好きがきらきら光るんです



「なまえ」

 わたしの名前を呼んだ大好きな人の腕の中に飛び込む。するとその人はわたしを閉じ込めるようにぎゅっと抱きしめてから旋毛に口付けを落として、髪に鼻を埋めるようにぴたりと寄り添った。とくとくと心臓の音が聞こえて、安心する温もりと匂いに包まれて、思わず視界が緩みそうになる。
 傑のマネージャーさんにスーパーまで迎えに来てもらってからわたしは車に乗り込み、そのまま都内の五つ星ホテルの客室まで送られた。買い物をした荷物はそのままマネージャーさんに預け、傑と合流するために客室内のソファで待機してからおよそ十五分後。彼は焦った様子でわたしの元へ駆けつけた。

「遅くなってごめん」
「ううん、大丈夫だよ」
「すぐバレる嘘はつかない」
「……うん、ごめん。ちょっと、怖かった」

 安心させるようにわたしの背や頭を何度か撫でたのち、傑はわたしを軽々と抱き上げると額や頬に口付けを落としながらソファへと連れ戻す。そうして長く息を吐き出してわたしの胸元にぽすりと頭を預けると、怒りを抑え込むようにきつく眉を寄せた。
 わたしはそれを解すように人差し指でやわくそこを押す。すると今度は甘えるように擦り寄りながら「ごめん」と小さく呟いた。

「どこの記者か探し当てるか……」
「そこまでする必要もないし、傑が謝る必要ないよ。結婚していることを明かさなかったのも、こうなる未来があるという可能性も、全部全部了承していたんだから」
「それでもこの怒りを抑えられそうもない」
「……うん。怒ってくれてありがとう」

 艶のある黒髪を撫でる。傑は少々不満げではあったものの、五回ほどわたしの手が触れた時には観念したように瞼を閉じてから胸元に埋もれて、ぼそりとわたしの名前を呟いた。

「明後日、会見を行う」
「……うん」
「マスコミにもそろそろ伝わっているだろうからもうこちらを探ってくることもないと思う。念を押しておいたし」
「うん」
「その時、会場の裏に一緒に来て欲しい。もちろん前に出ることはないけど、聞いていて欲しいから」
「……わかった。ありがとう。なにも力になれなくてごめんね」

 傑は少しだけ泣きそうな顔をしてから、「むしろ救われているくらいだよ」と言った。そうして優しくソファにわたしを横たえさせ閉じ込めるように覆い被さると、ゆっくりと口付けをして「だいすきだよ」と蕩けそうな瞳でわたしを見つめながら呟いた。

***

 会見当日。先日訪れたホテルの会場裏、控え室として押さえた小さな部屋にわたしはいた。会場内が見えるように設置されたカメラから繋がれたモニターを覗き、次第に埋まっていく席を眺めながら深呼吸をする。どうしよう。口から心臓が飛び出そうなくらい緊張してきた。

「大丈夫?」
「だ、大丈夫……」
「無理言ってごめん。モニターの電源切ってもいいからね」
「傑は、大丈夫? 緊張してない?」
「んー……ちょっとだけしてるけど、不安はないよ」

 普段よりも高いスーツを着こなす傑は言葉通りそれほど緊張していないのか、モニターを見ながらミネラルウォーターを飲み干すと椅子を隣に並べてぐっとわたしに近寄った。部屋の中にはわたしたちだけではなくマネージャーさんや悟、それと今回の会見のために準備を行ってくれたスタッフさんだっているのに、彼は構わずわたしの手を両手で包み込む。

「私よりなまえのが緊張してるね。冷え冷えだ」
「う……だって」
「大丈夫。なにも怖くないよ」
「……うん」
「ちょっとお二人さん? 会見前にイチャイチャすんのやめてもらっていーい?」
「うるさいよ悟」

 悟が背後からわたしたちに声を投げかけた直後、トントンと扉がノックされる音がして「そろそろご準備お願いします」とスタッフさんから声がかかる。すると傑は「ここで待ってて」とわたしの頭を撫でると、ネクタイを締め直すように手をかけてから小さく息を吐き出した。

「傑」
「ん?」
「……行ってらっしゃい」
「行ってきます」

 いつだって傑は傑だったけれど、この瞬間は祓本の夏油傑ではなく、ただの夏油傑としてカメラの前に向かっていくような気がした。現に普段仕事では外すはずの結婚指輪は左薬指に嵌められたまま。けれどもその姿は初めて見るような感覚もあって、わたしはきゅっと心臓が甘く苦しくなるような心地になりながら彼を見送った。

 傑がカメラの前に現れると途切れることなくシャッター音が鳴り響いた。そして設置されたテーブルの前につくと、深く頭を下げてからマイクを握り挨拶をする。会場内は傑の発言を一つも逃さないよう緊張感に包まれていた。

「早速ですが先日あった報道について、ファンの皆さんを驚かせる形になって申し訳ございませんでした。そして同時にここでご報告をさせてください。私、夏油傑は約四年ほど前に一般人女性と入籍させていただいており、報道にて載せられた相手は私の妻です」

