月夜にうとうと


 夜の二十三時を過ぎたあたりで、突然スマートフォンから軽快なメロディーが流れた。明日も任務が入っているので今日は早めに寝ようと、ベッドに潜り込んだところで、だ。誰だ、こんな時間に。まさか高専から緊急の連絡? しかしそうだとしても遅すぎるし、今日は特に等級の高い任務などもなかったような気がするけれど。思わず目を細めながらおもむろにスマートフォンを傾ければ、画面に大きく表示されていたのは五条悟の文字。予想はどれも違ったらしい。ああ駄目だ、これに出てはいけない。思わず目を閉じてしまいたくなるほど嫌な予感しかしなかったので、わたしは電源ボタンを一度押してメロディーを止めた。見なかったことしよう。そしてもう寝よう。間違いなく悪いことが起きる。ポイッと枕元に投げやったのち、わたしは背を向けてベッドにもう一度潜り込んだ。
 ……この着信音の名前はなんだっただろうか。たしか煌めきだかシャイニーだか星だか、きらきらとした名前だったはずだ。そんな名前通りの可愛らしいしゃらしゃらとしたメロディーであるのに、さっきの着信相手のせいか無性に苛立って仕方がなかった。何度もかけるな。一体何時だと思ってるんだ。そういえば今日は等級の高い任務もないからと、五条、夏油、七海、灰原、伊地知の男五人で飲みに行くのだと、灰原が言っていたような気がする。聞いた瞬間、伊地知を本気で心配したことを思い出した。隣にいた七海もあまり乗り気じゃない様子だったけれど、こんな機会もなかなかないからと灰原に押されて渋々了承したようだった。ああ思い出した。絶対その飲み会でなにかあったのだ。でなければこんな時間に五条から連絡が来るはずがない。彼以外の誰かになにかあったか、はたまた誤って彼自身がお酒を飲んで無闇矢鱈に電話をかけているか。どちらにしても有り得そうだったので、思わず苛立ちのまま手を握って怒りをやり過ごす。出たくない。本当に出たくない。このまま切れてくれないだろうか。
 二度あることは三度ある。はたまた彼からすれば三度目の正直か。再びしゃらしゃらと音程の高く、煌びやかなメロディーが流れる。さすがにもう無理だと諦めた。もう十年近く関わっているのでわかるのだ。こういう場面において、彼は信じられないほど諦めが悪いということを。電気を付けて通話ボタンを押す。同時にため息が零れたが、聞かれたところで別に構わなかった。

「あー! もうやっと出た! なまえ、一生のお願いがあるんだけど」
「無理」
「いやまじで頼むって、僕じゃもう無理。どうにかして」

 どうやら五条は酔っ払ってはいないようだった。珍しく焦った様子で、わたしが電話に出たことを心底安堵したような、喜ぶような反応をしている。酔っ払っていないのならば、他の誰かになにかあったか、はたまた全く関係のない事柄か。とはいえ後者だった場合、彼に出来ないことはほとんどないので、わざわざわたしに電話をかけてくる必要なんてないと思うけれど。

「飲み会だったんじゃなかったの」
「なに、傑から聞いてたの? それなら話が早い。そう、飲んでたんだけど、色々あって傑が結構酔っ払ってさあ、なまえ引き取ってくんない?」
「……なんでわたし?」

 そもそもわたしは夏油から飲み会の話を聞いたわけではない。しかしそれをわざわざ説明するのも面倒だったので、ひとまずそれだけを答えた。すると電話越しの五条は「お前以外適任者がいない」とか「僕ももう無理」とか、訳のわからないことを続けた。五条が無理ならばわたしにだって無理だと思う。というよりそこまで酔っ払うって、一体どんな飲み方をしたのだろうか。そろそろアラサーと呼ばれる年齢にもなるのに。学生のころと同じ飲み方をするな。いや学生は飲んじゃいけないんだけど。そんなことを考えていると、五条の声とは別に「なまえの声が聞こえる」と、わたしが知るものよりも、うんとたどたどしい声が鼓膜を揺らした。

「そうそうなまえ。今から行くから」
「……なんで悟がなまえのところに行くんだ」
「ちげーよ! 行くのは僕じゃなくてお前! 急にキレんな」

 たどたどしいかと思えば突然凄むような低い声に変わったのは、夏油に間違いないだろう。飲み会は終わったのか他のメンバーの声などは聞こえず、二人だけの会話だけが耳に流れ込んでくる。するとタクシーに乗り込んだのか五条が誰かと話すような声が聞こえてきて、その次にわたしの家の住所が聞こえてきた。って、ちょっと待って。今わたしの家に行くって言って、住所まで言ってたよね? というかなんでわたしの家の住所知ってるの?

