四月×日
XANXUSに許しを請うて、彼の傍にいることを約束した。どんなときも、なにがあっても、わたしは離れないと。いらないと言われたけれど、それでも。


×月×日
VARIAで過ごす日々は想像以上に過酷だった。XANXUSは特になにも言わないけれど、わたしが行っていることを内心嘲笑っているのだと思う。無駄なことだと。知識を広げることは出来ても、技術を身につけることはそれなりにセンスがいることだった。わかっていたけれど、わたしと、彼の、歩幅の違いに毎日泣きたくなる。


×月×日
少しずつ出来ることが増えていった。それでもわたしはまだまだ弱くてなんの力にもなれないけれど、どんどんと先に進んでしまうXANXUSに置いていかれないように努力を続けるしかない。立ち止まることは、許されない。


×月×日
XANXUSが十代目になる日は、わたしが想像しているより近い日なのかもしれない。昨日よりも、頑張らなくては。


×月×日
XANXUSは                     


×月×日
誰かに対してこれほど憎んだことがあっただろうか。わたしは、なにがあってもXANXUSを待ち続ける。彼は、絶対に戻ってくる。


×月×日
XANXUSの炎が見えないと、毎日が冬のように寒い。

 ・
 ・
 ・

×月×日
XANXUSが目を覚ました。

 ・
 ・
 ・

×月×日
わたしは無力だ。




 わたしが殺めた人を全員桜の木の下に植えれば、あのピンク色は更に色濃く映るのだろうか。

 ヴァリアー邸の廊下から覗くそれを見やって、わたしはなんとなくそんなようなことを考えた。特に意味はない。けれどもしそうなるとすれば、あの木の花は儚い姿から一変しておぞましい姿へと変えるのだろう。是非、一度見てみたいものだ。

「なまえ」
「ああ、スクアーロ」
「次の任務の確認するぞ」
「うん」
「談話室……は、ベルがいるからやめるか。いつもの部屋にしよう」

 わたしとスクアーロの自室の、ちょうど間にある空き部屋。そこはもう何年も人が生活したような形跡は残されていないが、中はとても綺麗だった。彼の言う通り、わたしたちが打ち合わせをしたり確認をしたりなど、二人きりで話をしたい時はここを使用しているからだ。それほど物はないが、返ってそれが集中出来て良かった。灯りをつけて、窓を開ける。ふと、桜の花びらが部屋に舞い込んだ。

「この桜は一体いつからここで花を咲かせているんだろうね」
「さあ……? お前もオレも、そしてザンザスが来た時には既にあっただろう」
「うん。ボンゴレは本当に昔から日本が好きなんだろうね」
「なまえ」
「なあに」
「いや、なんでもない」

 変なスクアーロ。そう言うと、彼はあからさまに顔をしかめた。古びているが丁寧に手入れのされた木製の椅子に座り、同じデザインのテーブルに資料を並べる。確認、と言ってもそれほど難しい任務ではないので、それはすぐに終わった。

「そういえば、そろそろフランが来る頃だろう」
「必要な時に貸出するって、六道くんが言ってたんじゃなかったっけ?」
「アイツには未来の記憶がないからいざ任務の時に借りても誰が誰だかわからねぇんじゃ話にならないだろ」
「まあ、それもそうね」
「一時的に来ることになった」
「もう少し早く言ってくれてもいいんじゃない?」
「早く言ったところでなにか変わるか?」
「いや、なにも」
「ならいいじゃねぇか。今言った」

 机上に並べられた資料をかき集めながらスクアーロが言う。いい加減全ての資料をデータ化すべきなんだろうが、その量はあまりにも膨大過ぎた。その上ヴァリアーには腕っ節が優れている者は揃っているが、情報管理やデスク作業はてんで駄目だ。入隊条件もあって頭が切れる者は確かに多いが、血の気が多すぎる。デスクに座って地味な作業をするよりも、彼らは動きたくてしょうがないのだ。暗殺部隊に所属しているはずなのに我慢が出来ないのもどうかと思うが、兎に角、全員ではないもののそういう者は多い。

「落ちたわよ」

 今回の案件はボンゴレファミリーとも深い因縁のある相手であるためか、その資料も随分と昔のものからあった。拾い上げた薄い紙を持ち上げスクアーロに手渡す。何年も前から存在する資料なのか、それは随分と劣化しており薄らと黄みがかっていた。

「なまえ」
「なに、」
「今のお前の顔、かなりひでぇぞ」
「失礼ね」
「そう言うならその顔をどうにかしろ」
「……」

 紙を全て集め、わたしは換気のために開けた窓を閉じた。そしてカーテンも閉じ、部屋の中に入り込んだ桜色のそれを拾い上げる。近頃掃除出来ていなかったせいか、四隅の方には埃が溜まってきていた。どうして埃というものは、こうも勝手に溜まっていくのだろう。

「おい、なまえ」

 まるで剣先を向けられているかのように鋭い空気がわたしの背後に刺さった。一体なんだと、しゃがみ込んだまま振り返れば、スクアーロはわたしのすぐ傍まで近付いていて右手の指先を自身の首元に向けていた。

「流石にそれは酷すぎじゃねぇか?」
「……」
「別に今更お前とザンザスの関係にオレが首を突っ込む気はねぇが、いい歳こいて隠さねぇのもどうかと思うぜ」
「……」
「そろそろフランも来る」
「士気が下がるって言いたいの?」

