聞こえない愛をして



「は〜! この悟くん本当にかっこいい」
「傑さんもめちゃくちゃかっこいい〜」

 街中を歩いていると、近くにいる女の子たちがスマートフォンを片手にそう呟くのが聞こえた。

 最近、大きなアパレルブランドのイメージモデルとして、祓本の二人が起用されたらしい。互いのSNSの公式アカウントで発表されたのち、その情報は瞬く間に広まって、大きな反響を呼んだ。なんと都心部の一番大きな屋外ビジョンに、彼らのコマーシャルが流れたほど。
 そしてその広告は、駅や街中など、いたるところに掲出されている。テレビで彼らを多く見るようになった頃にも思ったことだが、自分の旦那さんである傑の顔を画面越しや街中で見るのは、なんだか不思議な気分であった。

「写真撮っとこ」
「私も撮ろ。あ、ツーショ撮ってあげるよ」
「え! 本当?」

 もちろん彼らにも下積み時代というものがあって、努力してきた姿をわたしは昔から見てきている。なんだか、本当に人気になったんだな。わかっていたことだけれど、こういう現場を見ると改めて実感するものがあって、やはり嬉しくなる。

「ねえ、あっちで撮影してるらしいよ」
「え? なんの?」

 知らない誰かがそう言うと、辺りがざわざわとしてきた。撮影、って言ってたけどなんのだろう。人混みは苦手だから、出来るだけ回避して行きたいところである。

「え?! 祓本!?」
「うそ!?」
「月曜バラエティの撮影だって!」

 祓本? そういえば確かに、次にゲスト出演する予定のロケ撮影があるって、傑が言っていたような気がするけど……ロケ地、ここだったのか。
 人混みは避けたい。けれどどうしよう。ちょっと、気になる。
 既に先ほどまで広告を撮影していた女の子たちは、その現場らしきところに向かって行ってしまったようだ。なんなら先ほどよりも人が少ない気がする。もしかして、みんな彼らを見に行ったの?
 足を止めて暫し悩む。ロケを見られることなんて早々ないし。まあ、見にいくだけ行ってみよう、かな。結局わたしはミーハー心を抑えきれずに、彼女たちと同じ方へと足を向けて歩き出す。そしてすぐさま見えた人混み。多分あそこだ。

「やばい! 本物!」
「身長たっか!」
「スタイル良すぎない!?」

 少し離れたところから、きゃあきゃあとはしゃぐ声が聞こえてくる。そして“撮影中”と書かれた大きな看板を持った人たちが、何人も彼らを取り囲むようにして立っているのが見えた。うーん、ここからだと二人のことはあんまりよく見えないかも。

「お二人ともまだまだ余裕そうですね!」
「これくらい余裕ですよ」
「悟は身長二メートルが目標だもんね」
「馬鹿にしてんの?」
「あははは! 本当にお二人とも仲がいいですね」

 人混みの奥からそんな会話が聞こえると、「それでは次のお店を紹介します〜」という声がして、そのあと誰かが、「確認入ります」と声を張り上げた。どうやらお店の確認のために、撮影は一旦休憩になったらしい。
 すかさずファンの子たちは、二人の名前を呼んで手を振っている。黄色い声が飛び交う中、微かに傑と悟の声がするのはやはり変な感覚だ。姿は見えないけれど、だんだん人も多くなってきたし、やっぱり戻ろうかな。
 そう思い、人混みを横切ろうとしたときだった。ちょうど人が少ないところで視線を動かすと、なんと二人の姿が見えて、その上さらに目が合った。思わず、「あ」と声を上げてしまったし、二人も目を見開いてこちらを見ている。水を飲もうとしていたのか、ペットボトルのキャップを開けたままだ。
 ちなみにマネージャーさんとも顔見知りなので、彼女も驚いたようにわたしを見つめている。え、どうしよう。ちょっと見たかっただけだったのに、思いっきり顔を合わせてしまった。見れたのは嬉しいけど、向こうにそれを知られるのはかなり恥ずかしい。

「夏油さーん!」

 背後から、傑を呼ぶ声が聞こえる。既にわたしの足は、地面に縫いつけられてしまったかのようにぴくりとも動かない。こんなとき、どんな顔していたらいいの。
 すると傑はハッとしたような表情を浮かべてから、ペットボトルのキャップを閉めると、わたしの瞳を見つめたまま手を振って、あろうことか片目をぱちっと瞑った。星が出てくるような勢いで。

