さよならのかわりに



 青々とした緑が目立つようになると、春らしい揺らめくような空気は流れ、一気に夏めいた気候がやってくる。そうなると学校内は年度最初の行事、体育祭の季節だ。わたしの通う高校は初夏に体育祭、秋には球技大会と決まっているのだ。
 新しいクラスメイトたちは案の定、体育祭に向けて大いに盛り上がっていた。参加競技決めのときはもちろん、クラスカラーのハチマキにはみんなでイラストや一言を添えたりもした。準備は万端である。予報では天気も良いらしい。
  そして忘れてはならないのがそのあとの打ち上げだ。噂によるとほとんどのクラスがするという。当然、わたしのクラスもここ最近はその話で持ち切りだった。クラスの中心的存在の何人かが、場所や人数などを取りまとめていた。

 体育祭を明日に控えた放課後。委員会の集まりを終えて教室に戻ると、そこはほとんどの生徒がいなくなったあとだった。すでに最後の授業を終えてからしばらくの時間が経っているため、みんな下校したか体育祭の準備か部活動に向かったのだろう。
 中には三人ほど残っていて、内二人はわたしが戻ったころにちょうど入れ違いで教室を出た。「ばいばい」「明日の体育祭頑張ろうね」なんて言葉を交わして手を振る。初めはその元気さに戸惑うこともあったけれど、なんとか友人も増え、クラスに馴染みつつあった。
 最後に残っていたのは一人の男の子で、その子はわたしを認めると、待ってましたと言わんばかりの様子でわたしを呼んだ。

「残ってるなんて珍しいね。なにかあったの?」
「みょうじに結局打ち上げ来れるかの返答を聞けてなかったと思って。一応前日までに人数をまとめたいんだよね」

 彼は今年から一緒になったクラスメイトで、体育祭の打ち上げを取りまとめてくれている子の一人だった。そういえば数日前に声をかけてもらってから返事をしていなかった気がする。わざわざ待たせてしまったことに申し訳なくなり、わたしは目の前で手を合わせた。

「え、ごめんね。わざわざ待たせちゃって」
「ううん! 全然! 俺部活とかも入ってないし、今日なんも予定なかったからさ。それで、どうかな? 出来ればみょうじにも来て欲しいなーなんて思ってるんだけど」

 去年は春千夜とともに不参加だったため(結局全ての打ち上げに参加しなかった)、今年こそは行ってみたいなと思っていたところだった。

「直前になってごめんね、参加でお願いします」
「え! まじ!? 嬉しい。去年は全く来なかったって聞いてたから今年ももしかしかしたら来ないんじゃないかって思ってたんだよね」
「あーうん、去年は色んな都合で行く機会がなくて……」
「明司だろ? 噂は聞いてるよ」

 噂、とは一体どういうものなんだろう。雰囲気的にあまり良さそうなものではない気がしたので、聞くのはやめておいた。すると彼は机に広げていたメモになにかを書き込んでから「でも、ほんと嬉しいな」と零した。

「俺、みょうじにまじで来て欲しかったんだよね」
「そうなの? あ、ありがとう」
「ねえ、今更だけどさ、連絡先交換しない? 前から聞きたくてさ」
「あ、うん、ちょっと待っててね……」

 実を言うと彼とは最近話す機会がよくあって、わたしは少し戸惑っている。なんというか彼は、わたしのクラスの雰囲気を代表するような元気さと明るさがあるのだ。周りと賑やかに過ごすのが得意な子で、みんなを引っ張っていくような……。不良、とはまた少し違い、今まで関わってきた男の子にはいないタイプの子だった。

「みょうじ、今から帰るとこ?」
「うん。委員会も終わったし、一応」
「なら俺と一緒に帰ろーよ。前にちらっと地元聞いたけど、多分途中まで一緒だと思うんだよね」
「あーうんと、うん、大丈夫だけど……」

 そして少々押しも強いので、わたしはときどきこんなふうにどう返せばいいのかわからなくなってしまう。距離感も近いからだろうか。思わず一歩引いてしまいそうになる。
 どうしよう。春千夜には委員会があるから先に帰ってくれと言ってしまったし……。そもそもなにを話せばいいんだろう。思えば春千夜や幼馴染たち以外の男の子と、こんなにも話す機会は今までほとんどなかったような気がする。
 すると、こん、と背後から壁を叩いたような音が聞こえてきたので、わたしは弾かれたように振り返った。するとそこには帰ったと思っていた春千夜の姿があった。

