革命の一ページ



 乱暴な口調の裏側に、繊細な部分を隠していること。無縁そうな振りをして、わたしよりも愛を知っていること。自由と見せかけて、本当は不自由の中をずっとさまよっていること。それに気づいたときから、わたしはどうしようもなく彼を好きになってしまっていた。

 中学生のころは風紀委員会に所属していた。定期的に行われる服装や身だしなみの風紀確認。学校行事中の警備巡回。持ち物検査など。まあありきたりな仕事内容を三年間遂行した。
 彼と出会ったのはわたしが中学二年生のときだった。
 大抵、どんな子であろうとも入学したては制服に着られ、きっちりとした格好を心がけるものだ。しかし彼は、明司春千夜くんは入学式初日から奇抜な出で立ちで現れ、わたしを含めた周りの人間を驚かせた。子供らしからぬ整った容姿から、同学年かひとつ上の転校生がやってきたのかと疑ったほどだった。
 そして彼と初めて相対したのはそれから数ヶ月が経ったときのこと。定期の身だしなみチェックが行われた日だった。すでに彼は風紀委員や先生から目をつけられていて、要注意人物だと委員活動の報告で度々名前が上がっていた。

「頭は良いらしいんだよね。テストの点も高いって聞くし」
「でも見た目がああだから怖がってる子もいるみたい」

 なんて噂も流れたりしていた。

「てなわけで、その噂の明司くんが放課後没収された荷物を取りに来るから、みょうじさんよろしくね」
「わかりました」
「ただ渡すだけでいいから」

 梅雨明けの、夏めいた気候が清々しい日だった。窓から覗く空は澄み渡る青空で、風が吹くたびにひらひらと舞うカーテンとよく似合っていた。
 そんな日に、彼はノックもなしに教室へとやってきた。

「ああやっときた……」

 がらがらと引き戸が開く音がして、顔を上げたときだった。そこにはもちろん明司くんがいて、それは決して予想に反してはいなかったのだけれど、その姿が見たこともないほど傷だらけだったので、わたしは驚いて言葉をなくしてしまったのだ。

「荷物取り来たんだけど」
「……あ、うん……荷物ね、荷物……」

 理由はわからないけれど、わたしは初めから彼に恐怖心のようなものを抱いていなかった気がする。確かに見た目は少し怖くて、冷たい印象があったけれど、どうしてだかそんな気持ちになれなかったのだ。
 荷物は決して大きなものではなく、ピアスなどのアクセサリー類だったのですぐに渡せるものだった。それでもなかなか手渡さないわたしに、彼は訝しげな表情を浮かべながらこちらを見やった。

「怪我、大丈夫?」
「え?」
「手当てし切れてないところとか、いっぱいあるけど」

 入学時からあった口元の古傷の上から、真新しい打撲痕や切り傷が見える。ふと、彼の傷痕は本当に初めからそこにあっただろうかと疑問を覚えた。
 まさかわたしにそんなことを言われるとは思っていなかったのだろう。彼は僅かに固まって、けれどすぐに冷たい表情へと戻り「いいからさっさと返して」と答えた。

「あ、うん、ごめんね。はい、どうぞ」

 一番最初はこんなようなものだった。きっと向こうからしてみれば取るに足らないやりとりだっただろうし、今考えてみても些細な時間だったと思う。
 それでもわたしはその日のことがずっと頭に残っていて、彼を学校で見かけるたびになんとなく目で追ってしまっていたのだった。


 二度目の邂逅は案外すぐにやってきた。夏休みの中盤、小雨が降り始めた夕方の歩道橋の上でだった。わたしは塾の帰り、遠回りをして帰っているところだった。
 彼は傘を差していなかった。けれどそのわりに足取りは重く、行き先もないままふらりと歩いているような速度だった。