「きゃーー!」
「えっ、えっ、こっち振り返してくれたよ!?」
「ウインクした!?」
「待ってやばい、かっこよすぎる」

 隣や背後から女の子たちの声が聞こえてくるが、右から左状態で、全然頭に入ってこない。あまりの恥ずかしさに、気づいたらわたしは逃げ出していた。全身が熱い。湯気も出そう。なんなら心臓が飛び出そう。なにあれ。ウインク? ファンの子に? いやわたしに? どちらにしても、祓本の夏油傑のファンサービスに、まさかこんなにも動揺するとは思わなかった。なにあれかっこいい、じゃん。なんだか負けた気がする。悔しい。
 人混みをかき分けて路地裏へと身を隠す。息を整えながら頬に手を当て、顔の熱をどうにかしようとしたが、むしろ走ったせいで治まる気がしない。

「あ! いた」

 この声は多分、マネージャーさんの声だ。振り向けば、やはりそこには祓本二人のマネージャーさんがいて、彼女はわたしの名前を呼ぶと、走ってこちらまでやってきた。

「足、早くてびっくりしちゃいました。あの店で最後なんですけど、一緒に帰られますか? 今日はこのロケで終わりなんです。車で来ているので送れますよ」
「い、いえ、お構いなく」
「夏油さんと五条さんは一緒に帰りたそうにしてましたけど……」

 いやそれは多分わたしを揶揄うためだと思います。いや、むしろ絶対と言いきれる。
 マネージャーさんに当たることは絶対しないだろうが、顔も合わせてしまっているのだ。ここまで来たら逃げられない気がする。
 受け入れるしかない、のか。気づけば、わたしは渋々と頷いていた。

***

「お、ファンの子みーっけ」
「悟……」
「そんな睨まないでよ、僕に会えて嬉しいでしょ?」

 ロケバスに乗せてもらい、後部座席に座っていれば、悟がひょこっと顔を覗かせた。サングラス越しから、ちらりと視線をわたしに向けて、にやにやと笑みを浮かべている。

「まあまあ、そんな意地悪しないであげて」
「そんなこと言って、傑も家帰ったら絶対言うやつじゃん」

 彼を後ろから押すようにロケバスに乗り込んだのは傑だった。他の人たちはもうひとつのロケバスに乗ってテレビ会社まで戻るらしい。わたしたちも一度戻って、そこからマネージャーさんの運転で家まで帰る予定だ。

「にしてもなまえがあそこにいるとは思わないじゃん」
「さすがに私も驚いたよ」
「傑、あからさまにウインクなんてしちゃってさ」
「そりゃあ、なまえにはサービスしなきゃ」
「はいはい惚気ご馳走様ってなまえ、茹でダコみたいになってるけど、だいじょーぶ?」

 思い出しただけで顔が熱くなる。穴があったら入りたい。悟はわたしの頬っぺをつつきながら、嫌な笑みを浮かべている。その後ろでは傑がにっこりとわたしを見つめていた。もうやだこの二人。

「たまたまだから!」
「え〜、本当に〜?」
「近く通ったら、ロケやってるって女の子が言ってるのが聞こえて」
「見てみようかな〜って?」
「うん、そう」
「で?」
「はい?」
「どうだった?」
「どうだったとは?」
「だ〜か〜ら〜、生祓本はどうだったって聞いてんの」

 悟は、気だるそうにわたしの肩に腕を回してから顔を覗き込んだ。どう、と言われても、ロケをしているところは初めてだったが、ライブなんかは何度も見たことあるしなあ。さっきのは傑のせいで逃げてしまったけれど。

「悟」
「はいはい」

 返答に迷っていると、一瞬ぴりっとした空気が流れた。気のせいだと思うくらい一瞬のことだったが、多分気のせいではないはず。悟は、「まあ続きは傑に言ってあげなよ」と言ってわたしの肩から腕を離すと、傑に向かって両手をひらひらと揺らした。

「はあ、このまま傑ん家に行ってご飯食べてから帰ろうとしたのに」
「残念だったね」
「絶対思ってないじゃん」
「この間も来ただろう」
「タダ飯だし? ご飯美味しいし?」
「だってさ、」

 そう言って傑はわたしの隣に座ると、わたしの腰に腕を回してさりげなく引き寄せた。悟は、「うわー」と少しだけ引いたように傑を見ていたが、彼は全く気にとめていないように笑みを浮かべたままである。
 帰ったら、絶対弄られるだろうな。そう思いながらわたしはロケバスに揺られていた。


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