ひとりふたり色どり

 この時はそう、少しだけ酔っ払っていたのだ。だから硝子先輩からの言葉にその気になってしまったし、そのあと先輩が誰に連絡をしていたのかなんて全く気が付かなかったのだ。まあ、結果的にはそれでよかったのかもしれないけれど。


「はあ……彼氏欲しい」

 既にぬるくなった缶ビールを片手にぼやけば、目の前にいた硝子先輩は呆れたように私を見下ろした。しかし見下ろしただけで、それに対する返答はない。先輩ってばいつも冷たい。もう一度、今度は彼女の名前を呼んでから呟けば、「もうそれ何回目だと思ってるんだ」と至極面倒くさそうに吐き捨てて同じ銘柄の缶ビールを煽った。

「だって、春ですよ。恋人欲しくなるじゃないですか」
「冬にも同じこと言ってたけどな」
「それくらい欲しいんですよ〜」

 はあ。と大きくため息をついて、テーブルにこつんと額を乗せる。面倒くさがりながらも硝子先輩は毎回私の話を聞いてくれるから大好きだ。ただ単にお酒が飲みたいだけかもしれないけれど。
 すると彼女は深く息を吐き出したあと、「七海がいるだろう」と呆れたように呟いた。いやいや、七海はそういうんじゃないってもう何度言ったら。

「七海は……そういうんじゃないんですってば」
「でも好きなんだろ?」
「…………」

 無言は、肯定。七海とは、もはやくされ縁と言っても過言ではないほど長い付き合いになる。口は悪いしちょっと冷たい時もあるけれど、なんだかんだ優しくて、面倒みが良くて。ただの友達だと思っていたのにいつの間にか惹かれていたのはもう随分前の話。

「七海は私のことそんな風には思ってませんから」
「そうとは限らないと思うけどな」
「いや絶対ないです。七海はもっとこう、女の子らしい子が好きです、多分……」

 やだやだ。自分で言って悲しくなってきた。お酒を飲んだからちょっと感傷的になってるのかも。長い付き合いだからこそ、私はこの関係を崩したくなかった。結ばれなくても、このままでいれば彼の近くにはいられるから。

「いっそ新しい出会いでも探してみたら?」
「新しい出会い……」
「合コンとか」
「合コン……」
「なに、酔っ払ってんの?」

 訝しげに私を見遣る硝子先輩を他所に、私は一人「なるほど」と言葉を漏らした。もしかしたら突然いい出会いがあるかもしれないし。

「硝子先輩一緒に行ってくれます?」
「私はいい」
「提案しておいて……?」

 しかし、気分転換にはなりそうだ。まあ一先ず聞いてみるかと、私は傍らに置いたスマートフォンに手を伸ばした。

* * *

 やっぱりあの時の私は少し酔っ払っていたのかもしれないと、今更になって後悔をしている。あのあと友人たちに連絡をすれば、あっさりと合コンの日取りは決まってしまった。年齢も私と同い年かそれより少し下か。正直に言うとあんまり乗り気ではない。相手が悪いとかそういう意味ではなく、冷静なったら七海よりいい男がいるのかと思い始めてしまったのだ。こんなことを言えば、結局好きなんじゃんと硝子先輩には笑われてしまいそうであるが。

「ちょっと、なんで本人が一番盛り下がってるのよ」
「ごめんなさい」
「てっきり片思いの彼のこと吹っ切れたと思ってたのに」
「えぇっと、あの時はちょっと」

 昔から私のしょうもない片思いの話を聞いてくれていた友人は、どうやら私が七海のことを諦めたのかと思っていたらしい。まあ、私から連絡をしたのだからそう思われても仕方ないだろう。予定通りにお店に着けば、そこには既に男性が着席している。どうやら私たちが一番最後であったようだ。