 その瞬間、一気に会場内がざわめいた。再び鳴り止まぬシャッター音。慌てる記者の音と驚く声。傑は真っ直ぐ前を見据えたままマイクを握り直す。

「彼女は私が祓ったれ本舗として活動する前から見守り支えてきてくれた大切な人で、心優しくてあたたかく、思いやりに溢れた唯一無二の存在です。私はこれまで、何度も彼女に助けられてきました。一般人ということもあり現在まで公表することなく、このようなタイミングになってしまったことを深くお詫び申し上げるとともに、応援して下さっていた皆様に感謝の気持ちをお伝えいたします。本当にいつもありがとうございます。まだまだ未熟者ではございますが、今後もより一層祓ったれ本舗として全力を尽くしていきますので、今後とも末永く応援していただけたらと思います」

 たくさんの記者に囲まれる中、傑は最後まで言い切った。迷いなく、落ち着いた様子で。その頃にはわたしは無意識に泣いていた。出会った頃から祓本として活動するまで、そして結婚してからのことをたくさん思い出した。会場の雰囲気は驚きに満ちていたものの批判的なものはなく、祝福の言葉まで投げかけられるほどだった。その後、記者からの質問に傑はいくつか対応し、わたしの話や出会いから結婚に至るまでの話、中にはこちらが恥ずかしくなるようなことまで話した。「傑の惚気話なんか聞きたくねー」と後ろで悟がぼやくほど。

「モニターが見れない……」
「まぁでも、ここまでアイツが言ってたら叩くやつもそういないんじゃない?」
「そうかも、しれないけど」
「とりあえず良かったじゃん。これでなまえも傑のこと話せるんだし」
「うん、そうだね」
「ま、改めてオメデト」
「……もう四年も前だよ」
「とか言って顔めちゃくちゃにやけてるけど」

 悟にも言われなくてもわかっていたけれどどうにも抑えられそうもなかった。だってモニター越しに見える傑が、今まで見てきた祓ったれ本舗夏油傑の中で一番かっこよく見えたから。

***

「会見お疲れ様」

 会見後は疲労するだろうと予め取っておいたホテルの客室内。ようやく二人きりになれた瞬間にわたしは傑に声をかけた。平気そうな顔をしているけれど、数日間ずっと準備や片付けで気を張っていただろうから疲れていないわけがない。入れたばかりのあたたかい紅茶をローテーブルに置いて、彼が座るソファの隣に腰を掛ける。

「ん、ありがとう」

 するとすぐさま傑の腕が腰に回りわたしを抱き寄せたので、応えるように背中にそっと手を伸ばす。そうして肩口に顎を乗せながら「かっこよかった」と呟けば、「そう? それなら頑張ってよかった」と彼はほんの少しだけ笑って擦り寄った。
 腰に回された手が背中をなぞり、反対側の手のひらはわたしの髪を手櫛で何度も梳く。そうしてするすると肩から腕へ、手首から指先へその手が降りてくると、ゆっくりと一本ずつわたしの指を絡め取り結んでいった。その間に唇はわたしの耳元へ。静寂に包まれる室内で吐息が僅かに耳の縁にかかる中、傑は「なまえ」とわたしを呼んだ。

「っん、どうし、」
「好きだ」

 ぎゅうっと、心臓が苦しくなった。耳にかかった吐息のせいなんかじゃない。好きすぎて、心臓が痛くなるくらい締め付けられたのだ。思わず息をのんだわたしに傑はもう一度名前を呼ぶ。

「こんな形になってごめん。会見で言ったことは、何一つ偽りなんてない。なまえはよく何もしてあげられないって言うけど、私はなまえが思っている以上に助けられてるんだ。たくさん支えられてるし、なまえがいるからこそ私は頑張れる。いつもは澄ました顔してるけど、なまえのことが好きで好きで、もうどんなことがあっても今更手放すなんて出来ないくらい。だから、これからもたくさん色んなことがあるかもしれないけど、ずっとずっと私の隣にいて欲しい。なにがあっても私が絶対に守るから」

 言い切ってから傑は顔を覗くように目を合わせ、頬に親指を滑らせてから「愛してるよ」と囁いた。ほろりと涙が一粒零れてから次のしずくが落ちるまではあっという間で、じわじわと視界が滲んでいく。ここ数日、涙腺が崩壊してばかりな気がする。でも今日の分は間違いなく傑のせいだ。

「うん、うん……わたしも、だいすき、だいすきだよ、すぐる。わたしを見つけてくれてありがとう。わたしのことを好きになってくれてありがとう。わたしも愛して、っ、」

 最後の言葉は傑の唇によって飲み込まれた。髪をくしゃりと握りしめるように後頭部に手を添えて、隙間なく、むしろきつくて苦しいくらい抱きしめられながら何度も口付けをされる。その合間に彼の吐息が零れる度に何度もまた心臓が苦しくなって、再び滲んでいった景色がきらきらと瞬いて見えた。


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