「ちょっと五条!」
「ということだから、今から行くから傑のことお願い」
「お願いってなにが、あ! ねえ!」

 ブチ、と通話が切れて、そののちツーっと虚しい音が響く。今日は早く眠れそうだって言ったの、誰だっだっけ。


* * *


 十五分後くらいに彼らはやって来た。インターホンを無視してやろうかとも思ったけれど、居座られても困るのでオートロックの共有扉を解除し、玄関も開ける。電話で言っていたことは本当だったのか五条はわずかに疲労感を見せていて、覚束無い足取りの夏油を引っ張った。酔っ払って半分寝ているのか意識が朦朧としているのか、とにかくふらふらと体を揺らして現れた夏油に、うわっと思わず後退る。彼はお酒が弱いわけではない。わけではないが、酔っ払うと大抵面倒なことになるのだ。それは相手によって変わってくるが、わたしに対しては小言のような不満や文句をつらつらと言うことが多い。必ずと言っていいほど前置きで「心配しているからだ」と言われるけれど、それにしたって注文が多いのだ。
 しかしこんなにも酔っ払っている夏油はほとんど初めて見るような気がする。文句を言ってやろうかと五条を睨み付けると、彼は「もしかして寝るところだった?」と悪びれる様子もなく笑った。もしかして、じゃなくて大抵の人はこの時間に寝るんだよ。そう言ってやろうかと思った矢先、五条に肩を抱かれ壁に手を付いていた夏油が突然わたしの手を取った。

「っ、ちょっ……えっ?」
「なまえだ」

 手を取られて、抱きしめられた。え、うん、ごめん、どういうこと? 自分の置かれた状況を把握出来ずにぽかんとするわたしと、同じく呆気に取られたように目を見開いた五条。しかし五条はすぐさま堪えきれないように吹き出してから、スマートフォンで写真を一枚撮った。いや、写真を撮る前にこの男をどうにかして欲しい。聞き間違いかもしれないけれど、胸焼けしそうなほど甘ったるい声であったし、重いし、お酒くさい。しかし五条はひとしきり笑ったあと「じゃ、よろしく」と言って立ち去ろうとした。

「いや待ってよ! これ置いていく気?」
「僕は要望通りに連れてきただけだし。それに上がったら傑に怒られそう」
「なんでそこで夏油が怒るのよ……」

 ここはわたしの家なんだけど。すると夏油が突然靴を脱ぎ始めたので、今度こそ五条は手をひらひらと振って玄関を閉めた。信じられない。本当に置いていった。バタン、と虚しく響く扉の音に呆然としていると、靴を脱いだ夏油がそのままふらりと壁に寄りかかる。当然、自力で立てない大の男をわたしが支えられるわけもない。うわ、と情けない声を上げたのち、壁に追いやられ夏油の体に挟まれた。そしてそのままわたしたちの体はずるずると下がり、玄関前の廊下で二人揃って座り込む形となった。
 聞きたいことも突っ込みたいこともたくさんあるけれど、とにかくこの男をどうにかしなければならない。成人男性、ましてやこんな大きな男など運べるわけがないのだ。歩けなくてもいい。とりあえず壁に囲うようにして覆い被さっているのをどうにかして欲しい。

「夏油、起きて」

 しーん、と沈黙が流れる。嘘でしょう? この状況で寝る? とんとん、と肩を叩いてみると小さく身じろいだので、どうやら完全には眠っていないらしい。しかしもう一度名前を呼んでみても、うーんと返事なのか呻き声なのかよくわからない声を上げるだけで、そこからうんともすんとも言わない。それどころかもぞもぞと体を動かしてわたしの首元に顔をうずめ、きゅっと抱きしめた。思わずピシ、と無駄に背筋が伸びて緊張が走る。なに、本当になにが起きているの。

