友達だったけど、なまえチャンはそんな感じじゃなかったし……」

「勝手に友達だと思っていました……」

「そしたら普通目が合った瞬間逃げないよね?」

「だからあの時はよく分からなくなってしまって……って、わあ!」

 瞬間、少しだけ離れていた距離が再度縮まる。抱き締められて、頭を強く撫でられると、目の前の彼は笑い声を上げた。

「……何処に笑うところがあったんですか?」

「相変わらずズバッと言うところは言うね。あと友達なら敬語やめてね」

「うん……」

「いい子。……ねえ、なまえチャン」

「何?」

「好きだよ」

「え……、えっ?!」

 思わずなまえは肩口に埋めていた顔を勢いよく上げる。彼は再び笑い声を洩らした。

「最初に言っておいた方が良いかなって思って」

「今友達って話し、た……よね……?」

「うん、でも未来のなまえチャンも僕のとこ好きだったみたいだし」

「でも今の私は……」

「分かってる。だから、忘れないでね、なまえチャンのこと好きだってこと」

「え……」

「これからよろしくね、なまえチャン」

 空はあの時とは違って澄み渡る青空が広がっている。涙はもう流させやしない。





- ナノ -