それは寒い冬のなんでもない日のことだった。前日にたくさん雪が降ったせいで鼠色のコンクリートが真っ白な雪で覆われ、いつもよりも静かな住宅街。見慣れた光景のはずなのに眩しく日光を反射する雪のせいで、ただの通学路が幻想的にも見えた。
 だからだろうか。突如空から現れたキラキラとした金色とティアラが見えた時、わたしは一瞬にして、目も、心も奪われてしまったのだ。奪われる、という表現が本当に一番正しく、わたしは呼吸を忘れたようにただじっと、遠ざかるその金色を見つめていた。なんて綺麗なんだろう。そう見蕩れているうちにその姿は見えなくなっていて、どう考えても並盛に住んでいる人とは思えないその姿に、一目惚れをしたがもう二度と会えないことを突きつけられて悲しくなった。せめて名前でも聞けたらよかったのに。しかしあのタイミングでどう声をかけるのが正解なのかあとから考えてみてもわからなくて、結局わたしがその人と知り合う運命なんてどう探したってみつかりっこないと、冷たい現実に項垂れた。数日前の話だ。




 もしかしたら神様はいるのかもしれない。人生で初めてそう思ったのは、数日前一目惚れをした王子様のような人が再びわたしの目の前に現れたからだ。
 希望を捨てきれず、あの日から毎日同じ時間に登校してはあの金色を探したけどやっぱり見つからなくて、項垂れながら授業を受けて、そして下校する日々。明日は土曜日だけど同じ時間に歩いてみようかなあ、なんて思いながら今日もとぼとぼと帰宅している最中、突如、あの日と同じように空から、というより家の屋根から王子様が降ってきた。奇跡だと思った。
 金色の王子様は華麗に地面に着地すると、何事もなかったかのようにそのままわたしの視線の先へと足を進める。やっぱり綺麗。本当に夢から出てきたようだ、なんて、あの日と同じように見蕩れていたわたしは途中でハッと我に返ると、頭で考えるよりも先に「あの!!」と大きな声を張り上げて駆け出していた。わたしの声が静かな空間に響き渡り、その金色がふわりと揺れる。

 しかし王子様が振り向いたその瞬間、わたしは盛大にその場ですっ転んだ。

「っ──!!」

 それほど痛くはなかったけど、恥ずかしくてこのまま雪に埋もれて消えてしまいたいとは思った。雪が降り積もってたことも忘れるだなんて、なんて馬鹿なんだろう。しかしひんやりと冷たい雪のお陰で幾らか思考も冷静になり始めた頃、声をかけてもなにを話せばいいのかと今更になって迷い始めた。わたしは更に恥ずかしくなった。このまま顔を上げて、そのあとなんて言おう。そもそも既にあの王子様はいなくなっているかもしれないけど。
 わたしはおそるおそる顔を上げる。しかしそこには先ほどよりもうんと近い距離であの金色が見えて、わたしは今度こそ息が止まってそのまま死んでしまいそうになった。

「……」
「……」
「こ、こ、こんにちは……」
「……」
「あ、あの……」

 どうしよう。凄く、もの凄く気まずい。というより、あれ、そもそも日本語通じるのだろうか。なにも考えずに呼び止めてしまったけど、もしかしたら初めから伝わってなかったかもしれない。わたしは英語はからっきしだし、呼び止めたもののここからなにを話せば。ぐるぐると不安が渦巻く中、キラキラと光を反射する金色の髪を見つめる。やっぱりかっこいい。ってそうじゃなくて、ここからなにを言うべきかを、「……なんかお前どっかで見たことあんだよな」

「……へ?」
「あー、思い出した。前にオレのことずっと見てた奴だ」
「へ?!」
「なに。オレになんか用? つーかなんで寝てんの?」
「……」
「しし、なにコイツ。目開いたまま死んだ?」

 なにがなんだかわからなくて、わたしは氷のように固まった。日本語、めちゃくちゃお上手ですね……じゃなくてそれよりも、見蕩れていたことがバレてるってかなり恥ずかしいのですが。やっぱりこのまま雪に埋もれたい。いつの間にか止めていた呼吸を再開して勢いよく俯けば、「あ、生きてた」と目の前の王子様は軽い調子で言う。うう、声もかっこいい。

