7!3!

 あ"〜〜、と。凡そ成人済みの、いやアラサーとも言える年齢の女性が出すべきではない声が自分の唇から零れたが、どうにも抑えることが出来なかった。刻一刻と時間が差し迫る中、頭の中では理解していてもやっぱり寂しいものは寂しいし、言葉にしたことはないけれど会いたいと思ってしまう。こんな時、本当は可愛い言葉の一つや二つ言えたらいいのにとも思うけれど、同じ職業で互いの状況もわかっている中、なによりもわたしとその相手が元は同期だったというのが大きな壁となってどうにもその“可愛らしい言葉”が言えないのだ。学生じゃあるまいし、と思うだろうが、わたしは大人になりきれないのだ、相手――七海と違って。

 思えば去年も同じようなことを思っていたような気がする。しかしそれは至極当然のことで、毎年この時期は繁忙期であるからだ。わたしたち呪術師は春の終わりから増え続ける呪霊を祓うために、この時期はありとあらゆる場所に駆り出されている。今日も、出張から帰ってきてそのまま近場の任務に向かったのだ。本当は任務から帰ってすぐさまお風呂に入り眠りにつきたいところではあったが、そうしなかったのは約三十分後に七海の――恋人の誕生日が控えているからであった。七海も本日は任務で、いつ会えるかは未定のまま。流石のわたしでも寂しいと思う。最後に会ったのはどれくらい前であっただろうか。
 しかし会いたいとは言ったけれど、もし今会えたとしてもお祝いをする準備なども出来ていなかった。むしろ出張から帰ってきたばかりで今晩の自分のご飯すらない。本当はきちんと当日に食事でもしながらお祝いをしてゆっくり時間を過ごせたら、なんてもう百回くらい考えたけれど、一度もそれが叶えられたことはない。

「あ〜」

 会いたい。でも会ってもなにもしてあげられない。でも会いたい。矛盾した気持ちがぐるぐるとわたしの中を駆け巡る。せめて、時間ピッタリにメッセージを送るくらいのことはしよう。そしてそのタイミングで次の休みを聞こう。ちなみにわたしは明日は休日で――というより休日にしたかったので無理やり今日任務に就いて日時をズラしてもらった――丸一日空いている。
 久しぶりの休日。七海へのプレゼントを用意して、ちょっと手の込んだ料理を作るための材料も準備しよう。とは言っても料理が得意なわけでもないので、あくまで“わたしの中で手の込んだやつ”だ。メッセージアプリを開いて画面をタップしながら、料理のラインナップと送る言葉を考える。

――ガチャン

「へ?」

 今、鍵、開いた……よね? 聞き間違い? いやそんな。
 頭で理解する前に心臓は激しく音を立てて一気に目が覚める。驚きと期待。だって、合鍵を持つ人なんて七海しかいない。わたしはドタバタと玄関へと向かい、廊下へと続く扉を開けた。

「うそ……」

 現実的に七海しか考えられないけれど、思わずそんな言葉が零れた。玄関では予想通り七海が、脱いだ靴を丁寧に端に揃えて並べている。しかしその姿はいつもよりも少々くたびれているように見えた。くるりと振り向いた彼と、透き通るグリーンのレンズ越しに視線が絡む。

「久々に会った一言めがそれか……?」
「いや、だって……今日来るだなんて言ってなかったから……お、おかえり……」
「ただいま」

 今日の任務は確か準一級クラスだったはずだ。それに連日続いていた任務の日々に、疲れていないはずがない。ゆらりと、いつもよりも重い足取りにわたしは思わず駆け寄る。「自分ん家の方が近いのに、」またしても可愛らしくない言葉を零してしまったことに内心嫌気が差した。

「っ、」

 七海がなにも言わずに強くわたしの腕を掴んだことで、流石に今のはまずかっただろうと一瞬にして悟った。久々に会えたのになんでわたしは毎回こう思ってもいないことを。しかし咄嗟にごめんと口にしようとした時、七海の手がわたしを引き寄せたかと思えば、そのあとぎゅう、と力強く抱きしめられた。まるで心臓ごと抱きしめられたようであった。苦しくて、でも嬉しくて。久々に感じる七海の温もりと匂いに、大袈裟かもしれないけれど少しだけ泣きそうになった。

「これだけ休日がすれ違えば会いたくなるだろう」

 昔から、お互いどこか素直になりきれない部分があったはずなのに七海はいつの間にかこんなに素直な気持ちを言うようになった。むず痒いような、気恥ずかしいような。大人になりきれないわたしは彼の言葉一つ一つに過剰に反応してしまう。今もまた、わたしの顔は熱くなっておそらく真っ赤になっているだろう。本当はここで素直に「わたしも会いたかった」と言えたら良かったのに。

「ごめん、七海。さっき帰ってきたばっかりで、家になにもない……」
「出張から帰ってきてそのまま任務に行ったんだろう? わかってる」
「いや、それもそうなんだけど、あの、明日……」

 ポンポン、と優しく頭を撫でる手に申し訳ない気持ちが募る。わたしが言いたいことを理解したのか七海は「気にするな」とだけ言った。ああ、去年もこの言葉を聞いたような気がする。

「ごめんね……」
「ああ違うそうじゃない」
「えっと……?」
「明日は休みだ」

 え。と思わず見上げると、七海は満足気にわたしを見下ろしていて、普段よりも気が緩んだようなその表情に一瞬きゅっと心臓が切なく疼いた。ここ数年、彼とこの日を共に過ごせたことはない。じわじわと押し寄せる喜びにパチパチと瞬きを繰り返せば、彼の指が優しくわたしの頬をなぞる。その手はあまりにも甘かった。

「だから今年は目一杯祝ってもらおうかと」
「う、うん……なんでも、なんでもする」

 惚けたまま呟いたわたしに七海はしばらく黙り込んだまま見下ろしたあと、ふっと小さく吹き出した。背に回されていた手が後頭部へと回り、彼の胸元へと抱き寄せられる。とくとくと規則的な鼓動の音に酷く安心した。

「やはりなにがなんでも早く終わらせてここに来てよかった。これだけ喜んでくれるなら」
「っ〜、今日の七海、なんか嫌……じゃなくて、擽ったい」
「それだけ私も寂しかったということだ」

 まるでわたしの気持ちと同じだというようなセリフにもう一度顔が熱くなるのを感じたけれど、丁度その瞬間ポケットに入れていたスマートフォンが震えた。「あ」と思わず声を上げれば、七海は不思議そうに首を傾げる。

「なんだ?」
「えっと……お誕生日、おめでとう」

 七海は一度時計を確認すると、合点がいったように緩やかに微笑んだ。ポケットの中に入っているわたしのスマートフォンの画面には“建人誕生日”と表示されているだろう。赤くなった顔を隠すように背に腕を回せば、頭のてっぺんに優しく口付けられたような気がした。



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