ミモザの下で

 欠伸が出てしまいそうなほど長閑な昼下がり。暑くもなく寒くもない、過ごしやすい気候のなか、明るい色の大きな家々が立ち並ぶ郊外の、広い道路に手ぶらで歩く男女が二人。

「まじで今日オレら行く意味あった?」

 首元まで締められたネクタイに皺ひとつない黒いスーツに身を包む男──ベルフェゴールは、そのきっちりとした装いとは反対に、気だるげに小言を漏らしながら道路の脇に転がる小石を蹴っ飛ばした。本日の任務は同盟ファミリーボスの、手塩にかけた大切な大切なご令嬢の護衛で、本来ならば暗殺を生業とするヴァリアーには到底回ってこないような内容だった。もちろんそれとは別にその同盟ファミリーとの定例会も兼ねているのだが。当然ながら任務はあっという間に完遂。会議も昼ごろに終わってしまったため、こうして珍しく日の高いうちに二人は自分たちの屋敷へと戻っているのだった。

「仕方ないでしょう。そういう依頼だったんだから」

 なまえは宥めるような口調で一歩前を歩くベルにそう言った。確かに彼風に言うなら“つまんない任務”だったかもしれないけれど、こうして明るい時間に終われるのはなんだか一日が長く感じられて得をしたような気持ちになる。このあとはお互いオフなので遅めのランチでも食べれたら素敵だな、などと頭の片隅で思った。とは言っても彼は気分屋であるし基本的に自由な人なので、このままふらりとどこかへ消えてしまう可能性もあるけれど。

「こういうのはスクアーロとかオカマがやればいいんだよ」
「それは自分よりも二人の方が適任であり任せるべきだっていう意味?」
「オレがわざわざやる仕事じゃねーつう意味」

 口をへの字に曲げたベルが不快そうにこちらを見やる。彼が仕事を放棄しないか(最悪怪我を負わせるんじゃないか)とスクアーロは不安がっていたけれど、彼は案外、というよりもなんだかんだ仕事はきちんとこなすので騒がしいご令嬢に心底苛立ったような表情を浮かべてはいたものの、放棄するどころかしっかりと話にも付き合ってあげていた。

「あんなうるせー女、二度と関わりたくないね」
「とか言ってなんだかんだ最後の方は楽しそうに見えたけど」
「馬鹿だなって思ってただけ」

 ベルがため息をついてポケットに手を入れる。すると心地よい風が二人の間をすり抜けて、さらりと揺れた彼の髪が太陽の光を反射した。きらきらと瞬いて、眩しく光る。

「いい天気だねえ」
「ババアかよ」
「別に誰だって言うでしょう? 気温もいつもより高いし、最近食べてなかったジェラートでも食べたい気分」
「この間キッチンで盗み食いしてたじゃん」
「盗み食いじゃなくて、沢田くんからもらったの。それにあれはジェラートじゃなくて白くまアイス」
「ハ? なに? シロクマ?」

 なに言ってんだこいつ。口にはせずとも表情がそう言っていた。それが少しだけ面白かったのではぐらかしていると、彼は「その顔むかつく」と苛立ったように頬を抓る。

「痛い痛い……もう、乱暴だなあ」
「お前がさっさと言わないからだろ」
「だって珍しい顔してたから。白くまっていうのは日本にあるかき氷の種類だよ。可愛い名前だよね」
「なんでシロクマなの?」
「ええ、そこまでは知らないなあ」

 歯切れのわるい返事をするとベルは、「なんだ、つまんな」とつめたく言い放って前に向き直る。そうして分かれ道に差しかかったとき、迎えの車がある道とは反対の方へと足を向け、スタスタと歩いていった。

「え? こっちじゃないの?」

 どこか出かけるのだろうか。分岐点で足を止め、なまえはベルを呼んだ。すると彼はくるりと振り返って、訝しげな表情を浮かべる。

「ジェラート食うんじゃねぇのかよ」
「え、いいの?」
「いいのっつうか……いや別にお前が帰りたいならいいけど」
「え……ううん、行きたい。遅めのランチもね、食べたいって思ってたの」

 口角が緩むのを抑えきれずに駆け寄る。するとベルは近くにあった公園に足を踏み入れ、近道をするように街の方へまっすぐと向かっていった。再び心地よい風が吹く。春のあたたかい、穏やかな風だった。

「スーツなのがもったいないなあ」
「買えばいいじゃん」
「なにを?」
「服を」
「え、わざわざ?」
「別に今日だけ着るわけじゃねーんだしよくね?」
「いやそうかもしれないけど……」
「考えがケチくさいんだよな」
「ねえそれちょっと酷い」
「買ってやるっつってんの」
「え?」

 思わず隣に並んだベルを見やる。しかし彼は普段通りのつんとした表情のまま前を向いていて、至って真面目にそう言ったようだった。やがてこちらに首が傾いて、視線が絡んだような心地になる。すると彼は嫌そうな顔を浮かべ、「にやけてんじゃねえよ」と呆れたような声で言った。道の傍らには、大きなミモザの木が風に揺られてさわさわと音を立てていた。



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