「え? あ、あれ、春千夜?」
「帰んぞ」
「あ、うん……えっと、○○くんも帰る……?」
「あーいや、大丈夫! じゃあまた明日!」

 苦笑いを浮かべる彼に申し訳なさを感じつつも、わたしは春千夜の方へと駆け寄った。正直なところ、助かったと思ってしまったのだ。

「春千夜、帰ってなかったの?」
「メールさっき見た」
「またサボってたんだ……」

 しかし今回ばかりは感謝するべきかもしれない。昇降口にまで来たところで、わたしはひっそりと息を吐き出す。普段わたしの周りにいる男の子たちは騒がしいときもあるけれど、個々で会うときは比較的静かで居心地悪く感じたことはほとんどなかった。なにが違うのだろう。世間一般的に言えば、今まで関わってきたみんなの方が不良と言われ、敬遠されがちだというのに。

「アイツ、何?」

 春千夜の口調は少々刺々しかった。ローファーに履き替え、とん、とつま先を合わせる。

「クラスメイトで、体育祭の打ち上げを取りまとめてくれているんだよね。最近話す機会があるんだけど……」

 苦手、というのも憚られて、わたしは思わず口を噤んだ。すると春千夜が不意にわたしの腕を掴んで引き寄せる。

「えっ、なに?」

 体制を崩しぶつかりそうになったところで、春千夜が抱き込むようにわたしの体を支える。突然のことに驚いて顔を見上げると、彼は一瞬間を置いてから「何でもねぇ」とすぐに離れた。

「あんまあの男に隙見せんなよ」
「隙を見せるなって、どうやって? 背中を見せるな的な?」
「全然ちげぇ。お前のそれは喧嘩のやつだろ」
「いや、だって……」
「俺とかいつものメンバーと同じようにへらへらしてんなよって話」

 その辺の奴らなんざ何も信用すんな。春千夜は吐き捨てるようにそう言ってから正面玄関を抜けた。そんなにへらへらしてるつもりもないんだけど……。けれども春千夜たち以外の男の子たちとそんなに関わる機会が多くないため、適切な対応というのもまたよくわからなかったのだった。


* * *


 体育祭当日。結果は三位と一番ではなかったけれど、わたしたちはとても奮闘したと思う。クラス柄ゆえ、応援は学年一位だったと胸を張れるくらい盛り上がった。

 教室に戻る途中、隣の六組の子に声をかけられた。前のクラスで同じだった女の子だ。彼女は困ったように眉尻を下げ、ぱんっと両手を胸の前で合わせる。

「なまえちゃんごめん〜、明司くん見つけるの手伝ってくれない?」
「春千夜また……いいよ、多分去年と同じとこにいるだろうから」
「助かる〜!」

 途中までは見かけていたのだが、どうやら暑さに負けて休んでいるらしい。今日はきっと図書室だ。ホームルームまでに連れて来ないといけないので、わたしは駆け足でそこに向かった。

 図書室にたどり着くと、春千夜はやっぱりそこにいた。窓側のちょうど日陰になっているところに座り、腕を枕にして机に伏せている。窓を全開にしているようで、カーテンがひらひらと揺れていた。

「春千夜」

 扉を開けた時点できっと起きているはずなのに、彼はわたしが呼ぶまで目を閉じたままだった。ぱち、と長い睫毛が小さく揺れて、透き通った翡翠の目がこちらに向く。

「体育祭、終わったよ」
「……ん」
「……春千夜?」

 普段なら嫌そうな顔をしつつも起き上がるのに、今日の彼はわたしを見つめたままじっと固まって動かなかった。寝ぼけているわけでもなさそうであるし、一体どうしたのだろう。わたしは覗き込むように前に屈んだ。
 すると枕にしていた方とは反対の手がこちらに伸びてくる。それはすっとわたしの結われた髪の毛先を摘んで、くるくると指で遊ぶように回した。

「ポニーテール」
「ああうん、友達同士でやろうって話になって……ハチマキもみんなでメッセージを書いたんだよ」

 ほら、とわたしはみんなで書いたハチマキを見せるため、リボンのように結ばれたそれをほどいた。すると春千夜は流れ落ちたそれを見つめ、わたしに視線を戻す。なんだか今日の彼は少し変だ。まるで風邪を引いたときのような、どこか寂しそうな雰囲気が漂っている。
 誘われるように手を伸ばす。すると彼の手がそれを掴んで、ぐい、と引き寄せられた。