「ちょっと……夏油」

 大きな男が小さく丸くなるようにわたしを抱きしめる姿は、まるで子供みたいだった。聞こえているだろうに頑なに顔を上げないところも拍車をかけているのかもしれない。
 彼が面倒な人間だということは嫌というほど知っている。それ故に息抜きをすることが下手だということも。だからか、調子のいいときに見せる姿とは別人の様子に、わたしはぽんぽんと背を叩いた。するとそっと顔を上げた夏油と目が合う。わたしの行動が意外だったのか、彼は一瞬驚いたように目を見開いたものの、すぐさま蕩けるように破顔して頬に擦り寄った。そののちぎゅうぎゅうと、きつくわたしを抱きしめる。

「もっかい」
「もっかい、ってなにを」
「さっきの。ぽんぽんってやつ」

 これ? 言いながら背中を叩くと、「うん」と夏油は嬉しそうな声で答えた。それを見て、わたしは不覚にも可愛いと思ってしまった。見た目は全然可愛くないのに。

「長期任務、昨日帰ってきたんじゃないの?」
「そうだよ」
「それなのにお酒なんて飲むから……疲れてるでしょう」
「あいたかった」
「会いたかった……?」
「うん」
「誰に?」
「なまえに」
「……わたしに?」
「うん」

 大きな子供はぼそぼそと呟くように言った。とあるアクシデントで任務が予定よりも伸びたこと。そのせいで最近眠れなかったこと。任務を終えたら一番最初にわたしに会いたかったこと。途切れ途切れだったので正確ではないかもしれないけれど、要約するとこんな感じの内容だった。正直アクシデントについての詳細はわからなかったが、珍しく強い言葉を吐いていたので聞かなかったことにした。

「そう。お疲れ様」
「……うん。なまえ、ぎゅってして」
「もうこれ以上無理ってくらい夏油に抱きしめられてるんだけど」

 なんなら苦しくて潰れてしまいそうなんですが。すると彼は不満そうに眉を顰めると、突然「傑」と一言だけ言った。なぜ急に自己紹介? 同期なのだからさすがに名前くらいは知っている。それが顔に出ていたのか、夏油はもう一度自己紹介をすると「よんでっていってるだろ」とまるで何度も注意しているかのような口振りでそう言った。いや初耳なんだけど。

「ああもうわかったわかった」
「わかったはいっかいでいい」

 前言撤回。やっぱり可愛くない。けれどもそこで突っかかるのも面倒なので、わたしは要望通りに傑、と彼の名前を呼んで、出来る限り腕を伸ばした。ぽんぽんと背を叩いて、しがみつく。

「ここじゃ寒いからリビングに行こう。動ける?」
「……うん」
「ん、いい子だね」

 ひどく酔っ払うと夏油はこんなふうになるのかと、どこか不思議な心地になりながらそう言った。いい子、という言葉になにか突っ込まれるかとも思ったけれど、なにも言わないどころかむしろ嬉しそうにへらりと笑うだけで拍子抜けしてしまう。すると彼はのっそりと起き上がると、ふらふらとした足取りでリビングへと向かった。深夜の街中で遭遇したら恐ろしくてたまったもんじゃないな。そのままソファに雪崩込むように座って、わたしの手を取り見上げる。よく見ると、確かに眠れていなかったのか隈が目立った。

「お水は?」
「いらない」
「お風呂は入れそう?」
「なまえといっしょ?」

 なんでそうなるんだ。そんなわけがないだろう。しかし酔っ払いに正論を吐くのも無駄なような気がして、「うんそれは今度ね」と適当に流すと、「ほんとうに?」「いいの?」ときらきらとしたまなざしでこちらを見上げた。無垢な少年のようだけれど、彼が確認しているのは付き合ってもいない成人済みの男女がともにお風呂に入るか、の確認だ。全くもって純粋ではない。
 前に一度この家に来たことがあるとはいえ、さすがに覚えていないだろうと浴室の説明をしたが、案外彼は覚えていたようだった。まるで自分の家のように遠慮なく進み、脱衣所で断りもなく突然服を脱ぎ始める。

「いやちょっと待って! 脱ぐのが早い!」

 見えたらどうするんだと勢いよく引き扉を閉めれば「べつにみてもかまわないけど」とケロリと阿呆なことを言った。いやむしろ構え。自分の体に自信があるとはいえ、わたしは興味ないのだ。他の女の子と一緒にしないで欲しい。なんだろう、急に苛苛としてきた。
 モヤッとして固まっていると、扉越しから「なまえ〜?」と気の抜けた夏油の声が聞こえてくる。はいはい次はなんでしょうか。やけくそになりながら返事をすると、閉めたばっかりの扉がガラリと開く。え? 開いて?

