お砂糖みたいな言葉たち
夜空を纏ったような、艶めく黒いドレス。さらけ出された首元には、星のように煌めく美しい宝石たち。それは普段と同じく夜の姿であるはずなのに、まるで正反対ように美しく、きらきらと瞬いていた。
「さ、あなたはベルちゃんとね」
「ちょっと待ってルッスーリア、あんまり押さないで」
慣れぬ姿にもたつくわたしを急かすように、ルッスーリアはぐいぐいとわたしを車の後部座席へと押し込んだ。転がるように座席に乗り込み、バタンと扉が強く閉められると、ゆっくりとそれは発進していく。車窓から見える夜空には、首元で光る宝石のような星が散りばめられていた。
「へー、可愛いじゃん」
隣に座るベルがぽつりと呟いた。くるりと声がした方を振り返り、「本当にそう思ってる?」と訝しげな視線を送れば、「オレは好きだけど?」と彼は膝に頬杖をついてわたしの顔を覗き込む。
「すぐそういうこと言う」
「素直に受け止めろって」
「素直もなにも、冗談を真に受けるほど間抜けじゃないわよ」
そう言うとベルは、「いやもう十分でしょ」と何故だか呆れたような表情を浮かべた。その言葉の意味が分からず、少しだけ首を傾げると、「いーや、なんでもねーよ」と彼は早々に説明を諦めて、両手を後頭部の後ろで組み、ぼす、と座席にもたれかかる。十分でしょ、って一体どういう意味。
◇◇◇
車窓から見える夜空が、少しずつ深まっていく。するとしばらくして車は停車し、目的地に到着したことを告げられると、ベルはさっさと後部座席から降りてしまった。
「待って、ベル」
慌てて反対側の扉を開けようと手をかければ、なぜか勝手に開かれるそれ。驚いて視線を上に持ち上げれば、わたしに手を差し伸べるベルの姿。突然のことに思わず、ぽかんと口を開けて彼の手を見つめた。
「なんつー顔してんだよ」
「え、だって……なにこの手」
「いいからさっさと降りろよ」
そう言ってベルはわたしの手をぐい、と引いた。その瞬間、慣れない靴にぐらりとバランスが崩れて、思わず彼にもたれかかりそうになる。
「わっ」
「っぶな、」
「ご、ごめん……この高さのヒール慣れてなくて」
「ししっ、そんなんで大丈夫かよ」
「……今からすごく不安です」
「ヘマすんなよ」
うっ、と鋭い言葉が体に刺さった。
そもそもどうしてこんな格好をしているかと言うと、珍しく今夜、同盟ファミリーとのパーティーにわたしたちも出席することになったのだ。普段であればヴァリアーが参加することなどそうそうないが、今回だけはどうしても参加しなければならないらしく、こうして慣れない格好をしてこの場所に立っている。
ちなみにボスは欠席だ。というよりも、ボスが欠席のため、わたしたちがここに来ることになったのだが。
煌びやかなドレスも、折れてしまいそうな細いヒールも、着慣れていないせいでなんだかそわそわする。似合うか似合わないかはさておき、暗殺部隊であっても、やはりこういう格好は少し憧れがあるものだ。
珍しくヴァリアーが出席したことで、会場内はざわざわとどよめいた。好奇、畏怖。向けられた視線も様々であったが、今夜は特に女性からの熱い視線が一番多いのではないだろうか。
普段の隊服姿とは違い、今日はスーツ姿。その上ベルは機嫌がいい時はそれなりに優しく対応するものだから、集まる視線も次第に多くなっていく。どうやら今夜は、特に機嫌がいいらしい。顔見知りの人も何人かいるらしく、「似合ってるよ」だとか、「可愛いじゃん」などと、甘い言葉を零していくのが近くで聞こえた。
誰にでも言うんじゃない。ああは言ったけれど、ちょっと期待した自分が恥ずかしい。
なんだかそれが面白くなくて、わたしはベルから少し離れた壁際で会場内の様子を眺めていた。こうして見ると、やっぱり王子様なんだな。いつもの気怠げな姿はどこへやら。
伸びた背筋に、丁寧で美しい立ち振る舞い。見慣れているはずのティアラですら、いつもよりきらきらと輝いてみえる。
