思い出は綺麗


「あいつには随分優しいじゃん」

 いつか言われた、五条さんの言葉がずっと頭に残っている。自覚は、ある。数少ない同期であるみょうじに想いを寄せていることに。

「今日、先輩たちが花火やるんだって!」

 からりと晴れた夏の朝。集合場所に現れたみょうじの開口一番はその言葉だった。「私達はこれから任務でしょう」と現実を突き付けるように言葉を連ねて、否定も肯定もしない返答をする。いや、どちらかといえば否定的ではある。

「だから、頑張って早く終わらせて、私たちも一緒に花火やろうよ!」
「いいね」「いやだ」
「なんでー!」
「七海、みんなでやりたくないの?」

 みょうじと灰原の、四つの透明な瞳が私を見上げる。期待と懇願が入り交じった、きらきらとした瞳。結局、私は二人に勝てることなど出来なくて、気付けば渋々と頷いていたのであった。


* * *


「良かった、間に合ったんだね」
「はい! みんなで頑張りました!」

 約束の時間、約束の場所に向かえば、そこには先輩たちと同期二人。一番最後に現れたのはどうやら私だったらしい。それに気付いたみょうじは腕を大きく振り上げて、「こっちだよー」と私を呼んだ。

「遅いよ七海」
「時間通りでしょう」
「さ、じゃあ行くよ」
「は?」

 ほらこっちこっち。とみょうじはお構い無しに私の手を取って、ぐいぐいと引っ張っていく。自分よりもずっと小さくて柔らかい手のひらに掴まれて、思わずそこに意識を向けてしまう。日は既に傾きかけているがそれでも暑さは変わらず残っているので、彼女の手のひらは少しだけしっとりとしていた。
 この手で毎日自分たちと同じように呪霊に立ち向かっているのだな、と思うと、妙に胸が苦しくなる。守りたい、だなんて烏滸がましいのは分かっている。

「わっ、なに」

 気付いたらみょうじの手を強く握っていたらしい。「手汗かいちゃうからやめてよ」と笑いながら、彼女は私の手を解く。勝手に繋いできたのはそっちでしょう、と言いたかったけれど、離れた名残惜しさに何も言うことが出来なかった。

「はい、じゃあ七海が漕いでね」
「さっきから全く話の流れが見えないのだが」
「まず花火がなきゃ出来ないでしょう」
「……これから買いに行くのか」

 連れてこられたのは高専内の駐輪場であった。一体誰の自転車なのかも分からないが、これで近くのコンビニまで向かい、花火を買うらしい。家入さんと灰原は留守番だそうだ。いや、なぜ私が花火を買いに行って、彼が留守番なんだ。

「灰原が行けばいいでしょう」
「でも自転車二つしかないし、七海くるの一番遅かったし」
「あの二人は」
「五条先輩と夏油先輩は自分たちで選びたいんだって」

 ならもうあの二人が最初に買っておけば良かったのではないだろうか。しかし今ここでそれを言ってしまえば、近くにいる本人達に聞かれ、何を言われるか分からないので口には出さないが。

「ちょっと待て、自転車が二つしかないって」
「うん、だからわたしと七海で一つ。わたし後ろに乗るから七海漕いでね」

 確かに目の前にあるのは二つの自転車。もう、何から突っ込めばいいのかも分からない。ちらりと五条さんたちに視線を向ければ、案の定二人はにやにやとしながら私達を見ている。本当に、あの人達といるとろくなことがない。

「七海?」
「はぁ……落ちるなよ」
「そこまでどんくさくないよ!」

 自転車を跨ぎ、サドルに腰掛ける。しばらくして自転車が少しだけ沈んだかと思うと、背中にじんわりと温もりが伝わった。いや、もう既に帰りたい。まだ高専から出てもいないが。

「おっせーよ、早く行くぞ」

 五条さんが痺れを切らしたように声を上げる。男二人で自転車を二人乗りする姿はかなり暑苦しい。そう思えばこちらの方が幾分マシなようにも思えるが、心臓にはかなり悪い状況だ。
 こうなったらさっさと向かい、さっさと帰ろう。そう気持ちが先走ってしまったからか段差でスピードを落とすことなく走り抜けてしまい、ガタン! と大きく自転車が跳ねる。「うわあ!」と背後から彼女の声が響き、咄嗟に何かに捕まろうとしたのか腰元に回されたのは細くて白い腕。

「び、びっくりしたー」
「…………」
「七海?」
「……なんでもない」

 任務から帰った後、急いでシャワーを浴びたのだろう。抱きつかれた衝撃でふわりとシャンプーの香りがした。先程までの任務の時とはまるで別人のように、ただの女の子になったみょうじはとにかく心臓に悪い。 意識を向けないよう心掛けても、お腹の辺りに感じる体温と背中に伝わる柔らかさからはどうにも逃れそうにない。本当に、何でこんなことに。


* * *


 近かった筈のコンビニが、これほど遠く感じることはもう一生無いと思う。みょうじは目的地に着いた途端、コンビニに一目散に向かっていった。五条さんと共に騒ぎ立てながら花火を片っ端からカゴに入れている姿はもうほとんど子供同然である。

「青春だね」
「……からかわないでもらえますか」
「ごめんごめん」

 隣に立った夏油さんが笑う。その後に続けられた、「本気だもんね」という言葉に思わず項垂れそうになった。
 違う、そうじゃない。いや、違ってはいないけれど。

「帰りは私があの子を後ろに乗っけようか?」
「いや、」
「じゃあ悟にする?」
「尚更嫌です」

 今度は笑うことなく夏油さんは、「あの子、七海と一緒に花火やりたかったんだって」と言った。
 それが本当なのか、そうでないのかは分からない。彼女の場合、私だけでなく灰原を含めたみんなでやりたいという意味で言っている可能性もあるので手放しには喜べないところではあるが、嬉しくないわけでは無かった。