「やっぱりいっしょにはいろ」
「っ〜〜〜、こんの、あほ!!」

 見えてしまった。それはもうしっかりと。本当に最悪だ。あまりにもむかついてバシッと勢いよくお腹を叩いたけれど、夏油の体はふらつくどころかびくともしなかった。酔っ払ってさっきまでふらふらだったくせに。この筋肉馬鹿が。怒りのままリビングへと戻ると、背後から「ねえ」と寂しそうに呼ばれる。もう本当やだこの人。

「一人で入ってきて」
「ええー……」
「……もう早く寝たい」

 先ほど夏油がそうしたようにバタンとソファに雪崩込むと、洗面所の扉が閉まる音がした。そののちシャワーの音も聞こえてくる。時刻は深夜一時を回ろうとしていた。
 もはや前回夏油が家に来たときに服を置いていったのは、このためだったのではないかとさえ思えてしまう。さすがにパンツはないのでそのまま履いてもらうとして、大きなスウェットの上下は先ほど洗面所に置いてきた。するとしばらくしてズボンだけ履いた状態の彼が現れて、ぺたぺたとこちらにやってくる。だから服を着てくれ、服を。

「ん」
「え、なに?」
「かみ、やって」

 半裸の男がドライヤーを持って可愛くお強請りする姿は、どうにもちぐはく過ぎておかしかった。思わずぽかんと呆けていると、ムッと不満気な顔をした夏油がわたしにドライヤーを押し付けてきてどすんと床に座る。なんでわたしが。いやもうさっさと乾かして早く寝よう。素直に受け取ってコンセントを差したわたしに、彼はくるりと背を向けた。
 手櫛で整えながら髪を乾かしていると、眠気が襲ってきたのか夏油の頭がゆらゆらと前後に揺れた。なんだかずっとこの男のペースに巻き込まれている気がする。そもそもなんでこんなことになったんだっけ。あまりにも色んなことが起こりすぎて、つい一時間ほど前の記憶さえ曖昧だ。会いたかったって言っていたけれど、別にわたしたちはそういう関係ではない。本人には言いたくないが、まあ、割と仲のいい同期というだけだ。

「ほら終わったよ」
「……ありがと」

 ようやく寝れる。正直任務より疲れたかもしれない。大きなため息をついて、よっこいしょとソファから立ち上がると、部屋着の裾をつんっと引っ張られる。ここまでやったのだ。もう面倒は見ない。勝手にその辺で寝てくれ。しかしまあ予想通り夏油は寝惚けまなこのままわたしを見上げ、「いっしょにねる」と呟いた。そう言うでしょうね。わかってましたよ、最初から。

「夏油が寝れるほどベッド広くない」
「だいじょうぶ」

 もしかしたらここからが本当の戦いなのかもしれない。いやわたしはなにと戦っているんだろうか。手元にあったスウェットを彼の頭に無理やり押し付けて潜らせる。すぽっと首にスウェットを巻いたままの夏油がこちらを睨んだ。なんで着ないのだろう。面白くてちょっと笑いそうだったけれど、ここで笑ったら絶対負けだと思って腹筋に力を入れる。

「なにもしないから」
「まだなにも言ってないけど」

 聞く前からそう言う時点で怪しすぎる。というより本当にさっさとスウェットを着て欲しい。面白すぎて堪えるのがきつい。
 見かねて腕を通させた。しかし夏油は未だ不機嫌そうにくちびるを尖らせながら「いっしょがいい」と呟く。こうして色んな子が落とされたのだろうな、となんとなく理解した。

「そうやって可愛く言っても、わたしには意味ないからね」

 ここまで面倒を見ている時点で信憑性は低すぎるけれど、せめてもの抵抗だ。服を掴む手を無理やり離して、寝室へと向かう。着いてくる様子はなかった。さすがにそこまで強引に来るつもりはないらしい。すでに温もりの消えたベッドに再び潜り込んで、はあ、とため息をついた。結局今は何時なんだろう。
 ベッドに放り投げられたままのスマートフォンには一件のメッセージが届いていた。どうせ五条だろうと思った。余計なことに違いない。部屋のライトを暗くして、スマートフォンの画面をスワイプしながらメッセージを確認する。「明日の任務、灰原に代わってもらったから明日もよろしく」どういうこと? というか後輩に仕事を押し付けるんじゃない。

