答え合わせをしよう



 ベルフェゴールに抱えられ、ゆらりと揺られていたためか、れんはいつの間にか眠ってしまったらしい。医務室に向かう途中、そのことに気が付いたベルフェゴールは一瞬、最悪を想像して血の気が引いていくような感覚に襲われた。

「っ……」

 思わず顔を覗き込んでれんの状態を確認する。心臓の部分は変わらず上下しており、微かだがきちんと息もある。彼女から感じる温もりに、これほど安心することなど今まであっただろうか。ベルフェゴールは思わず大きく息を吐き出した。
 腕の中で眠る彼女の表情は戦闘中からは想像がつかないほどあどけない。余程悔しいと思ったのか、目尻には薄らと涙の跡が残されていた。
 ずっと追っていた彼女はこんなにも小さく、華奢であっただろうかと、ふと思う。決して弱々しいわけでは無いが、身長を越したあたりからずっと、幼い頃見ていた背中とはどうにも違っているような気がしていた。
 届いてしまったのだ。追い続けていた彼女に。嬉しいような、切ないような、言い表せない感情が体の中を駆け巡る。それに、随分と後味が悪い結果になってしまったと、重い影が心に残った。







 ゆっくりと瞼を持ち上げれば、手のひら伝わるのは暖かい温度。何かと思い、視線をそちらに向けてみれば、見慣れた金色の髪が小さく揺れた。

「れん」

「おめでとう、ベル」

 その言葉に、ベルフェゴールは口を噤んだ。少々不機嫌そうでもあるその表情に、思わずくすくすと笑いながら彼の手を小さく握り返す。共感して欲しいなどとは思っていない。けれど今ならやっと、理由を分かってもらえるかもしれないと、れんは思った。

「私はね、烏滸がましいかも知れないけど、ボスや師匠、ヴァリアーを守るために戦いたいの」

 突然始まったそれは、彼女がずっと昔に告げた、戦う理由の違いについてであった。

「だから師匠との鍛錬はしてきても、私闘はしてこなかった。けど、ベルがもっともっと凄くなるところ、見たくなっちゃったんだよね」

 そう言うれんの表情は晴れた日の月夜のように穏やかで優しい。何も言わずに瞳の奥を見つめていれば、彼女は返事を待たずに言葉を続けた。

「だからこれからも、もっともっと強くなるところを見せてね」

「……当然だし」

「ちょっとは元気になった?」

「れん」

「なあに?」

「……ごめん」

「ううん、いいよ。……ベル、お誕生日おめでとう」

 思わずきゅう、と、れんの手を強く握った。彼女からの言葉は何年経っても変わらず魔法のように体の中に溶け込んでいく。
 勝利には勝ったかも知れない。けれどきっと、これからも追い続けていくだろう。彼女はベルフェゴールよりもずっとずっと先のことを見通している。そんな彼女の隣に、そしてヴァリアーのために戦う彼女のことを守ることが出来たら。ベルフェゴールの未来にはまた一つ、新しい道標が生まれたのだ。







 談話室に入れば、暖炉の傍のソファで眠っているベルフェゴールを見つけた。そういえば先程まで任務だった筈だと思い出せば、そのままここを訪れたのだろうと想像がつく。任務のランクもそこまで高くなかったからか、彼の隊服には傷一つ無く、勿論赤い花も咲いていない。れんはキッチンから持ってきたベイビーブルーの缶箱と、温めたホットミルクをローテーブルに置いて、暖炉の傍で暖まった。

「あ、やっと起きた」

 もぞりと動いたかと思えば、頭に乗せたティアラがライトの光を反射してきらりと輝く。「珍しいのね」と声をかけ、ローテーブルに置いていた缶箱からクッキーを一つ取り出して、ベルフェゴールの口元まで持っていけば、彼は不満そうな表情をした。

「いらね。もう餓鬼じゃねーんだから」

「疲れた時は甘いものよ」

 ほら。と、再度口元に近付ければ、彼は渋々と口を開いてクッキーを迎え入れる。1年前、れんに勝利してからも二人の距離感は相変わらずであった。

「そんなんで大丈夫なの?」

「何が?」

「何って、忘れたの?」

 今日が何の日か。
 数瞬、ベルフェゴールは一体何のことだとれんを見つめ返していたが、暫くしてから漸く彼女の言っている意味が分かったのか、驚いたように「え」と声を漏らした。

「今年もやんの?」

「当たり前じゃない、ベルの勝ち越しのまま終わるなんて私は嫌よ」

「去年言ってた話と違くね?」

「私も負けず嫌いだから」

 にやりとあざとく口角を上げたれんの表情に、ベルフェゴールも釣られるようにして口角を上げた。そう、今日は彼の17歳になる誕生日。私闘はしないと決めていたれんに、戦いを強請ったことから始まった一年に一度の戦いは、ベルフェゴールの勝利で幕が閉じたと思われていたが、どうやらそうでは無かったようだ。

「今年もオレの勝ちだね」

「じゃあ早速行こうか」

「いやいや待てよ、今何時だと」

「去年までのベルだって朝早く部屋に突撃しに来てたじゃない」

「……流石にこんなに早くねぇよ」


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