「はる、ちよ……」

 わたしの鼻先と、春千夜の鼻先が触れてしまいそうなほど近づいたところで、ぴたりと止まる。思わず息をのんで、わたしは彼を見つめた。何年見続けても変わらない、彼の綺麗な顔。透き通るまっすぐな目がわたしを射抜いていた。
 急にどうしたの、なんて、言えるはずもなく、ただただしんとした静かな空気が流れる。まるでキスをする一秒前のような距離に、わたしは思わず緊張した。触れた手が熱い。春千夜はどうして急にこんなことをしたのだろう。
 すると静寂な空間を払うように予鈴の鐘が鳴り響いた。我に返ったように手を離す。すると彼も手をほどいて、何食わぬ顔で上体を起こした。

「体育祭ってホームルームとかあんの?」
「去年と同じなら……多分あるはず」
「はー、だる」

 固まった体をほぐすように首を左右に捻りながら、春千夜が出口へと向かう。まるでなにもなかったかのようにそのままの態度で戻っていくので、わたしは呆けて彼の背中を眺めた。一体、なんだったのだろう。もちろん彼とあんな空気になったのも、あんな距離で見つめ合ったのも初めてのことだったので、全然意味がわからなかった。手が熱い。そして心臓もどきどきする。でもこれは、きっと緊張したせいだ。あんなの初めてだったから、驚いただけで……。
 けれどもどうしてこんなことになってしまったのかは、何度考えてみてもわからなかった。

 春千夜とともに西校舎へ戻り教室に入ると、そこにはすでにわたし以外の全員が戻っていた。するとタイミングよくチャイムが鳴って、ホームルームが始まる。

「明司くん、見つかったんだよね?」
「あ、うん、いたよ」

 こそ、と隣の席に座る友人が囁く。わたしはぎこちなく頷いた。

「……なにがあったの?」
「えっ?」
「いや、さすがにわかるって。あとで教えてよね」
「う、うん……」

 けれども教えると言っても、なんと言えばいいのだろう。突然手を掴まれて、キスされそうになった? いやそもそもあれはキスをしようと思っての行動だったのだろうか? 単純に掴んだだけ? しかしそれならばどうして? 答えのない疑問が、ぐるぐると頭のなかで渦を巻いていた。


* * *


 結局、打ち上げが終わるまでわたしはずっと心ここに在らずといった状態だった。みんなとなにを話したかも覚えていないし、そもそもどうやってお店までたどり着いたのかもわからない。一応あらかじめ春千夜には打ち上げに参加することは伝えてあったので、彼と入れ違いにはなっていないだろう。今回ばかりは打ち上げに参加すると言っておいてよかったと思えた。今彼に会ったところで、きっと石のように固まるだけだ。

「じゃあみんなお疲れー! 気をつけてねー!」

 クラスメイトたちとお店の前で解散して、それぞれ帰路へと着く。わたしは他のみんなとは方向が違うので一人だ。一先ず帰ろう。そして帰ってから色々考えよう。幸い明日は休みであるし、ゆっくり考えられる。
 すると、背後からわたしを呼ぶ声が聞こえた。

「お疲れ! 一緒に帰ろうぜ」
「え、あ、うん、お疲れ様」
「もしかして疲れた? みょうじ、帰りからずっと静かだったもんな」
「あ、えっと……そう、体育祭で盛り上がりすぎちゃって……」
「うちのクラス馬鹿みたいに騒いでたもんな、しかも暑かったし」

 わたしに声をかけたのは、打ち上げを取り決めてくれていたあの彼だった。そういえば前に方向が途中まで同じだと話していたような気がする。こっち方面はどうやらわたしたち以外誰もいないようで、必然的に一緒に帰ることになった。
 道中、彼は色々な話をしてくれたけれど、やっぱりわたしは気の抜けた返事しかできず、上手く話を広げることができなかった。すると少しずつ沈黙の時間が増えていって、小さな虫の音と遠くから聞こえる車の音だけが響く。

「みょうじ、あのさ、」
「うん?」
「なんかいきなりこんなこと言われても困るかもだけど、俺、みょうじのこと気になってたっていうか、ずっと可愛いって思ってて……」

 突然の言葉に、えっ、と思わず足を止めると、彼もまた足を止めてわたしに向き合った。そこはちょうど広い公園の入口付近で、外灯が並び他よりも明るかった。真剣なまなざしの彼と目が合う。これってもしかして……。そう思った直後、彼は「好き、なんだよね」と言った。

