愛にとけてしまいそう

 バレンタインデー。好きな人にチョコレートを渡して告白するという、日本では一大イベント。
 しかし今では本命以外にも、友チョコ、義理チョコなんてものがあるらしい。それを知った数年前から私は、日本式のバレンタインだと言って毎年お菓子を作ってみんなに配っていた。そしてそれは今年も例外なく行うつもりであった。

「あら……もしかして、それチョコレート?」

「うん、バレンタインだしね」

「今年は去年とは違って張り切ってるんじゃない?」

「そんなことない……とは言いきれないかも」

「んもう〜! すっかり乙女ね」

 キッチンに顔を出したのはルッスーリアだった。彼は私の作業を見つめながら、「春ね〜」とうっとりした表情を浮かべている。

「それにしても、随分たくさん作るつもりなのね」

「うーん、ベルの分を別で作るってなるとこうなっちゃうんだよね」

「え?」

「え? なに」

「なまえ、それ、今年もみんなに配るつもりなの?」

 ルッスーリアの表情が、先ほどとは打って変わって冷たいものへと変わっていく。「そう、だけど……」と思わず尻すぼみになりながら答えれば、いつの間にかキッチンの入口に仁王立ちしていたベルが怖い顔をして、「は〜〜??」と声を上げた。

「ベルちゃん……なんてタイミングの悪い……」

「お前それまさか配るつもりじゃねーだろうな」

「そのまさかなんだけど……」

 みんなには変わらずお世話になっているし、もちろんベルにはみんなとは違う本命チョコを渡そうと思っていたけれど、どうやら彼はそれではだめだったらしい。
 ルッスーリアはちらちらと私たちに視線を送ったあと、「ま、今回のはあなたが悪いわね」と逃げるようにしてキッチンを出ていってしまった。今までも渡していたし、大丈夫だと思ったんだけどな。

「おい」

「う、はい」

「サン・ヴァレンティーノ。わかってんだろーな」

「わかって、る」

 サン・ヴァレンティーノ。愛する想いを伝え合う日。
 普段から愛情表現を絶やさないイタリアではそれほどいつもと変わらない日のようにも感じるが、それでも街では赤い薔薇が目立ち、ショーウィンドウにはハート型のお菓子が並ぶ日である。そして日本と違うのは、義理チョコや友チョコなどという概念がないということだ。
 ベルのあまりの圧に、思わず視線を逸らす。彼のことだからそんなにこの日をこだわるだなんて思っていなかったのだ。もう何年も一緒に過ごしてきたし、去年まではみんなと同じようにお菓子をあげていたから。
 立ち尽くす私の肩を、ベルはそっと押して作業台の方へと追い込んでいく。おしりの辺りに、作業台のひんやりとした冷たい感覚が伝わった。

「わかってて配るんだ?」

 ベルは逃げ場を無くすように作業台に手を付いて、少しだけ不機嫌そうに呟いた。視線は絡んでいないけれど、私のことをじっと見下ろしているのがわかる。

「他のやつに渡すの?」

「……ごめん」

 じり、とベルがにじり寄る。吐息がぶつかってしまいそうな距離に、じわりと手汗が滲んでいった。前まではなんとも思わなかったはずの距離が、付き合いはじめてからというものの、緊張で真っ直ぐ彼の顔を見ることが出来ない。
 ふと、ベルの細くて長い指が私の顎を掴んだ。そのままぐっと持ち上げられて、彼と視線が絡む。瞳には微かに怒りが揺らめいていた。

「オレ、結構まじで悩んでたんだけど」

「えっ、」

「なにその顔、腹立つ」

「あんまり、気にしないと思っていたから」

 顎を掴んでいた指が、私の両頬挟むようにしてむぎゅ、と掴んだ。

「あー、まじうぜー」

「ごめんね、ベル」

「来年も絶対配んなよ」

「う、うん」

「あとそれ全部オレに寄越せ」

「こんなに、食べるの?」

「じゃあオレ以外に誰が食うんだよ」

「……ごめんなさい」

「本当そういうとこ」

 小さく舌打ちをしてから、ベルは私の腕を掴んでキッチンを出た。突然のことに驚いて、思わず引き摺られるような形になってしまったが、彼は真っ直ぐ私の自室へと向かっていく。怒られる、のかな。ベルの部屋の方が近いのに。
 なんて思っていると彼は扉を乱雑に開け、ぐっと私を部屋へと押し込むと、「夜までに準備しとけ」と言って、そのまま勢いよく扉を閉めていった。

「夜まで……?」

 扉の方をじっと見つめても、もうベルの気配はない。夜までって、約束はしていないけれど、悩んでたということはどこかに連れていってくれるということだろうか。それとも、怒られる準備?

「うそ」

 振り返って、最初に目についたのはテーブルの上に置いてある真っ赤な薔薇だった。その隣にはパールホワイトの箱に包まれた何かがふたつ。え、これ、ベルが買ってきてくれたってこと?
 途端にぶわりと顔が熱くなって、両手で顔を抑えたまま座り込んだ。うそ。ベルが、わざわざわたしのために、これを? どきどきと、心臓が破裂しそうなほど音を立てている。
 どうしよう。嬉しい。けど、間に合うだろうか。緊張で箱すら開けられないような気がする。
 そもそもベルが言う、夜まで、って一体何時なの。


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