melt summer



 夏休み前最後の授業を終えて教室内はザワザワといつもより騒がしかった。大方、夏休みどこに行こうだとか、宿題をいつやるだとか、みんなそういう話をしているのだと思う。一年前の中学生時代と大きく違うのは、金銭面でもそれ以外でも自由な部分が広がったことだろう。家庭科部は夏休み中の活動はないので、わたしもいつもよりバイトのシフトを多く入れた。
 夏にはたくさんのイベントがある。海にプールに花火大会にお祭り。そしてその中でも今一番みんなが楽しみにしているイベントの一つは、この辺りで近々開催される夏祭りだろう。現に教室内ではちらほらとその話題が聞こえてきているし、クラスメイトや他クラスの女の子がある一点に視線を送っている。

「なまえ」
「あ、硝子」
「帰ろ」
「うん」

 硝子はいつだって他のクラスメイトよりもさっぱりとしていた。浮き立つ空気の中、普段と変わらぬ様子でわたしのことを待っている。わたしは一度だけちらりと他のクラスメイトが向ける視線の先を見やったけれど一向に視線が絡むことはなく、硝子も「いいよ、ほっとこ」と帰りを促すようにわたしの肩を叩いた。

「うん」
「今日はどうする?」
「暑いから涼しいとこがいいなあ」
「んー、駅前……は混んでるか、じゃああっちのファミレス行こうよ」
「あ、いいね」

 もう一度周りの女の子たちと同じ方向に視線を向ければ、先程見た時と変わらず夏油くんと五条くんは数人の女の子に話しかけられているようであった。別に毎日一緒に過ごしているわけでもないけれど、放課後はなんとなく四人で集まることが多かった。

「どうせあとからひょっこり現れるよ」

 硝子に言われるままわたしたちは教室を抜け、下駄箱へと向かう。最寄り駅から学校まではそれほど遠くもなく、またわたしと硝子は電車通学であったため目的地までは徒歩での移動が多かった。玄関を出て、校内の駐輪場を通り抜ければ、ジリジリと蝉の声が響き蒸し暑い空気がわたしたちを包む。先程まで涼しい教室で過ごしていたためか、より一層外が暑く感じられた。

「あー、やっぱアイツら待って自転車漕いでもらえば良かったかな」

 木陰の下を歩きながら硝子が呟いた。確かに、日陰でこの暑さなら日向は更に酷いだろう。わたしは校門を過ぎたあたりで「どうする? 待つ?」と硝子に声をかけた。しかし答えが返ってくる前にわたしたちの右側、丁度日向部分から「置いてくなよ」と五条くんが自転車に乗って姿を現した。そしてその後ろからは夏油くんも。

「おー、タイミングわかってんな」
「なんの話?」
「駅前混んでるだろうからあっちのファミレス行こうってなまえと話してた」
「あー、あの交差点の?」
「そうそう、てな訳でよろしく」

 硝子は返事を聞く前に夏油くんが漕ぐ自転車の後ろに腰掛ける。五条くんは「たまにはお前らも漕げよ」と不満そうな声を漏らしたけれど、しばらくして「早く乗れ」と今度は急かすようにわたしを見やった。

「いつもごめんね」
「なまえが漕いだら一生辿りつかねーわ」
「その前に五条くんを後ろに乗っけてなんて走れないよ」

 五条くんは言い方がキツい時もあるが根はとてもいい人だと思う。確かに馬鹿にしたような言い方をする時もあるし、実際そう思っている時もあるんだけれど。「そもそもお前自転車乗れんの?」……それはどういう意味だろうか。

「……流石に乗れるよ」
「悟。早く進んで、暑い」

 夏油くんからの急かすような言葉に、五条くんの漕ぐ自転車はキィと音を鳴らして前へと進んだ。硝子が頑なに五条くんの後ろに乗らないのは、彼の運転が結構荒っぽいからだろう。段差とか、スピードとか、そんなのはお構い無しだから。その点夏油くんは後ろに乗る人への配慮があった。たまに、羨ましいと思うこともある。
 木陰の下を走れば幾らか涼しい空気が頬を撫で、そして髪を揺らした。五条くんの白いシャツは風でパタパタと揺れ、ほんのりと爽やかな匂いがする。澄み渡る青空はどこまでも彼のように眩しかった。なんとなく、平和だなあと思った。

