夜闇に沈む
明るい朝と、鏡がだいきらい。
まるで、黒い淀みが自分の中に広がっていくようだ。暗い夜に、涙が出そうなほど辛くなる。こんな夜はもう何度もあった。
大好きな人と結ばれてもうしばらくの時が経つ。あの日から、嬉しい気持ちと、どうして? という不安がいつもわたしに付き纏っていた。
「おい、なまえ。お前途中から様子がおかしかったが……」
「ううん。なんでもない、大丈夫よ」
スクアーロとの任務。一緒にいれることは嬉しいことなのに、それでも素直に喜べなかったのは、任務の内容が原因だった。
今日の任務は依頼人のご令嬢の護衛、そして刺客を返り討ちにすること。
同盟ファミリーからの依頼だった。護衛対象のご令嬢は血生臭い戦いや暗殺とは無縁そうな、美しくて丁寧な女性だった。ゆるりとウェーブのかかった艶のある髪に、手入れが十分にされた白魚のような手。長い睫毛に縁取られた瞳は、正しく可憐という言葉が似合う、本当に美しい女性だった。
そんな人の隣で、好きな人と任務。何かがあるわけでは無いにしろ、無意識のうちに比べてしまったのは、わたしの悪い癖だ。
本当はもっとスクアーロと話していたかったけれど、わたしは早々に部屋へと向かい、閉じこもるように部屋の扉を閉めた。刺客を返り討ちにした際に着いた返り血を流すために浴室へ向かえば、わたしを出迎えたのは大きな鏡。
「もっと、わたしも可愛ければよかったのに」
ぽつりと、気付けばそんなことを呟いていた。そんなこと言ったって、何も変わりはしないのに。ああ、なんだか、涙が出てきそうだ。
隊服を脱ぎ、シャワーの蛇口ハンドルを捻る。頭上からあたたかい温度が降り注げば、目尻から零れた涙が誤魔化されるような気がした。本当、どうして、わたしと付き合ってくれてるんだろう。誰が見たって不釣り合いにしか見えないだろうに。
スクアーロは、自信の無いわたしにいつも優しい言葉をかけてくれる。小さな違いにも気付いてくれて、今日も可愛いだとか、似合っているだとか、本当にわたしには勿体ないくらい優しくて素敵な人なのだ。それが例え、本当の言葉では無かったとしても。
ぽたぽたと、雫が零れる。付き合ってくれているのに、ずっとこんな暗いままじゃ、それこそ彼に迷惑なのも分かってる。さっきだってわたしの様子がおかしいことに気付いてくれていたのに、素っ気ない言い方をして。
ああ、もう本当、やんなっちゃうな。
「おいなまえ」
「へっ?!」
びくりと、心臓が跳ねた。浴室の扉越しからスクアーロの声。一体、いつから。全然気配に気付かなかった。
「え……っと、ごめん、なんか忘れてたっけ」
努めて何事も無かったように口を開いたけど、スクアーロは気付いているんだろうな。だって、鼻声だし。
彼はぽつりと、「お前……」と何かを話そうとしたが、そのまましばらく黙り込んでしまった。呆れてる、よね。一々こんなことで落ち込んで、いつものように自己嫌悪に陥って。
「なまえが考えてることは何となく想像がつくが」
「…………」
「お前が思ってるよりオレはなまえに惚れてんだがなぁ」
「っ、え……」
わからないけど、スクアーロはそっぽ向いたままそう呟いた気がした。
「どうせ迷惑だとか、本当は嘘なんじゃねえかとか思ってんだろうが」
「う……」
「なまえの性格なんざ初めから知ってるし、そこも含めて惚れてんだから今更なんだよ」
目の奥が熱くなった。扉越しに投げられた言葉に、思わずうずくまる。どうしよう、また泣いてしまいそうだ。
「スク、アーロ」
「んだよ」
「すき……」
「さっさと風呂浴びて出てこい。不安ならその度にどれだけ好きか分からせてやるよ」
パタン、と扉が閉まる音がして、シャワーの流れる音だけが響く。本当に、彼はわたしには勿体ないくらいの人だ。じわじわと、再び視界が緩みだす。
どろどろとした感情が、少しだけ排水溝に流れていくような気がした。