蕾には秘密がある



 いつもよりも仕立ての良いワンピースを着て、鏡の前でくるりと一周して身だしなみをチェックする。髪も簡単にまとめて、小さなバッグには必要最低限のものをしっかりと詰めた。うん、おそらくこれで大丈夫だろう。時々連絡は取り合うけれど近頃は全然会えていなかった旧友に待ち合わせ時刻の確認メッセージを送ってから、傍らに置いた小さなバッグの隙間にスマートフォンを仕舞う。

「じゃあそろそろ行ってくるね」
「うん、気をつけて。終わりそうな頃に迎えにいくから」
「久しぶりの休日なんだからゆっくりしてていいのに」
「私がやりたいからやるんだよ」

 慌ただしい夏が過ぎて、秋から冬に変わり始める頃。わたしの元に届いたのは中学時代の同窓会を開催する案内状であった。場所は都内の駅付近に建つ大きなホテル。正直、中学時代の友人とは数人ほどしか連絡も取っておらず本当は不参加のつもりだったのだが、迷っていたわたしの背中を傑が押してくれたのだ。
 ここ最近は傑と外に出かけることも少なかったからお出かけ用のヒールを履くのも久しかった。コツ、と音を鳴らして振り向けば目線が高くなって少しだけ距離が近くなった傑が「楽しんできてね」と、わたしの髪を一束掬って後ろに流す。

「ありがとう。行ってきます」
「ん。行ってらっしゃい」

 そうして首の裏に手を回されて軽い口付けを落とされたのち、傑は手をひらひらと揺らした。背中を押してはくれたけれど、おそらく本心は微妙なところだろう。わたしだって逆の立場なら少し不安というか、もちろん楽しんで欲しいとは思うけれどそわそわしてしまいそうだし。それをわかってしまっているからかその口付けに名残惜しさを感じてしまって、傑がいつも家を出る時に「やっぱり行きたくない」とか「なるべく早く帰る」と言うのはこういうことなんだろうか、と少しだけ彼の言っていることがわかったような気がした。

***

「いたいた、なまえ!」
「ごめんね、少し遅くなっちゃった」
「全然。五分前だよ」

 待ち合わせ場所のホテルの最寄り駅。懐かしい姿に思わず駆け寄れば、中学時代からの旧友はにこやかに手を挙げた。会うのは久しぶりだったけれど連絡は取っていたからか変な緊張感などはなく、わたしは内心胸を撫で下ろす。
 ホテルに向かう最中、旧友は今日参加するメンバーの知っている限りの名前を上げていった。その中には卒業以来会っていなかった子や懐かしい名前も揃っていて、思わずバッグをきゅっと握りしめる。なんだが急に緊張してきた。

「最近会ったのは……なまえが結婚した時と引越しした時かな?」
「うん。親族だけで式を上げちゃったから報告だけは直接したくて……あの時は急にごめんね」
「ううん。むしろ連絡くれて嬉しかったよ」

 結婚の際に旧友には直接報告をしたけれど、実は相手が祓本の夏油傑だとは言っていない。けれどもきっと苗字を伝えた時やその時のわたしの様子から、彼女はなんとなく気が付いているだろう。だから今日は傑が迎えに来た時にしっかりと彼女に報告がしたかった。傑が結婚発表をした、今だからこそ言えること。
 ホテルのロビーは吹き抜けになっていてとても広くて煌びやかだった。わたしたちはその中を抜け、案内状に記載されていた会場へと向かい、奥へ進んでいく。

「あれ!? もしかしてなまえ?」
「わっ、久しぶり」
「久しぶり! 元気だった?」

 会場内には既に人がたくさんいて、懐かしい子や正直すぐに名前を思い出せない子も何人かいた。その中で昔良く一緒にいた子たちがわたしたちに気付くと、囲むように集まってきてお互いの近況を報告し合う。

「なまえ結婚したの!? いつ!?」
「うーんと、四年くらい前かな」

 中学時代を知っている友人たちが結婚して母親になっていることになんだか不思議な気持ちになった。そのあとも懐かしいクラスメイトにみんなで話しかけにいったり、あの女の子は全然変わらないだとか、あの男の子は今でもかっこいいだとか、そんな話を他のグループの子たちと一緒にしたりもしてわたしの緊張は少しずつ解れていった。それと同時にもしこれが傑だったら学生時代の時と同じようにたくさんの女の子から話しかけられたりすんだろうかとも思って、ほんの少しだけ胸の奥がちくっとした。

「久しぶり、みょうじ」

 すると男の子のグループがわたしたちの元に来た時、その中にいた細身のスーツを着た男性が一人わたしに声をかけた。確か中三の時に同じクラスだったような……と記憶を辿っていると、隣にいた旧友は小さな声でボソッと「あの子、卒業式の時になまえに告白してなかったっけ?」とわたしに耳打ちをする。

「あ、久しぶり」
「みょうじは全然変わらないな、元気だった?」
「うん、元気だったよ。そっちは?」
「俺も変わらないよ」

 そうだ。旧友の言う通り、卒業式の終わりに彼から告白をされたのだった。思い返せばわたしが初めて告白をされたのはこの時で、それまでも男の子とはほとんど話すことがなかったから当時は酷く驚いたことをたった今思い出した。正直少し気まずいような気もするけれど、彼自身はそんな過去なんて忘れてしまったように気さくに声をかけてくれたし、もう十年以上も前のことでぎごちなくなるのも返って彼を傷つけるかもしれない。

