貴方を忘れてあげないよ
はるか昔、この世界には吸血鬼が存在していたらしい。らしい、というのも今この時代で吸血鬼に出会ったことのある人間はいなかった。そもそも御伽噺に登場するような架空の存在だとずっと思っていたのだ。そう、今この瞬間までは。
「ほらね、油断しない方がいいって言っただろう?」
鋭い八重歯がちらついて見える。瞳は肉食動物のように爛々としていた。
並盛で生まれ、並盛で育ち早18年。育った地名の通り、わたしは可もなく不可もなく平々凡々な毎日を過ごしていた。強いて言えば、人より少しトラブルに巻き込まれることは多かったかも知れない。登下校中に不審者に遭遇したり、物が無くなっていたこともしばしば。ストーカー被害もある。私は他人よりも運が無いのだ。だがそれは彼に出会う前までの話。
私には、平凡な自分には似合わない非凡な友人、のようなものがいる。それは雲雀恭弥だ。
彼とは並盛中学校、在籍中に出会った。きっかけはたまたま図書室で話した、ただそれだけの出来事であったが、その後も何かと彼に遭遇することが多かったのだ。並盛中に在籍している中で雲雀恭弥のことを知らない人間はいない。初めは怖くて仕方が無かったが、図書室では基本一人でいることが多かった為か、咬み殺されることも無く、無事並盛中学校を卒業することが出来た。高校に入学してからも、たまに連絡がきたり、私から連絡をしたり。街で出会うこともあった。その数年の内にいつの間にか彼に抱いていた恐怖心は無くなり、一方的に彼のことを友人だと思っている。彼はどう思っているのか知らないが。
まだ雲雀くんに出会ったばかりの頃、突然私の出来事を全て知っているような素振りを見せた時があった。そもそもあの時からおかしかったのかも知れない。
「君、並盛で不審者に会ったんだって?」
「何で知ってるんですか」
「並盛のことは何でも知っている」
成程。そう思って私は当時の出来事を話した。ついでにストーカー被害にあったことも。雲雀くんならどうにかしてくれるかも知れないと思ったからだ。
「それも知っているよ。これを持っておきな」
「……私、風紀委員じゃないんですけど……」
「並盛にいる限り、それがあれば今までより被害は減ると思うけど?」
手渡されたのは風紀委員の腕章であった。
「確かに効果はありそうですけど、怖がって友人まで離れてしまいそう……」
「そんな程度の奴ら、友人って呼べるのかい?」
「まあ、確かに……」
そうして私は腕章をスクールバッグに付けた。そこから顕著に効果は現れ、私は一切雲雀くんに告げたような被害に合わなくなったのだ。ちなみに、友人には驚かれたが事情を話せば寧ろ喜んでくれて、彼に対する印象も変わったようだった。
「やっぱり雲雀さん効果って凄いですね」
「でも油断しない方がいい」
「え?」
「案外すぐ近くで狙われているかも知れないよ」
そう言って雲雀くんはニヤリと笑った。
「でも、雲雀さんが倒してくれれば問題ないですよね?」
「君……変わらないね。随分人任せじゃないか」
「だって雲雀さんより強い人間なんていないでしょう」
「……人間だったらね」
「どういう……?」
一瞬、彼の瞳がぎらりと光ったような気がした。
「例えば……吸血鬼とか」
「雲雀さんってそういうの信じるタイプですか?」
その言葉に何処か含みのある表情を見せた。
「まあ、精々気をつけなね」
そんな会話をしてからもう暫く経つが、その後もこの腕章効果は絶大で、高校に入学してからも肌身離さず持っていた。私はてっきりこの腕章の文字に怖気付いて、被害にあっていないものだと思い込んだまま。
今日もいつもと変わらない一日を過ごすはずであった。少しだけ違うのは今日は私の18歳の誕生日だということ。とは言っても家族にお祝いして貰うだけであって、大きな変化は無いのだが。
学校から帰宅中、雲雀くんから珍しく連絡が来た。並中、とだけ書かれたメールに従い、帰宅中であったが、ルートを変えて並盛中学校へ向かう。彼は年齢不詳の為、高校に通っていることすら分かってない。彼は今、何をしているのだろう。
「やあ」
「久しぶり、雲雀くん」
何も言わずに歩き始める彼に着いていく。向かった先は地下であった。
「何?ここ……」
「風紀財団のアジト。まだ建設中だけど」
風紀財団?一体それは何だ。だが、風紀という名が付いているということは以前と同じようなことをしているのだろう。
奥まった所にある一つの部屋に入る。廊下とはまるで違い、中は和室であった。
「まだ付けているんだね、それ」
「だって効果絶大なんだもの」
「それより、誕生日おめでとう」
驚いた。私の誕生日を知っていたのか。それより彼は私の誕生日を祝う為に呼んだのだろうか。
「のこのことこんな所まで着いてきて、呑気なものだね」
「全く話が読めないんだけど……祝ってくれる為に呼んだの?」
「ああ、待っていたよ。君が18歳になるのを」
その瞬間、トン、と肩を押され、私は壁に押し付けられる。状況が読めずに見上げると、彼の瞳は普段と違い、赤く染まっていた。
「なまえ」
「え?」
「君がどうしてトラブルに巻き込まれやすいか、知りたいかい?」
理解が追いつかないまま、私は黙って頷いた。
「君からは甘い香りがするんだ」
「は?」
「人間には分からない、目眩がしそうなほど酷く甘い香り。それに釣られて小物達が寄り付いていた。物が無くなるのも、君の香りがするものは全て欲しくなるからだ」
「一体何の話を……」
「言っただろう?吸血鬼とか、って」
「冗談じゃ無かったの?」
「僕が今までそんなこと言ったことがあったかい?」
彼の細くて長い指が、私の頬を撫でた。
「風紀という文字に怖気付いて被害に合わなかったんじゃない。その腕章から漂う僕の匂い、この辺に住む吸血鬼であれば一瞬で誰だか分かるだろう。それに怖気付いて誰も君に手を出さなかったのさ」
ニヤリと笑った瞬間、彼の口元からは鋭い八重歯が見えた。
「待ち侘びたよ。歳を重ねるごとに君の香りは甘くなるし、僕の匂いをずっと付けたまま何も知らずに隣で笑っているんだから……全くこんなに待たせるなんて……」
彼が舌舐めずりをすると、私は背筋がぞっとした。彼の言っている意味は半分程しか理解していないが、食べられる──そう思った。
「もう腕章を付けなくたって襲われることが無いくらい、君にはもう僕の匂いがついている。もう君は僕のものだ」
無意識に体が震えていた。逃げようにも彼の瞳から逃れそうもない。足も動く気配が無かった。
彼の指が私の襟元を掴み、捲るようにして引っ張ると、私の首元に顔を埋め肌に舌を這わせた。
「ひっ………」
ビクリと震えると、彼は少しだけ笑ってから顔をあげ、牙を見せつけるように笑った。
「殺しはしないよ。もうずっと昔から僕は待っていたんだから」
逃げられる隙もなく、彼はそう言ってから私の首筋に牙を立てた。その瞬間、今まで分からなかった彼の匂いに噎せかえりそうになった。