「なあ、オレの話聞いてる?」
「う、え、はい!」
「だから、なんか用?」

 王子様はしゃがみこんで頬杖をつくと、気だるそうにそう言った。わたしは素直に「えっと、あの……名前を、知りたくて」と言うと、すかさず彼は「なんで?」と尋ねる。いや、そうですよね。普通、そう思いますよね。でも正直に一目惚れしましたとも言えなくて、わたしはもごもごと言葉にならない声を発しながら再び俯く。

「その、理由は、ちょっと言えないんですけど」
「自分の名前も理由も言えない奴にふつー教えると思う?」
「うっ、そうですよね、ごめんなさい……。あ、わたしはみょうじなまえです。並盛に住んでる者です。理由は、どうしても言えないんですけど……」
「まあ教えるとも言ってねーけど。じゃ、」
「あーー!! 待って! 待ってください!」
「まじでなに?」
「あの! またどこかで会えたり出来ませんか?!」

 うつ伏せのまま声を張り上げるわたしの姿は、王子様にからすればさぞ滑稽に見えるだろう。彼はピタリと足を止めてから振り返り、わたしを見下ろす。そろそろお腹が冷たくなってきた。ようやくわたしは体を起こして雪を払った。

「並盛の人、じゃないですよね……あの、わたし、どうしてもあなたの名前が知りたくて」
「……」
「ごめんなさい警察に通報はしないでください」
「探してみ」
「へ?」
「オレのこと見つけられたら教えてやるよ」

 それって、まだここにいるってことですか。
 そう尋ねたかったけど、声をかける前に王子様は今度こそどこかへ行ってしまってあっという間に見失った。人間業とは思えないその跳躍力といい、なにもかもがわたしとはかけ離れた存在だと思った。会話をしたことが、まるで夢のように思えた。




 次の日の土曜日も、そのまた次の日の日曜日も、わたしはあの王子様の姿を探したけど結局見つけ出すことが出来なかった。そもそも探すって、どこまで探せばいいんだろう。まさか、日本、いや世界中から、なんてことはない、よね? 彼の母国がどこなのかもわたしにはさっぱりわからないし、わかったとしても現在中学生のわたしには途方もない距離だ。見つかったとしてもその頃にはわたしは何歳になっているんだろうか。むしろ生きているうちに探し出すことなんか出来るのだろうか。わたしは途方に暮れた。

 しかし想像よりも早い段階で、わたしは彼のことを見つけ出すことに成功した。成功、というと些か違うような気もするが、再会出来たのは確かだ。状況は全く理解出来てないし、なにより今すぐにでも死んでしまいそうだけど。色んな意味で。
 何故なら、わたしは今その王子様と手を繋いで全力で雪の上を走っているからだ。長髪の怖いお兄さんに背後から追いかけられて。

「え?! な、に?!  なに?!」
「お前もうちょっと早く走れねーの?」
「まっ、て、これ以上、は! むり! です!」

 背後からは「う"ぉ"ぉ"い! さっさと観念しろ!!」とその怖いお兄さんがわたしたちに向かって怒鳴り散らしている。憧れの王子様と出会えた喜びと、手を繋ぐ緊張と、背後からの恐怖でもうわけがわからなかった。わたしはただ放課後にこの王子様を探していただけなんです。誰でもいいから助けて下さい。そう願い無我夢中で走り続けていると、「お前まじで足遅すぎ」と目の前の王子様がボソッと呟いたかと思えば、あろうことかわたしを軽々と抱きかかえた。

「うえ?! え?! え?!」
「舌噛むなよ」
「ちょ、なにが、えっ、待って、いやーーー!」
「うるさ!」
「いや、無理です、死にます。わたし空飛んでる?!」
「ただ屋根に飛び乗っただけだっつーの」
「待てベル!!」
「ゲッ、逃げ切れそうだったのに」

 街中に響き渡るほどの大きな声が聞こえたかと思えば、王子様の背中越しにわたしたちを追いかけていた長髪のお兄さんも屋根に飛び乗るのが見えた。 二人ともどうしてそんな簡単に屋根の上に乗れるんですか? 恐怖のあまり、わたしは思わず目の前にある肩を握る。すると王子様はそのあとすぐに軽々と今度は屋根から飛び降りると、路地裏にわたしを降ろした。