「ねえ」
「ひぃ……!」

 気が付いたら夏油が目の前にいた。びっくりし過ぎて息が止まるかと思った。スマートフォンのバックライトで目が慣れてしまったからか、彼の姿を上手く認識出来ずに瞬きを繰り返す。するとその間にするりとベッドに潜り込んだ夏油は、わたしを抱きしめて胸元に顔を埋めた。なにをやっているんだこの男は。

「ちょ、ちょっと……」
「……ない」

 ぎゅうぎゅうとしがみついているせいでそのほとんどが聞こえず、「え? なに?」と思わず棘のある声音が零れた。

「なまえいがいに、こんなことしない」

 夏油はちらりと上目遣いでこちらを見やった。もう駄目だ、諦めよう。数秒目を閉じてから、そう心のなかで呟いて「そうですか」と体の力を抜いた。すると彼もわたしが諦めたことに気が付いたのか、頬を緩ませて再び顔をうずめる。驚きと緊張で恐ろしく脈が早いが、そんなことはとっくに彼にはバレているだろう。「はは、どきどきしてる」わざわざ言葉にしなくていい。

「もう寝な」
「うん。……なまえ」

 なんなんだもう、と視線を下ろしてみるが、夏油は伏せたままだったのでどんな顔をしているかわからなかった。そののちすうすうと小さな寝息が聞こえ、お腹に回された腕が重みを増していく。寝るの早。というか重いんですけど。離れないか試しに肩を押しやってみたけれど、むしろ足まで絡められる始末で身動きが全く取れなくなった。絶対寝れない。電話に出なければよかったと本当に後悔した。


* * *


「……ん、え……え?」

 戸惑うような声と大きな振動で目が覚めた。どうやら最後の方は眠れたらしい。あのあと内蔵が飛び出るんじゃないかと思うほどきつく抱きしめられたりしたけれど、なんとか生き永らえることが出来ました。夏油は困惑した様子で視線をあっちこっちにさまよわせると、その次にはハッとしたように目を見開いてわたしの腰に回していた腕を離した。おそらく思い出したのだろう。記憶がないなんて言われたらどうしようかと思ったが、その心配はなさそうだった。

「嘘だろ……」
「嘘じゃないよ」

 間髪入れずにそう答えれば、夏油の顔が勢いよくこちらへ向いた。顔に、信じられないと書いてあるが、それはわたしの台詞であってこの男がするべき表情ではない。

「言うことは」
「す、すまなかった……」
「はあもういいけど……とりあえず離れて」
「……」
「聞いてる?」

 まさかまた寝たのだろうか。夏油が朝に弱いことは五条から嫌というほど聞いているので知っている。実際過去に、早朝からの任務で不機嫌なまま現れることもしばしばあった。

「任務は……」
「任務?」
「今日。午前から入ってただろ」
「あああれね。なんかよくわからないけど灰原が引き受けてくれることになったらしい。五条によろしくって言われたけどなにをよろしくなのかさっぱりだから、とりあえず高専には行くけど」
「そうか」

 いやそうか、じゃなくて。さっさと離れて欲しいのですが。すると夏油はどこか思案するように一点を見つめたのち、離れかけていた腕を元の位置に戻してわたしを抱きしめた。離れてっていう意味わかってないのかな? この男は。

「ねえちょっと」
「じゃあまだ寝れるな」
「はい?」
「今日は私もオフだから。もう少し寝よう」

 そう言って夏油は体をずらして、今度はわたしを胸に抱きとめるように引き寄せた。なぜ当然のように一緒に寝る感じになっているのだろうか。というより開き直るな。

「人の話を聞いてる?」
「聞いてるってば。高専に行くんだろう? 私も確認したいことがあるから、あとで一緒に行けばいい」
「わたしが答えて欲しいのはそこじゃないんだけど」

 キッと睨み付ければ夏油は、「二日酔いで頭が痛いからもう少し静かにしてくれ」と言った。誰のせいでこんなことになってると思っているのだ。怒りのあまり体が震えそうだ。いやもうぷるぷると腕が小刻みに揺れている。すると彼は「寒いの? こっちおいで」と頓珍漢なことを言って、わたしの背中をぽんぽんと叩いた。十中八九わかっているくせにこの白々しさ。やっぱり全然可愛くないし全然好きじゃない。しかしもう文句を言うのも疲れたので、とりあえず目を瞑ることにした。次起きたときには絶対タダじゃおかないと、心に誓って。



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