第二話

 初めて立花と会話をしたあの日から、私は彼女の瞳を忘れることが出来ずにいた。深緑のそれは彼女の容姿や雰囲気と相まって、森の奥深くに漂う静寂さを秘めたような、酷く澄んだものであったからだ。いつも隣にいる同級生も桁外れに美しい瞳を持っているが、それとはまた別の、吸い込まれそうな神秘的な瞳をしていると思う。

 あの日から既に数日が経過していた。それまでほとんど高専内で立花が一人でいるところを見かけなかったはずなのに、あの日からどうしてだか、彼女が一人でいるところばかり遭遇するようになった。一つ言っておきたいのは、彼女と遭遇するようになったのは本当に偶然だということ。

「あれ、また会ったね」
「お疲れ様です」

 相変わらず、つんとした表情の立花が静かに頭を下げた。眩しい陽射しが降り注ぐ中、あたたかな風が緩やかに流れる。先日と同様に鍛錬をしたあとなのか、彼女の服の裾はところどころ汚れていた。
 高専生などではなく一般の女子高生であったならば、毎日これほど汚れたり、傷を負うこともないのだろう。最近は見慣れてきたせいでそれほど思わないが、初めて見たときは汚れや傷が似合わない子だと思ったものだ。

「立花こそお疲れ様」

 彼女は何度か瞬きをしたあと小さく首を振った。校舎へと続く道。しばらく歩けば校舎内でゆっくり話すことも出来るが、中に入れば誰かに出会う可能性もある。悪いことをしているわけではないけれど、なんとなく、まだこの偶然が重なった逢瀬を誰にも知られたくはなかった。

「今日も練習?」

 そう言って私はちょうど日陰が被った神社へと続く階段に腰掛けた。そうすれば、立花もまた釣られるように日陰に足を踏み入れ、身につけていた自身の武器を地面に置くと、一人分ほど間を空けた隣に静かに腰かける。何度か会話をする内に、彼女はこうして少しだけ距離を縮めてくれるようになった。

「はい」
「偉いね」
「当たり前のことですから」

 なんてことないように立花は言った。実際のところ、彼女は本当にその行いを苦だと思っていないのだろう。彼女は一体どうして呪術師を選んだのだろうか。

「その行いを当たり前に出来ることが偉いんだよ」

 そう言うと立花はぱちぱちと瞼を瞬かせたあと、ぎゅう、と拳を力強く握った。その手はとても小さく、隣に置いたものを振り回しているとは思えない。

「初めて知ったとき、ちょっと驚いたんだ」
「……?」
「それ。接近戦が多いだろう?」

 そう言って、私は立花の隣に置かれた武器に指をさす。すると彼女は言葉の意味を理解したようにそれをゆっくりと撫でた。

「そう、ですね……初めは少し大変でした」

 立花は呪具を使用した接近戦を主としていた。そして今彼女の隣に置いてあるのは一つの鞘に二つの刀身が収まっている双刀。両手で一つの刀身を持つのではなく、片手それぞれ刀身を持つということは、それなりに筋力と持久力が伴わなければ難しい。ますます、その容姿と雰囲気からは想像がつかない戦い方だと思った。
 この小さな手で同じように呪霊と戦っているのだと思うと、複雑な心境になる。呪術師として正しい在り方をする彼女を綺麗だと感じる分、この薄汚れた綺麗でない世界にいることを酷く痛ましく感じるのだ。

「……先輩?」
「ああ……いや、私とは随分手の大きさが違うから扱い方も変わってくるだろうと思って」

 誤魔化すように、私は立花に向かって手のひらを広げた。すると彼女は差し出されたそれをじっと見つめると、そっと私の手のひらに自らの手のひらを重ねる。

「夏油先輩の手……大きい、ですね」

 なんてことないように重ねた立花に、私は少しだけ驚いていた。私よりも遥かに小さいその手は、少しだけ冷たくて柔らかい。思わずするりと指を動かしたくなる。このまま指を絡めたら、彼女はどんな表情をするのだろう。

「確かに夏油先輩くらい大きければもっとたくさんの扱い方が出来そうです」

 そう言って、重ね合わされた手がそっと離れる。簡単に離れてしまうその温度が、なぜだか堪らなく名残惜しいと感じられた。微かに残る温度が消えてしまわぬように、彼女から見えないようにそっと拳を握る。こんなことをしたって、なんの意味もないのに。

「夏油先輩」
「ん?」

 彼女はそっと目を伏せたあと、私の瞳を真っ直ぐと見つめた。

「あの……」
「うん」
「今度、見てくれませんか?」

 練習? と尋ねれば、立花は静かに頷いた。少しずつ、私と彼女の距離が縮まっているのは勘違いではないだろう。頼られたことに喜びを感じて、「いいよ」と答えれば、彼女は少しだけ安堵したように表情を和らげた。
 あたたかな風が緩やかに流れる。流れと共に、石畳に浮かんだ木漏れ日がゆらゆらと揺れた。
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