「へ……」

 告白をされるのはこれが初めてではない。けれども最後にされたのは本当に随分前の話で、最近は全くなかった。だからわたしには縁がないのだと思っていたし、この先もあまり期待はしていなかった。とはいえ元々恋人が欲しいとも思っていなかったので、差程気にしていなかったのだけれど。しかしだからこそこんなとき、どう反応すればいいのかわからなかった。
 数秒ときが止まったように静寂に包まれる。不意に、自転車が近くを通り過ぎたところで、ようやくわたしははっとした。なにか、言わないと。けれどもわたしが口を開くより、彼の方が一歩早かった。

「付き合って欲しい」
「……」
「俺のことそんな風に見てなかったのは知ってる。だから、友達からで」

 驚きのあまりわたしはもう一度混乱して、固まった。友達から? 友達からって、もし結局そのあと好きになれなかったらどうなるの?

「えっ、と……」
「ごめん、驚いたよね」
「うん、えっと……わたし、こういうのに縁がなかったから……ちょっと戸惑ってて……」
「……明司だろ?」
「えっ?」
「アイツ、みょうじのこと気になってる奴ら全員近付けないようにしてたから」
「えっ? いや、え? 春千夜が? わざわざそんなことしないと思うけど……」
「……まじで気付いてなかったんだ」
「え?」
「いや……でも、色んな子から聞いたけど、みょうじは明司のことなんとも思ってないんだろ?」

 何度も聞かれたことのあるその言葉に、わたしは初めて頷くことができなかった。なんとも思ってない。本当に? じゃああのときどきどきしたのって、どうして? 本当に緊張だけなの? ぐるぐるとそんな言葉たちが頭のなかを回る。すると俯いたわたしを心配するように、彼が小さく屈んで覗き込んだ。

「っ!」

 不意に近づいた距離に、わたしは咄嗟に一歩後ずさっていた。春千夜がいつもいるような場所に、彼が来ただけで体が後ろへ引いたのだ。単にそれは彼と春千夜とじゃ付き合いの長さや親しさが違うというのもあるのだろうが、それだけじゃないと、わたしはこのときようやく気づいた。

「あっ、ごめん……」
「……」
「……○○くんのこと、多分この先も友達としか見られないと思う。だから、付き合えない」

 ごめんなさい。そう言うと、彼は一瞬顔を歪めたものの、すぐに困ったような笑みを浮かべて距離を取った。

「うん、だよな。ありがとう、聞いてくれて」

 わざと明るく取り繕ってくれているのだろうとわかった。すると彼がくるりと前に向き直る。そうして「俺、あとちょっと先行ったら右曲がるんだけど、みょうじはどっち?」と聞いた。

「わたしは、」

 瞬間、軽快な音がその場に響いた。わたしの携帯に着信。しかも相手は春千夜から。目の前の彼は、いいよと言うように携帯に指をさした。

「……もしもし」
「今どこ?」

 低く穏やかな声が鼓膜を揺らす。わたしは一度彼を見やってから、目の前にある公園の名前を伝えた。すると春千夜が「あそこか」と呟く。

「今から行く。そこで待ってろ」
「あ、でも今は……その」
「だから行くんだよ」
「え?」
「いいから、大人しくそこにいろ」

 ぶち、と一方的に切られたところで、わたしは携帯を下ろした。目の前の彼が「明司?」と言い当てる。嘘をつくこともできず、わたしは静かに頷いた。すると不意に、バイクのエンジン音が遠くから聞こえた。

「そういえば明司って、暴走族だったんだっけ」
「うん、と」
「平気だよ、知ってる人はみんな知ってるし。解散したのも一年前とかだろ?」

 するとどんどんエンジン音は近付いてきて、わたしたちの近くで止まった。春千夜のバイクだ。学校付近はやめた方がいいと、一年前に散々話したというのに。
 春千夜はバイクから降りてくることはなく、少し離れたところでわたしたちを見ていた。我関せずといった様子だ。

「迎え来たから、行くね」
「……おう、今日はお疲れ」
「うん、お疲れ様」

 クラスメイトを見送ると、春千夜はようやくわたしの隣に立ってヘルメットを渡した。そして大きい彼のアウターを肩にかけられる。さすがに制服は不味いからだろう。

「……春千夜」
「……なに」
「なんで急に迎えに来たの……?」

 すると春千夜は「どうせこうなるだろうと思ったから」とあっさり答えた。こうなるとわかっていた上で迎えに来た理由って? 俯いたまま考え込んでいると、痺れを切らしたように春千夜がアウターのボタンに手をかけた。
 いくつも疑問が浮かぶ。するとそのなかで、「春千夜がただの幼馴染じゃないって思ってたらどうする?」と言ったエマちゃんの言葉を思い出した。

