絡んだ糸をほどいて
それは深夜一時を過ぎたころ不定期に訪れる。静かに自室のドアノブが解錠され、ゆっくりと廊下の床が軋む音。しばらくして傍から感じる人の気配。そして、わたしの頬にそっと触れる温度。それら全てにわたしは気づかぬふりをして目を瞑ったままでいると、そろりと毛布をめくられ隙間から誰かが侵入してくるのだ。そうしてその誰かはわたしの頬や髪を優しく撫でてから、わたしを抱きすくめるように腕を回し小さく深呼吸をする。時折首元や胸元に擦り寄ってくる時もあって、その度にわたしは擽ったくて声が漏れそうになるのをなんとか堪えている。しかしここまでくれば、あとはもう一瞬だった。
静寂に包まれたのち、すう、と寝息が聞こえてきた。それが何度も繰り返されたところでわたしはようやく瞼を持ち上げて、深夜に時折訪れるその誰かに視線を向ける。ああまた今日も、ほんの少しだけ眉間に皺が寄ったまま眠っている。
約五年ほど前からお付き合いをしている傑先輩。高専を卒業後もお互い呪術師を続けていて、わざわざ引越しするのも面倒だからと高専の部屋を借りて生活をしているが、ある時からこうして時々出張や長期任務から帰ってきた彼がわたしの部屋にふらりと訪れるようになったのだ。一度目はもちろん驚いて迫り来るその誰かが怖くて仕方がなかったけれど、薄目で彼の姿を捉えた時に咄嗟に狸寝入りをしてしまったことから中々言い出せずにいる。普段わたしを甘やかすことはあれど、自分から甘えるようなことは滅多にしない人だから余計にだ。
そろりと傑先輩の腕から抜け出して、今度はわたしが彼を抱きしめるように腕を回す。わたしよりも遥かに大きい背中だから傑先輩のようにすっぽりと覆うことは出来ないけれど、ぴったりと体は寄せあった。そうしていつものように彼の頭を撫でるように手を滑らせる。五日間の出張任務。高専に戻るのは日付が変わるころだと言っていたから、寝る支度を済ませたあとすぐにここに来たのかもしれない。
眉間に寄った皺をほぐすのようにそっと触れてみる。すると傑先輩はわたしの手のひらに擦り寄るように頬を寄せたあと、わずかに目を開けて「なまえ?」とたどたどしくわたしの名前を呼んだ。
「起こしちゃいました……?」
「……」
返事が返ってこないまま数秒が経過する。もしかしたらはっきりとは起きていないのかもしれない。すると傑先輩はもう一度わたしの名前を呼ぶと首元に額を寄せて、ぎゅう、とわたしをきつく抱きしめた。
「……なまえの匂いがする」
「わたしの匂い、ですか?」
「ん……」
深く息を吸いながら、傑先輩はより密着するように足を絡ませた。そうして小さな声で「おちつく」と呟く。その姿がかわいくて髪を撫でつければ、先輩はもう一度腕に力をこめた。
「任務お疲れさまでした」
「……ん」
「ゆっくり休んでくださいね」
額にそっと口づける。すると傑先輩は再び眠りについたようで、また深い寝息が聞こえてきた。普段はしっかりとして中々弱音を吐かない人だけど、少しでも気を緩められる時間になるのなら、深夜不定期に訪れる彼のことを拒むなんて出来なかった。
* * *
大抵翌日にはわたしがすっぽりと傑先輩の腕に収まった状態に戻っているのだが、今日だけは違って彼がわたしの体に顔をうずめたまま朝を迎えた。息、苦しくないのだろうか。ほんの少しだけ体をずらしてみると、朝日が眩しかったようで彼の瞼がわずかに震える。そうしてそっと、目を開けた。
「……なまえ?」
「おはようございます」
「あれ、なんで」
傑先輩はぼんやりとわたしを見上げたのち、瞬きを二回ほどするとようやくなにか理解したように目を見開いた。そしてわたしの背に回した腕をぱっと離し、数秒固まって、またわたしの背に腕を回す。
「夢だと、思ってた……」
「夜のですか?」
「……うん」
忘れてくれ、とぼそぼそ呟く傑先輩が無性にかわいく見えて、少しだけ乱れた黒髪を整えるようにそっと梳いた。すると彼は再び固まったけれど、どこか開き直ったようにぐりぐりと額を擦り寄せて「やっぱり忘れなくていい」と小さく呟いたのち、「もう少しこのままで」とも言って、わたしに寄り添ったままもう一度眠りについた。