***

 使い古して傷がついたプラスチックのグラスにそれぞれ好きなジュースを注ぐ。やはり五条くんと夏油くんが並ぶと存在感があって、向かった先のファミレスでもそれなりに視線を集めていた。「俺が傑の分作ってやるよ」五条くんがニヤニヤとしながら指先をうろうろと動かす。暑いから一杯目は氷をたくさん入れてアイスティーでも飲もうかな。未だ悩み続ける五条くんの隣でドリンクバーとは別の、透明な箱に入れられたそれをグラスの中に注いでいく。

「はい」
「あ、ありがとう」
「あとこれも」
「え、夏油くん……なんでわかったの?」
「よく入れてるだろう?」

 五条くんの手から空のグラスを奪い取った夏油くんが、わたしにストローとそれからガムシロップとミルクを差し出した。しかし手の上に転がす前に「ああいや、向こうまで一緒に持っていっちゃうね」とコーラを入れながら伸ばしかけた手を元の位置に戻す。夏油くんは本当に人の癖だとか好みを把握していて、その立ち振る舞いに本当に同じ高校生なんだろうかと何度も疑ったことがある。そして、それと同時に色々と勘違いをしてしまいそうになる。

「うん、ありがとう」
「どういたしまして」
「俺が折角特製ジュース作ってやろうかと思ったのに」
「食べ物で遊ばない」
「うわ、出たよ」

 硝子は一足先にテーブルに着いていたようで、一人メニューを開いてぼんやりと眺めていた。「俺いちごパフェ〜」とメニューを見ぬまま呟く五条くんに、「硝子はどうするの?」と彼女の隣に座ってメニューを覗き込む夏油くん。するとわたしの隣からメニューを差し出す五条くんと目が合うと、彼はちょうどページの真ん中あたりを指差しながらニヤニヤと笑みを浮かべた。

「なまえはこれだな」
「なんでわたしだけハンバーグ……」
「食いたそうな顔してたから」
「え、本当に……?」
「悟、やめな」
「なーんか最近やたら突っかかってくるよな」
「目に余るからだよ」

 頬杖をついて不満そうな表情を浮かべる五条くんに対し、「なまえはどうする?」と夏油くんは一切彼に視線を向けなかった。

「えっと、そうしたらさくらんぼサンデーにする」
「さくらんぼ好きなの?」
「うん、フルーツはわりとなんでも」

 ピンポン、と軽快な電子音のあと、夏油くんはさらりとみんなが食べたいと言っていたものを注文した。なんだか任せっきりで申し訳なくて広げられたメニューを片付ける。しかし結局最後にはまとめたメニューを夏油くんに奪い取られてしまった。

「そういや来週お祭りあるらしいよ」

 五条くんはパッと思い出したように呟いた。多分、先程クラスメイトから聞いたのだろう。二人を囲んでいた女の子たちはおそらく彼らを誘いたかったのだろうから。

「四人で行こーぜ」
「他の子たちと行くんじゃないの?」
「は? なんで?」
「いや、うんと、誘われてそうだな……と思って」
「誘われてねーけど?」

 誘いたかったけれど誘えなかったのか、誘ったけれど誘われたと思っていないのか。うん、おそらく前者だろう。意味ありげな表情は囲んでいた女の子たちの心情を理解しているようなものであった。「クズめ」とボソリと呟いた硝子に思わず頷きたくなる。
 夏油くんはしばらくわたしたちの様子を伺ったあと「悟は初めから四人で行きたかったみたいだよ」と彼をフォローするように言葉を付け足した。

「なまえは? 行きたくない?」
「えっと、行きたい、かな」

 夏油くんの言葉に素直に答えれば、彼は「暑いから嫌だ」とボヤく硝子に視線を送った。なんだか硝子には申し訳ないことをしてしまったけれど、四人でお祭りに行きたかったのは本当のことだった。

「硝子も行くよね?」
「なまえを使ってくる時点で断られると思ってないだろ」
「いやいや、そんなことないって」
「は〜」
「よっしゃ決まりな」

 眩しい笑顔を浮かべた五条くんの言葉で夏休み最初の予定があっさりと決まってしまった。高校生活初めての夏休み。まだ始まってもいないけれど、なんだか終わって欲しくないなと少しだけ思った。


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