「あのうるせーのが聞こえなくなったら帰れよ」
「え、あの、待って」
「じゃーな」
「な、名前を、」
「明日のこの時間にここな」
「……え?」

 ポカン、と惚けている間に、またあの王子様の姿は見えなくなってしまった。まるで嵐のような人だな、なんて頭の片隅で思いながらさっきの言葉を反芻する。明日のこの時間にここ? それって、待ち合わせ……?
 ボン! と体が爆発したように熱くなった。つまりそれは明日もまた彼に会えるということで。え、そういうことだよね? 最初から最後までなにがなんだかわからなかったけれど、嬉しくて、雪が解けてしまいそうなほどわたしの頬は熱くなった。




 翌日。クラスメイトに心配される(むしろ呆れていた)ほどには、わたしはふわふわと浮き立っていた。
 しかしそれもそうだろう。初恋で、一目惚れで、キラキラとした王子様と再び今日会えるのだから。今まで恋をしたことなんてなかったけど、こんなにも幸せなんだと思った。名前は聞けるだろうか。普段はなにをしているのだろうか。どうしてそんなにも輝いているのだろうか。楽しみで、なにもかもがあの王子様のように煌めいて見えた。

 結局、今日の授業の内容はほとんど頭に入っていなかった。わたしは最後のホームルームが終わったあと、誰よりも先に教室を出た。約束の時間にはまだ早いけど、いても立ってもいられなかった。そうしてなんの目印もない並盛の昨日別れた路地裏に辿り着き、時計を確かめる。あ、急いで来てしまったけど、髪を溶かすとか、リップクリームを塗るとか、しておけばよかった。先日買ったばっかりの、ちょっと甘い匂いがする色付きリップ。小さな手鏡なんて持ってないし、見えるものがないまま塗るのは怖すぎる。

「お、いた」
「ひ、ひぇ!」

 心臓がぎゅっと苦しくなった。あああ、どうしよう。心の準備が出来ておらず、振り向きたいのに振り向けない。まさか、本当にあの王子様と待ち合わせして会えるなんて。しかもこんななにもない路地裏で。

「今度は立ったまま死んだ?」
「い、いきて、ます……」
「その割には顔色やべーけど」
「そ、それは……」
「……」
「う、なんでもないです」

 あなたがかっこよすぎるからです。なんて、言えない。王子様は「えーと、なんだっけ? 名前?」と首を傾げた。わたしは緊張のあまり声が出なくて、コクコクと黙り込んだまま頷く。しかし彼は「んー」と顎に手を当てると、ぼんやりと上の方を眺めた。いや、実際はどこを見ているかわからないけど、多分、目はあってないと思う。

「ま、それはあとで」
「え?」
「お前ここ住んでんだろ? 王子のために案内しろよ」
「王子……」
「聞いてる?」
「は、はい! 聞いてます。えっと、でもどこを案内すれば」
「それはお前のセンスで」
「センス」
「期待はしてないけど」

 案内しろ、と言った割に王子様はわたしより先に路地裏を出て前を歩き出した。特に道案内もしてないけど、彼は迷わずどんどん進んでいく。この先は商店街に続く道だけど、そこに向かっているのだろうか。というより、さっき、王子って言った。王子様が、自分のこと王子って。

「あの、」
「なに?」
「王子様は、王子様なんですか?」
「意味わかんねーけど、そーだよ」

 歩き方が一つ一つ丁寧なわけでも言葉遣いが優しいわけでもないけど、足音もせず軽々と歩く姿や、気だるそうに見えても頭の先からつま先までなにかがピンと真ん中にあるような立ち振る舞いは、やっぱり自ら王子様と言えるくらいの風格があった。うう、やっぱりかっこいい。しかし、どうして王子様がこんななにもない並盛にいるのだろうか。

 商店街に辿り着き、わたしは立ち並ぶ建物の説明をしたりしながら中を歩いた。道中、彼は「ふーん」だとか「オレここ知ってる」などと案外わたしの大して面白くもない説明に返事をくれた。

「なあ、あれは?」
「あ、プリクラですか?」
「プリクラ?」

 首を傾げる姿はかっこいいだけじゃなくて、かわいらしさもあった。これはわたしが王子様を好きだからではなく、全員見たらときめくと思う。

「写真を撮るんです」
「写真撮るだけなら別にアレじゃなくてよくね?」
「えーと、なんかいつもより可愛く写れるんですよ。あとスタンプを押したり、キラキラの文字が書けたり」
「ふーん」
「と、撮ってみます……か?」
「いや」
「そ、そうですよね」
「なんで? 撮りたい?」
「え?! いや、撮りたいような、撮りたくないような、というか撮れないような……」
「なにそれ」
「うーんと、複雑な事情により……」

