まばゆく泡沫
どこか心が浮き立つようなあたたかい風が吹けば、にゃおん、と最近出来たばかりのお友達が可愛らしい鳴き声をあげた。
「あ! まって、どこにいくの」
たん、と軽く地を蹴って、真っ白なその子は桜が舞うなかを駆けていく。まるで目的地があるようにまっすぐと走るその子を追いかけ、高専内の初めて通る坂を登った先に見えたのは、大きなさくらの木と追い続けていたその真っ白な子。そしてその子にそっと手を伸ばす、数少ない同期の姿であった。
「あれ……七海?」
坂の上は少し開けた場所になっていた。柔らかい緑色が地面いっぱいに広がり、舞い落ちるさくらの花弁とのコントラストが美しい。思わず、その中で横になる同期の名前をぽそりと口にすれば、彼は驚いたように目を見開いて勢いよく上体を起こした。
「……ごめん、邪魔して」
「いや……」
「隣、座ってもいい?」
七海は静かに頷いた。さくさくと生い茂る緑の上を歩き、少し離れたところに腰掛ける。
ゆるやかに時間が流れる空間であった。山奥にある敷地であるため辺りはとても静かであるし、校舎からも離れているため人の気配もしない。彼がとても好きなそうな場所であると思った。
「七海、たまにいなくなるからいつもどこにいるんだろうって思ってたんだよね」
「…………」
「こんな場所があるなんて、初めて知った。七海はよくここにくるの?」
「まあ、たまに」
七海は視線を合わせずにそう言った。
「……好きな場所、わたしに見つかって嫌な気持ちになった?」
「別に。そもそも、私だけの場所でもない」
生い茂る葉の隙間を歩いていた真っ白な子が、ぴょんと胡座をかいた七海の膝の上に乗る。そして狼狽えることなくその子に伸ばされる指。その様子は、今回が初めてでないのが伺えた。
「しろちゃん、七海ともお友達だったんだね」
「……しろちゃん?」
「七海の膝の上にいる猫のこと」
そう言うと七海は自身の膝の上にいるしろちゃんに視線を下ろし、今度は呆れたような顔をしてわたしを見た。
「安直だな」
「かわいいと思ってたんだけど」
「性格が出てる」
「なにそれどういう意味?」
「そのままの意味だ」
その間もしろちゃんは七海の手にそっと頬を擦り寄せていた。微かに口元を緩めて見下ろす姿は、普段の彼からは想像がつかないほど柔らかい。
春の陽射しが降り注いで、彼の金色の髪があたたかい太陽のように煌めく。俯いたことによって同じ色をした睫毛の影が目元に映った。まるでその一瞬が、私たちの生きる世界とは切り離されたような美しい映画のシーンのようにも見えて、なぜだか泣きたくなってしまった。
どこか心が浮き立つようなあたたかい風が吹く。さくらの花弁が舞って、彼のきれいな髪が揺れて、さらさらと流れる前髪を鬱陶しそうに手で押さえつける。
「七海」
「なんだ」
「また、ここに来てもいい?」
七海はまっすぐとした視線を私に向けた。
「言っただろう、私だけの場所でないと」
「うん、そうかもしれないけど、この場所、大切にしているように見えたから」
そう言うと、七海は少しだけ目を見開いて私を見つめた。手が止まったことにより、しろちゃんは今度は私の元へと近付いて私の足に体を擦り付ける。
「私が来ることによって七海がもうここに来ないのは嫌だから、来て欲しくなければ言って欲しい」
「…………」
「……七海?」
「明日」
「うん?」
「明日もまた、ここにくる予定だ」
もう一度、風が吹いた。ゆっくりと空気を吸えば、春の陽気が体中に広がって心が満たされるよう。
「ありがとう」
七海は少しだけ照れたようにそっぽを向いた。足に擦り寄るしろちゃんに手を伸ばすとその子はにゃおん! と可愛らしい鳴き声をあげた。