秋の夜を駆ける

 最近、また綱吉がボロボロになって帰ってくるようになった。
 理由はわからない。いつもいつも夜遅くに帰ってきて、疲れ果てたように自室に籠る。ろくに食事を摂らない日だってあった。
 そして偶然なのかそうでないのか、父とも最後に話した日から顔を合わせていなかった。家にいなかったり、帰ってみれば既に眠っていたり、その時によって理由は様々であったが、ずっと聞きたいと思っている過去の話を、わたしは未だ聞きそびれてしまっている。

「ありがとうございましたー」

 本屋を出れば、外は既に日が沈み、あたりは薄暗い。母には遅くなると連絡済みであるので、それほど急ぐ必要はないが、思い出すのは先日あった商店街での出来事。
 あんな事件、早々起きないだろうが、それでもやはりわたしの中にトラウマのように焼き付いていて、一人で近辺を通る時はどうにも意識してしまう。いつの間にかわたしは早足で帰路についていた。
 しかしふと、あの日の出来事を思い出したからなのか、あの日と同じような空気を感じたような気がした。ピリ、と肌に突き刺すような酷く痛い空気。
 パッと、背後を振り向いた。しかし、そこにはやはり誰もおらず、気配すらしない。そうして思い過ごしかと前に向き直った瞬間、視界の端に、あの銀色が見えた。

「っ!?」

「う"おぉい。鈍くはねぇみたいだが、隙がありすぎるぜぇ」

「貴方は……この間の」

「お前を連れて来いと頼まれているんでなぁ。大人しく着いてきてもらうぞ」

 そう言って、銀髪の人は一歩わたしに近付いた。思わず、わたしも一歩下がる。何故、わたしを。人質にでも、する気なのだろうか。
 捕まらないという選択が、一番いいのはわかっている。しかし、彼から逃げられるとも思わなかった。

「連れて行って、わたしを殺しますか」

「そいつはオレが決めることじゃないが、今お前が逃げれば死ぬかもしれねぇな」

 今ここでオレに殺されてな。
 そう言って彼は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべながら、手に括り付けられた刃物を見せつけるように揺らす。どくり、と心臓が嫌な音を立てたが、彼の言っていることは嘘ではないのだろう。彼の強さは、あの日に嫌というほど思い知っている。

「わかり、ました」

 そう口にしてからは、一瞬のことだった。突然ぐいっと体が浮いて、視界が高くなる。何が起きたのかすぐには分からなかったが、しばらくして自分が彼に担がれたのだと理解出来た。
 彼はトン、と地面を軽く蹴ると瞬く間に夜に溶け込み、家から家へと移っていく。足音も立てずに秋の夜を颯爽と駆ける姿は、まるで忍者のよう。
 夜になると肌寒く、冷たい風が頬を撫ぜたが、それよりもこの非現実的な体験に少しだけ興奮したせいか、寒さは感じられなかった。連れ去られているのに呑気なのは自覚済みだが、担いでる彼の腕は苦しくない程度に優しく、移動する際も衝撃が軽減されるように気を配っていることに気付いてしまったのだ。
 星空はいつもと同じように綺麗であった。

 連れてこられた場所はホテルだった。移動中、辺りをずっと見ていたが多分ここは並盛町から少し離れた繁華街にあるホテルで間違いないだろう。エレベーターで上の階まで上がっていき、スーパースイートルームと表記されたドアを強く開ける。そういえば、担がれたままだというのにそれまでにすれ違った人々は、誰一人としてこちらを振り向かなかったのは一体何故だろう。
 スイートルーム着いてからも誰にも会わないまま窓の無い部屋に辿り着くと、銀髪の彼はゆっくりとわたしを降ろした。

「有難うございます」

 感謝を述べたわたしに、銀髪の彼は訝しげな表情を浮かべる。

「あの……名前を教えて頂けませんか?わたしは沢田なまえと申します」

 暫くしてから「スペルビ・スクアーロだ」と彼は教えてくれた。スクアーロさん。そういえばディーノさんはイタリア出身だと言っていたが、彼もまたイタリアの人なのだろうか。
 荷物を置き、スクアーロさんに別の部屋へと案内される。歩く度に目の前であの綺麗な銀色がきらきらと輝くので思わず触れたくなったが、触れてはいけないような気がした。怒られるとかそういう理由ではなく、わたしが簡単に触れていいものでは無いような気がしたのだ。
 するとスクアーロさんは、「ここだ」と告げてから、ノックもせずにつかつかと部屋の中に入っていく。恐らくきっと、この先にはわたしを連れてこいと、スクアーロさんに命じた人がいる。

「う"お"ぉい! 連れてきたぜえ、ボス」

 スクアーロさんが声をかけた人物は、一人がけのソファに座っていた。こちら側を向いていないので表情は分からないが、後ろ姿だけでも威厳に満ちているような気がした。
 そしてボスと呼ばれたその人物がちらりとこちらを振り向く。
 赤い、深紅の瞳が輝いた。

「……っ」

 どくりと、心臓が大きく鼓動した。なんだ、今の。そして一瞬、頭の中にある靄も晴れたような気もする。気がしただけで、実際何かを思い出したり、わかったりすることはなかったけれど。
 ボスと呼ばれた男と、しばらくじっと視線が絡んだ。彼の瞳からは真っ直ぐ見ているだけで、焼け焦げてしまいそうなほどの強い力を感じる。
 すると目の前の男はこの短い時間で何かを得られたのか、特別何かを話すわけでもなく、「もういい」と言ってわたしを部屋から退出させた。

 荷物を置いた部屋へと戻りしばらくした頃、スクアーロさんも戻ってきた。そして告げられたのは一先ずわたしは殺されないこと。しかしこの部屋からは出てはいけないこと。この二つだった。

「逃げようとしたら殺されると思え」

 そう言ってスクアーロさんは部屋から出ていった。



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