 ただでさえ隣を歩いているだけで心臓が飛び出そうなのに、王子様とプリクラを撮るなんてわたしにはハードルが高すぎて絶対に出来る気がしない。というよりも、こんな案内で彼は満足しているのだろうか。ここに住んではいないにしろ、何日も滞在しているのだから多少の地理は把握してるだろうし、商店街だって初めてではないだろう。学校のこととか、わたしのこととか、そんなつまらない話を聞かされて、帰りたいって思っていないだろうか。いや、そもそも今回会ってくれたのもわたしがしつこく名前を聞いたからで……あれ、そういえば名前まだ聞けてない。

 ダラダラと歩き続けて少しだけ日が暮れた頃、商店街を抜けた先にある公園の前でわたしは意を決して「あの!」と声をかけた。その瞬間、夕方を告げるチャイムが鳴り、中にいた小さな男の子たちがブランコから飛び降りて公園を飛び出していく。「真面目だよなー」王子様が小さい声で呟くのが聞こえた。

「隣町がコクヨーってとこだろ?」
「え? ああ、そうですね」
「わかる?」
「まあ、多少」
「じゃあ次はそこで、明日な」
「え?」
「なに? 不満?」
「むしろ、嬉しいです……」
「素直だね」

 王子様は「お子ちゃまはこの時間に帰るんだろ?」と言ってヒラヒラと手を振った。そうしてわたしに背を向けて、商店街とは逆の方に向かって歩き出す。わたしはその背を見つめて、彼から言われた言葉に呆然と、夕焼けに染まった手のひらを強く握った。結局名前は聞けなかったけど、明日も会える事実がなにもかもを吹き飛ばした。




 わたしは今、とても困っている。そして同時に学校も行きたくないくらい悲しんでいる。ああ、どうしてあの日わたしは彼の名前を聞かなかったんだろう。後悔しても今更だけど、あの日をやり直したくて仕方がない。こんな日がもう三日続いている。思ったより短いって思うかもしれないけど、わたしにとってこの三日間は体育の持久走の時間よりも数百倍長く感じた。苦しくて、死んでしまいそうだと思った。嘘じゃない。それくらい、悲しかったのだ。

 並盛を案内した翌日、そしてそのまた翌日も、もっと言えば数日後の週末も、わたしは何故かあの王子様と会っていた。一体なにが起きているのだろう、まさか初めから全部夢ってことはないだろうか。そう思ってしまうほど、わたしにとってはありえない日々が続いていた。黒曜を回り、週末は並盛の少し遠い方まで行ったりもした。知り合いたいと願ったけど、いざ何度も会うようになると理由がわからなくて困った。そしてもう二つ困っているのは、先日会った最後の日に次の約束はなかったということ。そして未だにわたしは彼の名前を聞けていないということ。つまり、わたしは彼の名前を聞く前にもう二度と会えないかもしれないというわけだ。
 悲しくて多分、ため息は一日に百回くらいした。友人には「幸せが逃げるよ」だなんて言われた。もうとっくのとうに幸せの期間は終了して地獄の日々です。ここから下がることなんてない。はあ、もう本当に、わたしは最後の最後まで彼の姿に惚けたままで、最終日の別れ際だけ次の約束がなかったことに、姿が見えなくなってから気付いたのだ。せめて、最後のお別れくらいはしたかったなと思う。
 今日も、ぼんやりとしたまま一日が終わった。授業の内容はあんまり覚えていない。あれだけキラキラして見えた雪景色が、異様に冷たく悲しく見えた。

「チャオ」

 すると突然、真白の雪景色の中、あの金色が見えた。

「おーい、生きてる?」
「…………おうじさま?」
「ししっ。そーそー、王子様」
「なんでここに……? 国に帰ったのでは……」
「誰がそんなこと言ったよ」

 あれ。また、キラキラして見えるようになった。びっくりして、嬉しくて、思わず泣きたくなったけどなんとか堪える。「良かったぁ……」なんて気の抜けた言葉と声は出てしまったけど。泣くのを堪えたからか、なんとなく鼻と喉の奥が痛い。スンッと空気を吸えば「鼻あか」と言って、彼の指先がわたしの鼻を摘んだ。え、なに、なに。

「ひぇ、」
「なにそれ、どっから声出てんの?」
「うう、罪です……」
「なんの話?」
「どうして、ここにいるんですか」
「たまたま。んでお前が歩いてるのが見えた」