 スクアーロはしばらく黙り込んだあと、「そうだ」と言葉を口にした。本来ならば彼は、ヴァリアーのボスになる男だったのだ。そしてそれをわたしは今この瞬間、そして今までも何度も強く感じてきた。

「そうね、ごめんなさい」
「一応言っておくが、オレはお前を否定してるつもりはない。お前の感情がオレにはわかるし、オレの感情だってお前はわかってる。そうだろう」
「……うん、そうね」

 スクアーロはくるりと踵を返してドアノブに手をかけると、わたしの方を振り向いた。わたしはそれに甘えて彼が開けてくれた扉から部屋を出る。背後でパタン、と優しく扉が閉じられる音がした。

「さっきの話、アイツにはするなよ」
「あはは、しないよ。まあ、したってなんもないと思うけど」
「どうだかな」
「じゃあ、任務の連絡はわたしからするから」
「お前は……、」
「……うん?」
「いや、なんでもない。ボスんとこか?」
「うん、呼ばれてるから」

 部屋を出て、わたしたちは互いに背を向けて別の場所へ向かった。その時背後からなにかが聞こえたような気もしたけれど、構わず足を進めた。




 一応ノックをして、返事が来る前に扉を開けた。それに対して今までなにかを言われたことはないし、スクアーロのように物が飛んでくることもない。しかし今日は開けた瞬間から見えるはずのあの赤色も見えなかった。わたしは執務室から奥に続く彼の自室のドアノブに手をかける。今度こそ、あの赤色が見えた。

「あ、いた」

 初めから気付いているくせに、XANXUSはわたしのその言葉のあとに顔を上げた。わたしは彼がどっかりと座るソファに近寄って、「明後日の任務は昼頃から出ます」と先ほどスクアーロと確認し合ったことを告げる。言ったところで彼はなにかを答えるわけではないが、一応の連絡はするべきであろう。彼は一瞬だけわたしに視線を送ると、すぐさまその赤い瞳を隠すように瞼を閉じた。
 わたしはなにもないところで棒立ちになり、そのまま彼を見下ろす。なぜだか急に、自分が真っ直ぐ立っていないような感覚に陥った。

「なまえ」

 XANXUSの声が、指が、わたしを呼んだ。思うがまま、わたしは彼に歩み寄る。そうして手が届く範囲まで近付いた時、彼の腕がわたしを捕らえた。足がもつれ、その厚い胸板にぶつかりそうになる。

「なににキレてる」
「怒ってなんか、」

 皮の厚い、太い指先がわたしの首元に触れ、強く肌を押した。途端に鈍い痛覚がわたしを襲う。はっきりと鏡で確認したわけではないが、スクアーロが指摘するくらいだから酷い有様なのだろう。わたしはXANXUSの体の上で崩れるように凭れかかり、痛みを逃すように彼の肩を掴む。そしてわたしに痛みを与えるその指が今度は頬に触れると、唇をあっという間に奪われた。

「っ、う、ザン、ザス」

 鋭い赤色から逃れるようにわたしはぎゅっと目を瞑った。彼と彼の香水の匂い。時々聞こえる吐息と水音。肌に触れる温度。頬に伝わる髪の柔らかさ。激しい波が収まる一方で、体のどこかでなにかが湧き上がるのを感じた。

 別に、そういう趣味が互いにあるわけではない。だから体中にそういうものが残っているわけでもない。本当に、首元のはたまたまだ。それでもスクアーロから見ればそういうことを行っているような関係に見えるのだろうし、実際のところそういうことは行っていないだけでわたしたちの関係は酷く歪だろう。

「ザンザス、ここは、いや」
「わがままだな」
「……ごめんなさい」

 XANXUSは一瞬眉をひそめた。しかしそれは本当に一瞬のことで、彼はわたしを抱きかかえると柔らかなベッドへとわたしを運ぶ。わたしはもう一度、小さな声でごめんなさいと言った。
 みっともないと思う。けれど止められなかった。彼はなにも言わずにわたしを組み敷き、腕を頭上にまとめあげる。何度も思ったことだが、彼がこうしてわたしに触れること自体わたしには上手く理解出来なかった。おそらく、心のどこかでこの現実を受け入れられないのだと思う。視界が、ゆっくりと滲んでいった。

「ざまあねぇな」
「……」
「カス鮫になんか言われたか」
「スクアーロは、関係ない」
「そうじゃねぇよ」

 そのあとはなにも言わなかったけれど、噛み付くようなキスはされた。わたしはXANXUSの熱に不安と安心どちらもを感じながら、見失わぬように彼の腕や背中に縋る。一生消化されることのないこの感情は、小さくなっていくどころか、年を重ねるごとに大きく膨らみ続けていた。そしてそれを知ってか知らずか、彼はその矛先を間違えぬようにわたしを上手くコントロールしている。こんなこと、彼にさせるべきでもないことを理解しているのに。

 怒りを、悲しみを、忘れられなくても毎日は過ぎ去っていく。体の一部を落としてしまったように、一つ、また一つと過去に囚われたまま生きるわたしはまるで亡霊のようだ。時間が経っても、周りがどう思おうとも、おそらくわたしは一生許せないのだろう。そしてXANXUSはそんなわたしを一生醜いと思うのだろう。
 それでも、変わらずわたしに触れてくれるのがわたしにとって唯一の救いであった。わたしがなにかを出来たらだなんて、もうそんな烏滸がましいことは言わないし思わないけれど、約束だけは破らないと、わたしはわたし自身にもう一度誓う。だからどうか、この手を離さないでいて欲しいと、醜いわたしは心の中で願うのだ。



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