「なまえ、結婚したんだって」
「え!? そうなの? じゃあもうみょうじじゃないのかぁ」
「普段は旧姓を名乗ってるからほとんど変わらないよ」
「へえ? 仕事の都合とか?」
「……うん、まあそんなところ」

 今の姓を聞かれたらどうしようかと思ったけれど、タイミングよく(おそらく気を使って)旧友が違う話題を振ってくれたお陰でこの話はそこで終わりになった。過去、わたしに告白をしてくれた男の子を含め数人はその先を知りたがっていたけれど正直助かったと思ってしまった。

***

 楽しい時間はあっという間に過ぎ去ってお開きの時間となった。傑にそろそろ終わりそうだということと、会って欲しい友人がいることをメッセージで送る。会場を抜けたロビーで懐かしい面々に挨拶をしていく中、盛り上がっていた元クラスメイトのグループたちは別の場所で二次会を行おうと声をかけていた。

「なまえはどうする?」
「わたしはここで帰ろうかな」
「じゃあわたしもそうしよう〜」
「あ、ねえ、このあとさ、会って欲しい人がいて……」
「みょうじ!」

 ロビーを抜け、ホテルを出た瞬間。既に日が沈んでしばらく経った外は肌寒い風が流れていて、思わず小さく身震いをしてからわたしたちは背後を振り返った。そこにはあの彼と、その後ろには先ほどまで一緒にいたグループの友人たちが数人、名残惜しそうな表情でわたしたちを呼び止める。

「二次会は行かないのか?」
「あ、うん……わたしたちは不参加で。今日はありがとうね」
「そっか……」
「えー帰っちゃうの?」

 もちろん同窓会は楽しかったけれど、もしこれが高校の同窓会だったら、をたくさん想像してしまって早く傑に会いたくなっただなんて知られたら、わたしは薄情者だと言われるだろうか。確認として「どうする?」と一応旧友に再度聞いてみたけれど彼女は小さく首を振ってそれを否定する。そうして「うん、やっぱりごめんね」と再び断りを入れた時、背後から聞きなれた声がわたしの名前を呼んだ。

「……え、傑?」
「ごめん、そこで待ってたらちょうど見えたから来ちゃった」
「いや、それは全然いいんだけど……」

 ホテルのロータリーは人がたくさんいるだろうから、車は違うところに停めておいて構わないと伝えたはずだったのに大丈夫なんだろうか。一歩ずつ近付いてきた傑はわたしの背後にぴたりと寄り添うと、変装用のマスクと眼鏡を外してから軽く一礼をする。隣にいる旧友が目を見開いて静かに驚く中、目の前にいた男の子や元クラスメイトたちは「え、あれって……」と声に出して彼の存在に驚いた。それと同時に本物の夏油傑なのかと疑っているようにも見えた。すると傑は「妻がお世話になっています」と朗らかな笑みを浮かべもう一度頭を下げる。

「祓本の……えっ、本物……?」
「嘘……」
「妻って……それじゃあ相手の一般人女性って、」

 動揺しながらも会釈を返す元クラスメイトたちに傑はにこりと笑みを浮かべると、「向こうに車停めてある」と告げてわたしの背に手のひらを添えた。わたしは咄嗟に旧友の手を取って、彼らに挨拶をしてからロータリーの方へ向かっていく。周囲の人たちにも動揺が伝わったのかちらほらと傑の存在に気付いた人たちもいて、わたしたちは半ば逃げるようにその場を去った。

「び、びっくりした……」
「うん、ごめんね」
「いや……なんとなく察してたけど……高校の時に付き合ってた彼氏の名前、当時聞いてたし」
「あはは、そうだよね」

 裏路地の方まで移動した時、手を繋いだままの旧友が驚いたように声を上げてわたしを見やった。すると傑はくるりと彼女の方へと振り返って「急にすみませんでした」と小さく頭を下げる。そしてわたしも彼女に向き合うようにくるりと体の向きをかえた。

「あの時ちゃんと言えなくてごめんね、彼がわたしの夫です」
「夏油傑です。結婚した時、なまえからお話は伺ってました。私のせいできちんとご挨拶が出来なくてすみません」
「い、いえ全然、なまえからは直接話は聞いていたので……」

 彼女は小さな声で「なまえの初めて好きになった人だもんね」と呟いたので、わたしは咄嗟に彼女の手を取った。それは傑には言ってなかったのに。けれども彼の耳にはしっかりと届いていたようで、少しだけ驚いたように目を見開いている。けれどもそれはほんの一瞬のことで、すぐにいつもの笑みに戻っていた。

「よければ今度遊びに来てください」
「え……大丈夫なんですか?」
「はい。もうだいぶ自由に動いているので」

 旧友は「幸せそうでよかった」とわたしに言った。そうして「改めておめでとう」とも言ってくれた。今まで傑のことを言えたのは数少ない人だけであったから、その言葉が本当に嬉しくて、またずっと心の奥にあった申し訳なさがどこか晴れやかになっていく心地がした。


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