なんだか急に、自分がこの場にいるのが恥ずかしくなってきた。手に持つグラスに視線を落とし、くるくると中身を揺らす。ベルはああ言ってくれたけれど、他の女性の方がうんと綺麗だし、ベルたちの隣に並んでも遜色ないほどにきらきらと輝いている。
ふと、手に持つグラスに影が差した。ベルが戻ってきたのだろうかと顔を上げれば、そこには見知らぬ男性の姿が一人。
「見ない顔だけど、どこのファミリーの子?」
「あ……えっと……」
どうしよう。こういう時、なんて答えればいいのだろうか。素直にヴァリアーって言うべき? いやそもそも暗殺部隊がそんな簡単に名乗ってはいけない気がする。
「何してんの」
すると突然、少し離れたところにいたはずのベルの声が隣から聞こえた。驚いて視線を向ければ、するりと腰に回される彼の腕。思わず息をのんだが、彼の視線は声を掛けた男性に向けられたままであり、鋭い視線を向けられたその目の前の男性は、驚いたように目を丸くしたあと、顔を青くして逃げるようにその場から去っていった。
「あれくらい適当にかわせよ」
「そんなの、わからないし」
いつもよりもずっと近いところから聞こえるベルの声に、思わず俯いた。するとドレスの空いた背中の部分に、少しだけひんやりとしたベルの指が這わされる。思わずびくりと、肩が跳ねるように揺れた。
「っ、ベル……!」
「なに? 照れてんの?」
「っ〜〜! ちょっと化粧直してくる!」
なに、あれ。
体が熱い。心臓が飛び出そうなくらい激しく音を立てている。おそらくきっと、わたしの顔は真っ赤になっていることだろう。駆け込むように化粧室へと入り、大きく息を吸う。
あれも冗談だと言うつもりなのだろうか。たくさんの感情がぐるぐると、体の中で渦を巻いている。このままじゃ、心臓がもちそうにない。
はあ、と大きくため息をついた。期待して、浮かれて、あとからショックを受ける方が悲しいのだ。おそらくきっと、他の子にもああいうことをするのだろう。自惚れてはいけない。
顔の火照りも収まった頃、気を引きしめるように鏡を見つめた。あと少し、我慢すればいい。普段着ないようなドレスを着れただけでも、まあ良しとしようじゃないか。
感情を抑えつけてから化粧室を出て、こつこつと慣れないヒールを鳴らしながら歩けば、少し先に見えたわたしのことを待つ煌めく金色。しかしその奥には、煌びやかなドレスを着た女性が一人。ベルの表情はわからなかったけれど、女性は笑みを浮かべながら会話をしているようだった。
ぐらりと、決意したばかりの意志が揺れた。やっぱり少し、寂しいかも。無意識に息を潜め、なるべく足音を立てぬように近付けば、少しずつ聞こえる会話。女性の方は何と言っていたか分からなかったけれど、その後のベルの声は微かに聞こえてきた。
「ザンネン、オレ今とびきり可愛いやつ待ってるから」
そう言って、ひらひらと女性に向かって手を振るのが見えた。自惚れてはいけない。でも先ほどまで一緒にいたのはわたしで、ベルはわたしを待つためにここにいる。もし、もしこれが、わたしのことだったら。
「気配バレバレなんだけど」
ひょこっと、扉の奥から顔を出すようにベルが姿を現した。収まったはずの熱が、再びじわじわとわたしの中で湧き上がる。
彼はわたしの表情を見ると、少しだけ驚いたようにぴたりと動きを止めた。しかしそれはほんの一瞬のことで、すぐにわたしの元へとやって来ると、呆れたような表情を浮かべる。
「気付くのおっそ」
「え……本当に?」
「どんだけ鈍いんだよ」
はあ、とベルは大きなため息をついた。
「で、どう? オレの言葉、素直に受け止める気になった?」
そう言って、ベルはにっと口角を上げた。思い浮かんだのは、今まで冗談だと思っていた数々の甘い言葉たち。
え、それって、ずっと前からそうだったってこと?
ぶわりと、今までにないくらい体が熱くなった。そんなわたしを見て、彼はいつものように、「ししっ」と笑みを零す。
見慣れたはずの笑顔なのに、なぜだかそれが今までで一番きらきらとしていてかっこよく見える。急に恥ずかしくなって思わず俯けば、「素直なのも可愛いじゃん」と言って、ベルはわたしの額にキスを落とした。