 俯くわたしを覗き見るように王子様が屈む。なんだかもう、色々恥ずかしくてあんまり見て欲しくなかった。しかし彼はそんなわたしの気持ちは露知らず、まじまじとわたしの顔を見る。「なんで泣きそうになってんの?」そうやって言われるともっと泣きたくなるんですよ、そう言えたらどんなに楽だっただろう。

「まあでも、そろそろ帰るのは本当だけど」
「え、」
「ししっ、なに? 寂しい?」
「それは、えっと、はい……」
「じゃあ、今週の土曜な」
「え?」

 すると王子様はそれだけ言ってから一瞬で姿を消した。突然現れて、またいなくなってしまった。でも本当に、次が最後。




 浮かれた気持ちが半分と、寂しい気持ちが半分。でも、今日のわたしはいつもとは違った。四隅がクシャクシャになってしまったルーズリーフを手に取る。最後の日の今日、あの王子様に伝えたいことをこの紙にまとめたのだ。上手く言えるかわからないけど、でも、後悔はしたくなくて。
 私服で会うことはほとんどなかった。わたしは持っている服の中で一番お気に入りで可愛い服を選び、靴も一番きれいなものを選んだ。以前は塗るのを忘れていた色付きリップも塗り、髪もいつもより丁寧にセットした。どうしよう、緊張する。名前を聞いて、それから、また会いたいって伝えなくちゃ。

 学校の時とは違う、白くてふわふわのマフラーを巻いて外へ出た。昨晩再び雪が降ったせいで外はあの日のように真っ白だ。空気も刺すように冷たいけど、今のわたしはそんな寒さもへっちゃらだった。数日前の地獄の日々から一変して、世界は再びキラキラと輝き出したのだから。待ち合わせは商店街の先の公園。時間はかなり余裕を持って出たから大丈夫だろう。今度はすっ転ばないように気を付けながら雪の上を歩く。歩幅が大きくなってしまうのは気の所為ではなかった。早く行ったって早く会えるわけでもないのに。
 しかし公園の入口が見えた時、何故かあの金色も見えた。

「え、え、どうして」
「まじでお前いつも来んの早くね?」
「そんなことは……、というよりなんでここに?」
「は? 待ち合わせここだろ?」
「いや、えっと、そういうことではなく」

 しかし王子様は問いには答えないまま、「行くぞ」と言ってわたしの手を握った。「えっ!」と、大きく声を張り上げれば「お前、どんくせーから雪の上転ぶだろ」と彼は言った。繋がれた手のひらはほんのり冷たくて、反対にわたしの手はどんどんと熱くなっていく。彼はわたしの心を奪っていく天才だ。

「あ、あの!」
「なに?」
「わたし、王子様のことが好きです」

 …………。
 あれ、待って、違う。そうじゃなくて、わたしは名前と、また会いたいってことを、伝えたくて。あれ、あれ。

「はえ?! ま、待ってください! ちょっと今のなしです! 違うそうじゃなくて、名前を、聞きたくて……えっと、それと」
「ベルフェゴール」
「ベル……ふぇ?」
「ベルでいいよ」
「ベルさん……」
「で? さっきのはナシ?」
「え、あ、待ってください、なしではないです! あの、ベルさんと今日で最後なのが寂しくて、また会いたくて、えっとえっと」
「オレのこと好きなの?」

 直球すぎる問いに、わたしは少しだけ息を呑んだ。勢いで言ってしまうのと、面と向かってもう一度告白するのではわけが違うのだ。恥ずかしくて、雪の中であるのに体が熱い。しかしベルさんは言い逃れを許さないかのように真っ直ぐとわたしを見下ろしていた。どうしよう、本当に心臓が飛び出てしまうかもしれない。でも、でも、言わなくては。
 わたしは繋いだ手を握って、二度ほど左右を見たあとゆっくりと口を開いた。

「す、好きです……」

 するとベルさんはニッと口角を上げると、「ま、初めから知ってたけど。つーかまた泣きそうになってね?」と言ってわたしの鼻をむぎゅっと摘んだあと、おでこに触れるだけのキスをした。

「なまえって意外と泣き虫?」
「へ……」
「なに?」
「えっと、名前、」
「お前最初に名乗ってただろ」
「そ、そうでした……」
「さっさと行くぞ」

 返事を言葉にしてもらったのはもう少し先のことだった。



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