まだこの距離感のままで

 暇潰しでもしようかと街を彷徨っていた日に、特にめぼしい玩具も見当たらず、仕方なしに珈琲でも飲んでから帰ろうと、たまたま近くにあった店に入った。
 外は凍てつくような冷たい空気が漂っているが、一歩店内に入ればふわりと暖かい空気と珈琲の香りが迎えてくれる。
 思ったより雰囲気のいい店だな、と思い、カウンターに寄ると、闇を知らなそうな、人当たりが柔らかい女性店員が声を掛けてくる。特に気にすることもなくエスプレッソを頼み、さっさと飲んで、少し暖まってから帰ろうかと思っていた筈なのに。

「また来てくださいね」

 別に自分だけに言っているわけでもないだろう。ただの仕事の一環だ。それなのに、妙にその言葉と表情が忘れられなくて、気付いたら何度も店に通っていた。

『今日は特に冷えますね』
『甘いものは好きですか?』
『これ、内緒ですよ』

 訪れる度に増えていくあの子との他愛もない会話に、じんわりと暖かい何かが心に積もっていくのを感じていた。

 それがどういう意味なのか、気付かないふりをして。
 今日もまた、街を彷徨い、あの子に会いに行くためにあの店へと足を運ぶ。空は厚い雲に覆われ、花びらのような大きな雪が舞い落ちていた。

「あっ、ベルさん」

 雪が降ってきたことを確認していたのか、店の扉を開け放ち、あの子は空を見上げていた。自分の姿に気が付くと、蕾が花開くように顔を綻ばせる。瞬間、再び心に暖かい何かが降り積もった。

「中、入りますか?」

 その言葉に黙って頷いた。あの子が外に出るまであと一歩。出てきてしまえば、きっと自分は止められない。
 あの子の手を引いて、闇夜に連れて行ってしまうだろう。

「さみーから早く中入れろよ」
「ふふ。はい、どうぞ」

 薄々気付いてはいるけれど、認めてしまえばもう後には引くことは出来ない。
 欲しいものは必ず手に入れたくなるだろう?


2020.11.04



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