手の甲へキス
冷たい風が頬を撫ぜる。上を見上げればたくさんの瞬く星が、下を見下ろせばたくさんの真っ赤な血が広がっている。私は暫し空を見上げたまま、ほう、と白い息を吐いた。
「終わった?」
「ちょうど終わったところ」
曲がり角からひょっこりと姿を現したベルは、転がる死体を避けながら近付き「らくしょーだったな」と笑みを零す。私はちょうど彼の前に転がっている一つを見つめながら「そうだね」と返した。
「何? 知り合い?」
「……まあね」
「へえ、」
「いい人だったよ」
王子様って呼ばれてたらしくてさ。と、その人との出会いの日を思い返しながらそう呟けば、ベルは「ふうん」と転がる死体をまじまじと見つめたあと、たん、と靴音を鳴らして私の目の前まで近付いた。
途端にふわりと、彼の甘くて洗練された香水が香る。ぐっと近付いた彼の髪の隙間からは、涼し気な瞳が真っ直ぐ私を射抜いていた。もう何度も見ている筈なのに、私は何故だか視線を逸らすことが出来ずに、彼の瞳をじっと見つめ返す。そして彼は、にっと歯を見せて笑うと、私の手を取って「本物の王子なら、ここにいるけど?」と楽しそうな、甘い声で呟いた。
「随分物騒な、王子様ね」
「お前にお似合いだろ?」
月明かりしかない暗闇と、辺り一面に真っ赤な血が広がる中で吐き出された台詞は、酷く妖しげで、それでいて艶かしい。
「なに、きゅうに」
「いんや別に? ただ、」
ベルは丁寧に私の手を持ち上げたあと、そのまま手の甲にそっとキスを落とした。それがいやにゆっくりと見えて、心臓が大きく跳ね上がる。
「余所見はすんなよ」
ベルは私にしか聞こえないほど小さな声で囁き、緩やかに口角を上げる。再び視線が絡んだ時には、ぎらりとした何かが彼の瞳の奥に見えた。
2021.02.26