王子様と眠り姫
なにもかもが静に包まれていた。少しだけひんやりとした空気、流れる風の音すらしない。むしろ静かすぎるほど、部屋の中は静まり返っていた。
「なまえ?」
いつもなら、なまえが先に眠って、寝息が聞こえてきたあとにオレが眠る。しかし今日は、いつまで経ってもあいつの寝息が聞こえてこなかった。そっと名前を呼んでみれば、案の定あいつは起きていたらしく、もぞりと寝返りを打ってオレの方へ体を寄せる。
「眠れねーの?」
「眠れないというより、眠りたく、なくて」
珍しい、と思った。なまえは大抵、どんなことがあってもなにかを引き摺るようなタイプではない。いや、考えてはいるんだろうが、表に出すような奴じゃないのだ。それは誰に対しても変わりなく、こうして同じベッドで眠るようになったとしても、オレにだって全てをさらけ出すことはない。
「なんかあった?」
「あったわけじゃないけど、なんとなく」
オレの胸に擦り寄る姿は、いつもよりも幼く見えた。なまえは言葉通り眠りたくないのか、目を瞑ることなく、俯いてじっと一点を見つめている。
身を捩って、ベッドの脇に置いてあるそいつを手に取る。ちらりと視線を下に移せば、釣られるようにしてなまえもオレの方に視線を移していた。頭の上にはクエスチョンマークが浮かび上がっているのが見えるよう。
「ベル?」
「ほらよ」
横たわるなまえの頭にそっと、自分のティアラを乗せてやる。すると彼女はぱちぱちと何度か瞬きをしたあと、はっとしたように目を見開いた。
「……ティアラ?」
「そ。仕方ねーから今だけ貸してやるよ」
するとなまえはもう一度、ぱちぱちと瞼を瞬かせた。そしてゆるゆると表情を和らげると、「わたし、今お姫様ってこと?」と鈴の音が鳴ったように、嬉しそうな声を上げた。想像よりも喜んだその姿に、思わずどきりと胸が高鳴る。
「今ならなんでも言うこと聞いてやるぜ」
「朝まで一緒に起きててって言っても?」
「それが望みなら」
「ふふ、ベルはティアラなんか無くったって王子様みたいだね」
「みたいじゃなくて、本物の王子なんだよ」
暗闇の中、こそこそと内緒話をしているようだった。月明かりに照らされたティアラが、なまえの頭の上できらりと光る。その姿は、息を飲むほど美しい。
なまえがじっと、オレの瞳を見つめた。「決まった?」と声をかければ、「うん、決まった」と柔らかく微笑んだ。
「明日も明後日もそのずっと先も、ベルがわたしだけの王子様でいてくれますように」
星に願うようにそっと、なまえが呟いた。馬鹿だな、こいつ。そんなこと願わなくたって、こっちは手放す気なんてさらさらねーのに。
「ばーか」
「っわ!」
「もっとすげーの強請れよ」
「すげーのって、例えば?」
「うちのボスになるとか?」
「ふふ、そんなのボスに怒られちゃうよ」
「下手したらオレら死ぬな」
「下手らしたら、じゃなくて絶対、だよ」
くすくす。そんな子供みたいな会話と笑いが零れた。その間もずっと二人の距離は近くて、笑う度に吐息が重なる。
「ベル」
「ん?」
「すきだよ」
言われた瞬間、気づけばそっとキスを落としていた。なまえは少し驚いたように固まったが、そのあとすぐに花が綻ぶような笑みを浮かべる。可愛い、だなんてこいつにあんまり言った記憶ないけど、心の中ではもう何度思っただろうか。普段は大人びているくせに、無邪気に笑う奴。良いところも悪いところも、全部全部知っている。
なまえの華奢な体をぐっと抱き寄せた。こいつがいつか、全てをオレにさらけ出す日はいつかくるんだろうか。
「ベル、あのね」
ゆっくりと、蕩けそうな声だった。もしかしたら段々と睡魔が訪れているのかもしれない。そっとなまえの言葉を聞き逃さないように耳を澄ませるが、そのあとに続く言葉はなかった。そしてすぐさま微かに聞こえてくる寝息。なんだよ、続きめちゃくちゃ気になるんだけど。
すー、と胸元で呼吸の音が聞こえる。ティアラを付けたまま眠っている姿は、まるで眠り姫のようであった。