「七海もほら選んで」
「選ぶも何も全部入っているだろう」
「今なら何でも入れていいって五条先輩が!」
「んなの一言も言ってねーよ」

 とは言いつつ五条さんも、みょうじがお構い無しに入れた関係のないお菓子やジュースを退けようとはしていない。彼女の真っ直ぐな心は、周りを明るくさせるような力を持っていた。本当に眩しいくらいに。


* * *


「随分遅かったな」

 家入さんの言葉通り、コンビニでの滞在時間は想像の倍以上であった。原因はほとんど五条さんのせいなのだが、詳しい話はもう思い出したくも無いので省略する。
 日もとっぷりと暮れ、高専の近くの河原に集まって各々準備をしていた。バケツを用意したり、石の上に蝋燭を立てたり。

「最初は何からやる?」
「打ち上げ花火だろ」
「いやそれは絶対に最初じゃないと思いますけど」

 結局、一番数の多い手持ち花火を初めに付けることになった。蝋燭に灯る火の上に、先端の紙をそうっと宛てがう。するとパチ、と音がした後に、それは青い光を放ちながら眩しく瞬いた。

「わたしのやつと色が違う!」

 隣にいたみょうじの方に視線を向ければ、言葉通り彼女の持つ花火からは赤い光が瞬いていた。「綺麗だねえ」と心の声を漏らすように呟いた彼女の言葉が、すっと心に溶け込んでいく。初めは渋々参加したものの、その瞬きを見てしまえば存外悪くないなと思った。

「あ、終わっちゃった」
「まだまだ沢山あるでしょう」
「次は何色かなあ」

 火花を散らす花火の先端から、火を分け与えるように二つを重ね合わせる。今度は私が赤で、彼女が青色。重なったところだけが薄らと紫色のようにも見えて、思わずほうっと息を吐いた。
 沢山のあった筈の花火はあっという間にバケツの中に貯まっていく。五条さんが両手に何本も手持ち花火を持ったまま振り回して、彼女もまた面白がってそれを真似して。先輩達がニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら火を付けたネズミ花火が激しく火花を散らして彼女の方へと向かっていった時は、驚いた彼女が私にしがみついたせいで色んな意味で心臓が止まるかと思った。

「あと残っているのは打ち上げ花火だけだね」

 灰原の言葉に、みょうじは少しだけ寂しそうな顔をした。三つ並べた導火線に火をつけるとパチパチと小さく音がして、ポシュと軽めの音が鳴る。思っていたよりも高く打ち上がったそれは、空中で弾けるように赤い火花を散らせた。続いては黄色、そして青色。
 花火を見上げる彼女の横顔は、先程まではしゃいでいた子供のような表情ではなく、何かを憂いているような、大人びた表情を浮かべている。何となく、手の甲でこつんと隣の甲に触れると、彼女の手のひらがぴくりと揺れた気がした。お互い前を向いていたので表情は分からなかったが、その後、彼女の指が触れることは無かった。


* * *


「七海」

 片付けも終え、自転車をゆっくり手で押しながら高専の寮までの道を辿っている時だった。背後から掛けられた声にゆっくりと振り返る。私の名を呼んだみょうじは、笑みを浮かべながら隣に並んだ。

「ありがとうね」
「……何が」
「花火、なんだかんだ一緒にやってくれて」
「もう二度とやらないからな」
「えー、またやろうよ」

 言葉とは裏腹に、みょうじは笑ったままだった。背後からは、もっと派手なやつがよかったな、などと言っている先輩達の声が聞こえる。「……やるならもっと静かにやりたい」と彼女にしか聞こえない程度で呟くと、彼女は何度か目を瞬かせてからニヤリと悪い笑みを浮かべて「じゃん」と小さな鞄から何かを取り出した。

「実は、夏油先輩から一袋だけ貰っておいたの」

 これでまた一緒に花火やらない? 今度は静かにひっそりとさ。そう言った彼女の表情は、またあの無邪気な笑顔に戻っていた。先程見たあの表情が、幻だったのではと思えるほどに。

「……仕方ないな」
「素直じゃないね」
「灰原にはもう伝えたのか」
「うん、さっきね」

 我儘を言うなら、みょうじにはいつまでもあの無邪気な笑顔でいて欲しいと思う。この楽しいひとときが永遠で無いと分かっているのにそう願うのだから、本当にこれは私の我儘だ。
 しかし少しでもその我儘が叶うのならば、私は彼女よりも強くありたいと思う。守りたいなどと言えば、同じ呪術師である彼女を傷付けることにもなるので軽々しくは言えないけれど。

「なにそれ、線香花火?」

 みょうじを挟んだ向かいの隣に灰原が並んだ。彼女は驚いたように線香花火が入った袋を手で覆うように隠す。灰原には、伝えたのではないのか?

「なんでもない!」

 みょうじは線香花火が入った袋を小さな鞄の中にぐっと押し込んでから、前を歩く家入さんの方へと走っていった。瞬間、彼女の耳が真っ赤に染まっていることに気付く。いや、暗いから見間違えかも知れない。そう自分に言い聞かせている時、夕方夏油さんに言われたことを思い出した。
 あの子、七海と一緒に花火やりたかったんだって。
 もしあの言葉が本当ならば。これは、もしかして、もしかするのか。

「あんなに慌ててどうした、って、え?! 七海?!」

 灰原が顔を覗き込むのを阻止することすら出来ぬくらい、頭がぐらぐらする。
 今までそんな素振りしていなかっただろう。そう言いたくても、その相手は既にずっと先を歩いている。
 しかしあの言葉が本当で、本当にもしかするならば。もうこの感情を止める理由など無かった。



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