 男女疎らになるように席に着き、時計回りに自己紹介をしていく。簡単なプロフィールと、当たり障りのない話。全員が終わったあとは、隣にいる男性と他愛もない話をしながらゆっくりと時間は過ぎていく。
 しかし思いの外、左隣にいた男性と話が合ってしまい、私はなんだかんだその合コンを楽しんでいた。話題が尽きないように言葉を連ねるその彼は年下らしく、どちらかと言えば可愛いタイプで話も面白かった。
 七海も確かに無口というわけではないけれど、最近は何かと小言のようなことばかりであったから、何だかそのやりとりが新鮮で、斜め前に座る友人が驚いたように私の背後に視線を向けていたことにも全く気付かなかったのだ。

「ねえ、ちょっと……」
「え、なに?」
「盛り上がっているところ失礼します」
「え……は、な、七海??」

 突然頭上から聞こえてきた声に何事かと思えば、そこにいたのはその最近小言のようなことばかりを言ってくる七海であった。え、なんで七海がここに? 偶然、ってそんなこと有り得ないよねと、私を含めた全員が困惑している中、「突然で申し訳ないのですが、このアホは連れて帰ります」と彼は突然私の腕を引き、割り勘にしたって多すぎる金額をテーブルの上に置くと、半ば強引に私を店の外へと連れ出した。反対の手にはしっかり私のコートやバッグ握りしめていて、無言のままずんずんと進んでいく。というか、何でそれが私のコートだって知ってるの。確かに何度か着ているから見ているかもしれないけれど。

「ちょっとねえ、七海、急になに? というかアホって、」

 もう何が何だかわからなかった。あの場に突然現れたのもわからなかったし、七海が何も言わないことも。そうして人気のない所まで辿り着くと、それまで黙ったまま私の腕を引いていた彼は、突然くるりと私を振り返ると、「はぁ」と酷く大きなため息をついた。

「本気でわかってないんですか?」
「え、私……なにかした……?」
「……いえ、貴女が気付いていると思っていた私が馬鹿でした」
「それって、どういう……」

 瞬間、七海との距離がぐっと近付いた。思わずじり、と後ずされば狭い路地の壁が背中にぶつかる。人がいないにしたって誰が来るかもわからないし、こんなこと、七海はしなさそうだと思っていたのに。
 じっと、視線を合わせるように彼が屈む。まるで逃がさないとでもいうように無言のまま距離を詰めるものだから、思わずきゅっと肩が上がる。心臓はさっきから激しく鳴りっぱなしだ。

「まだ、気付かないんですか」
「なに、を」
「好きですよ、ずっと前から」

 そう言って七海は一束私の髪を掬うと、ゆるく巻かれたその髪にそっと口付けを落とした。
 好き? 七海が私を? 好きって。

「家入さんから連絡が来たんです」
「へ?」

 私の前に差し出されたのは七海のスマートフォン。そしてそこに表示されているのは硝子先輩と七海のやりとりで、「アイツ今日合コンだって、なんか気になってた奴とセッティング出来たらしい」と、私自身も初めて聞いたような内容が硝子先輩から送られていて、私は思わず目をパチパチと瞬かせた。
 それを見た彼は、「その様子だと私たちはまんまと謀られたようですね」と再びため息をつきながらそのスマートフォンをスーツのポケットに仕舞う。え、ということはこれを見て、急いで私のところに来たってこと……?
 しかし視線を彼の手元から持ち上げれば、存外彼は機嫌が良さそうな表情をしていて、なんなら少しだけ笑みを浮かべていた。え、なにその顔。ずるい。

「まあ、結果的には家入さんに感謝をしないといけませんね」
「……ちょっと、七海」
「で、答えはどうなんですか?」

 そんなの絶対、わかってるくせに。そう言いたかったけれど、私は恥ずかしさのあまり無言のままこくりと頷くだけでなにも言えなかった。
 その反応を見て彼は再び表情を緩めて、ふっと笑みを零した。



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