「あ、明司くん?」
「あんたは……」
「えっと、同じ学校の……この間没収されたピアスを返した風紀委員です」
「……ああ、あの時の」

 彼は合点がいったようにわたしを見やって、それから「なんの用?」と冷めた声で言った。どこか不機嫌、いいや諦めに近い雰囲気にわたしは密かに緊張した。

「傘、差してなかったから」
「出る時は降ってなかったんだよ。別にこれくらい構わないし……ていうかそれだけ?」
「それだけ、なんだけど」

 君があまりにも寂しそうに見えたから、とは言えなかった。考えすぎかもしれないし、変なやつだと思われたくなかったからだ。

「……あっそ。じゃあこれで。このままだともっと濡れるし」
「あ、待って……!」
「なに? まだなにかあるの?」
「えっと……家……そう、家はどの辺?」
「は?」
「傘がないなら、家まで送るよ」
「なんで? 別にあんたがそこまでする理由なくない?」

 わたしの口は勝手に動いていた。元より遠回りしていたこともあったけれど、今目の前にいる彼のことがどうしようもなく気になってしまったのだ。心配とも違う、興味、関心……どれも正確な言葉ではないような気がしたけれど、それでも惹かれたことは間違いなかった。
 彼は明らかな警戒心を抱いた様子でわたしを睨みつけた。それもそうだろう。会話をしたのだって少し前のほんの一瞬のみだ。そんな相手から突然こんなことを言われれば不審にも思う。わたしは躊躇いながら口を開いた。

「その、まだ家に帰りたくなくて……」
「……」
「ごめん。心配もあるけど、わたしがそうしたかっただけなの」

 ぽつぽつと傘に雨が打ちつける音が響くなか、わたしの視線は自然と地面に向いていた。明確な理由は、本当のところわたしにもよくわかっていなかった。断られるだろう。一般的に考えてみても、彼の今までの態度からみても。けれど彼は僅かな沈黙ののち、「いいよ」と、先ほどよりも穏やかに、どこか観念したようにそう言った。

「……いいの?」
「あんたがそう言ったんだろ?」
「そう、だけど……もっと嫌がるかと思ったから」
「別に。特に用もないし」

 じゃあどうしてこんなところに? とは聞かなかった。ただ差していた傘を彼のほうに傾けて、元来た道を戻っていった。
 途中、彼が行きたいと言った川沿いの橋の下で雨宿りをした。しとしとと降り続ける雨音を聞きながら、わたしと彼は横に並んで川の流れを見つめていた。

「……確かにオレはあの時真兄が、」
「……どうかした?」
「いや、なんでもない」
「ここ、よく来るの?」
「別にそういうんじゃないけど……」

 彼はときおり不思議なことを呟きながら、ぼんやりと遠くを見つめていた。それはまるで忘れかけていた思い出をなぞるような、夢と現実の違いを確認しているような、少し不安を含んだ独り言だった。
 その日からだった。わたしと彼の距離が縮まったのは。というよりもわたしが彼との距離を縮めるために、彼を見かけるたびに声をかけたのだ。通学路、廊下、中庭、北校舎の裏。彼はよく一人でいたから、声をかけるのはとても簡単なことだった。そしてそのたびに彼はうんざりした態度を取り続けていたけれど、明確な拒絶を見せたことは一度もなかった。

「ていうか、こんなトコで呑気にだらだらしてていいわけ?」
「どういうこと?」
風紀委員そっちからしたらオレはいわゆる不良で、本来だったらなんか色々言うべきなんじゃねーの?」
「色々なこと言われたいの?」
「ンなわけ」

 数ヶ月も経てば、知り合い以上友達未満といった程度の間柄にはなっていたと思う。そのころわたしたちは屋上で過ごすことが日課のようになっていて(正確にはわたしが勝手に押しかけていただけなのだが)、冬めいた空の下でときおり寒がりながら、他愛のない話をしたりしていた。

「寒くなってきたねぇ」
「じゃあさっさとどっか行けば?」
「明司くんは寒くないの?」
「……寒いけど、五月蝿い場所より遥かにマシ」
「確かに、それもそうかもね」
「……」
「……もう少しだけいてもいい?」
「……好きにしろよ」

 年下とは思えないほど彼は落ち着いていて、二人きりでいるとき、わたしはいつもリラックスできた。彼の前なら、そのままでいてもいいような気がしたからだ。実際、彼はわたしに対して多少の疑問は抱いていたかもしれないけれど、理想を押しつけることもなければ、期待をすることもなかった。それは当時のわたしにとって、とても、とても大きなことだった。




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