「なんで今日、あんなことしたの……?」

 気が付いたら、するりとその言葉が出てきていた。ボタンを留めていた彼の手がぴたりと止まる。そしてゆっくりと視線がわたしの方へ向くと、ぱち、とまっすぐ目が合った。彼は屈んでいた状態だったため、いつもよりも目線が近かった。

「あんなことって?」
「だ、だから、その……あんな距離で、止まる、というか……ぶつかっちゃうくらいの距離まで近付かれるのとか……その」
「近付かれたのが、なに?」
「っ〜!」

 なんで、なんでこんなにも意地悪なことを急に言ってくるのだろう。あまりにも恥ずかしすぎて、わたしの顔はきっと真っ赤になっているはずだ。ぷるぷると無意識に震える手をぎゅっと握りしめる。馬鹿にされてもいいから、とにかく急にあんなことをするのはやめて、と、そう言うはずだった。

「だ、だからっ、間違ってキスしちゃうんじゃないかって、思っ」

 ……続きは、春千夜のくちびるが重なったことによって言うことができなかった。音もなく、静かに、上から触れるだけのキス。外灯を遮るかのように彼の顔が間近にあって、わたしは思わず固まった。

「は……」
「……」
「な、なんで……」
「好きだから」
「へ……」
「大体お前、気付かなすぎなんだよ」

 春千夜はわたしからスクールバッグを奪い取ると、くるりと踵を返してバイクの方へと向かった。そんな、急に? というかなんでそんなに平然としていられるの?

「ちょ、わたしの気持ちとか、そういうのは」

 慌ててあとを追い、春千夜の服を引っ張る。つんと伸びた裾に彼は「おい、伸びるからやめろ」とこれまたいつも通りな返答をして振り向いた。

「別にお前の答えなんか求めてないし」
「はい?」
「つうか、顔見りゃ大体わかる」

 ジャージも履いとけよ。そう言って春千夜はスクールバッグから勝手にジャージを抜き取って、わたしに投げつけた。横暴すぎる。こんな告白の仕方があっていいのだろうか。もう少しムードというか、そもそもわたしの答えだって聞いて欲しいし……。けれども返事をすると言ったって、なんて言えばいいのかもわからなかった。

「早くしろよ」
「わ、わかってるって」

 急かされるまま春千夜の元へ急ぐ。そして言われた通りに後ろに跨って、それから躊躇した。いつもならなにも考えずに彼のお腹に手を回していたけれど、たった今、こんなことがあったのだ。正直くっつくのでさえ緊張してしまう。彼のように平然と帰れるわけがない。
 それもこれも全部、春千夜のせいだ。春千夜があんなことを言うから。今になってようやく、彼に落ちてしまった。それも一気に急降下だ。

「おい、振り落とされてぇのか?」
「だって……無理……緊張して」
「……」
「春千夜があんなこと言うから、わたし、こんな急に、だって今までそんなこと考えたことなくて」

 勢いよく振り返った彼に思わず泣きつくようにそう言うと、春千夜はぴたりと固まった。な、なんか言ってよ。もっと言うなら一からちゃんと説明して欲しい。いつからそうだったのか、どうしてこのタイミングなのか。けれども望む答えは一切なく、わたしに返ってきたのは再びのキスだった。な、なんで!? これじゃあもっと緊張してしまうじゃないか。半分泣きながら睨みつけると、彼は無理やりわたしの手を取って自分の方へと回した。

「お前が悪い」
「なんでよ」
「勝手に手ぇ離すなよ。死にたくなければな」
「脅すの、禁止!」

 やけくそになって腕に力をこめると、低く唸るような音とともにバイクが発進した。流れゆく風のなかに、彼と彼の香水の匂いがする。すると心臓がきゅうっと苦しくなったので、同じく締め付けるように春千夜のことも抱きしめた。
 そしてわたしたちを乗せたバイクは、まるでそれまでのわたしたちを置いていってしまうように風を切り、颯爽と走り抜けていった。ただの幼馴染だったわたしたちに、さよならを言わせる隙もなく。



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