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呟きに反応した先輩がぴたりと停止する。
縮まらなくなったその距離に安堵した僕はひっそりと息をついた。
なんだかすごく息が苦しかった。
「うさ、せつと?」
「……はい」
「……せつと、ってどういう字?」
まだ先輩の顔を見ることはできないけれど、それまでとは違った敵意もなにも感じない声色。
なんで敵意がなくなっているのかはわからないけど、それでもやっぱり顔は見ることができない。
だって怖い。
そう思いながらも僕はまた小さく呟く。
「雪に、うさぎで、雪兎です」
「ふうん、そっかあ」
僕は恐る恐る顔を上げて先輩の表情を確認した。そこにあったのはもう敵意も警戒心もない先輩の顔だった。
なにが要因になったかなんてぜんぜんわからないけど、その表情を見て僕の震えも緊張もなくなってしまったのはたしかだ。
ほっとしていると先輩がにこおっと笑った。
「ねえねえ、うさちゃん」
「……? うさちゃん、ですか?」
「そうそう。苗字も名前もうさぎなんだから、ぴったりでしょ〜。それになんか全体的に小動物っぽいし? 決まり決まり」
「……」
戸惑いながらもこくりと頷くと、先輩は楽しそうに声を弾ませる。
「うさちゃんは、俺のことハルとでも呼んでね?」
「ハル、先輩?」
「うーん、なんかびみょ〜」
「……じゃあ、ハルさん?」
「おお! それいいじゃん。じゃあこれから俺のことはハルさんって呼んで? うさちゃん」
また頷く。
僕のつたない動作でもいいのか、先輩……ハルさんは終始笑顔。きらきらとしたそれはなんだか僕まで暖かくなってくる。
少し前まで僕のことをこの笑顔とは正反対の冷たい目で見ていた人と同じ人だなんて思えない。
それにしても、どうしてやさしくなったんだろう?
疑問を口にするわけでもなかったので、その疑問に答えてくれる人はいなかった。
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