あなたのための銀の牙


「釣った魚に餌、あげてよ」
「なに?」
わたしは釣りなる行為をしたこともなければ、当然魚も近くにいないため、呆けて目をぱちぱちさせるほかなかった。
けれども発言した当の本人、佐伯は、大真面目な顔で、まっすぐこちらを見つめている。
「俺ばっかり好きじゃない?」
なにをと聞こうとしたが、さすがに言わんとしていることがじわじわ分かってきて閉口した。釣った魚って、佐伯のことか。べつに釣った覚えはない。質問だって思わず、メンヘラ彼女みたいなこと言わないでよ、と言いそうになった。
「今はちゃんと佐伯のこと好きだよ」
「好きならインスタに載せて」
「は?」
「インスタ、ご飯しか載ってないよね。俺のほうがインスタ映えするよ」
「ちょっと待って、自分が何言ってるか分かってる?」
わたしはSNSにバンバン恋人の写真を載せる人種があまり好きではなかった。残念なことに佐伯はその人種なのだが、好きになってしまった以上、自分が(正確には自分の腕や服の一部が)載せられてしまうのはもうしょうがないと割り切っていた。
わたしのインスタは好きな食べ物を載せている。食べ物の写真で揉めることはまずないし、そもそもグルメ日記程度にしか思っていなかった。グルメ日記なので当然佐伯の載る余地は皆無である。
「俺の顔きらい?」
「…………」
顔の良さを自覚した物言いをするな!
苦虫が100匹くらい潰れたような、なんとも言えない気持ちに満たされる。
机に置かれたアイスティーの氷が溶けて、からん、と涼しい音がした。


--


佐伯と知り合ったのは半年前にさかのぼる。志望校の決まってない不安や、ただどこかに出かけたい気持ちを抱えて、夜中の2時くらい、ほの寒い海へ自転車で向かった。適当に結んだポニーテールが冷たい風にふわふわ揺らされて、スニーカーで乱暴に踏むペダルはいつもよりなんだか軽い。
自転車で15分少し、いつもの海に着いてざっくざくと砂浜を歩いていたら、見慣れない物体が転がっていた。正しくは物体ではなく、三角座りをした男だった。足の間に顔を伏せて、表情はわからないがド派手な銀髪を潮風になびかせている。
寝てるわけではなさそうだ、とわたしは思った。パッと見た感じ服装は薄手で、風邪を引いてもおかしくない。恐る恐る近づいてみる。足元で砂利が音を立てても、顔を上げる気配はない。今世紀最大の勇気を振り絞って、わたしは声をかけた。
「あの、大丈夫ですか」
「!」
弾かれたように顔が上げられる。至近距離でばちんと目が合った。瞬間、声をかけたことを猛烈に後悔した。
テニス部の王子様と言えば六角中の誰もが知っている、佐伯虎次郎のことである。髪の毛で気付けなかったわたしはアホだ。バレンタインは山ほどチョコをもらい、女にモテるだけではなく男友達も多く、文武両道でとにかく目立つ。同じクラスになったことはないけど、あまりにも有名なので、ミーハーなほうではない(と思う)わたしも知っている。
その王子様はボロッボロに泣いていた。真夜中の砂浜で、綺麗な顔は涙でぐしゃぐしゃだ。彼は呆然とわたしを見つめていた。
その濡れた瞳の綺麗なことに耐えられず、わたしはポケットからハンカチをガッと取り出して、その彫刻みたいな顔面に押し付けた。
「っわ……」
「なんでこんなところで泣いてるの」
努めて佐伯のほうを見ないように声をかけた。完全におせっかい野郎なのは自覚していた。はたから見ても人生順風満帆といった感じの男が一人ぼっちで泣いてるのには、そりゃ並々ならぬ理由があるだろうとは思っていた。それを赤の他人のわたしに話す義理は別にない。
佐伯はわたしの手から優しくハンカチを取って、ちょっと乱暴に顔を拭った。
「俺、テニス部なんだけど」
「……うん」
知ってる。同じ学校だから。が、佐伯はわたしのことを知らないし、突っ込むのは野暮だ。
「他の部員見てて」
「うん」
「俺って才能ないのかなってちょっと思っただけ」
思春期らしい悩みだなあというババくさい感想が出てきそうになったけれど、当の佐伯の泣き止む気配がなさそうなこともあり、わたしは閉口した。口を出そうにも帰宅部のわたしにその悩みはこれぽっちも理解できなかった。いや、一定の理解は示せるけれど、同じ気持ちを抱えることはできない、ということだ。
なんとなく、佐伯の悩みは学年も関係している気がした。このままテニスを続けても、という、行き場のない気持ち。わたしたちは岐路に立っている。高校受験程度で、と大人は言うかもしれないけれど、その程度で不安定になるくらい、中学生なんて存在は脆くて儚いものだ。自覚しているからこそ余計悔しくなるし、泣きたくなることもある。
テニス部の王子様はなかなかに豪快に、わたしのハンカチでぐしぐしと顔を拭いていた。王子でもこんな日もあるだろう。きっと石油王だってハンバーガーを食べたくなったり、お姫様だってお城を抜け出したくなったりするのだから。
「佐伯くんは賢いじゃん」
「……利口なだけだよ」
「賢くて、利口だから、才能がなければやる意味がない、なんてことは、この世に存在しないってちゃんと知ってるじゃん」
佐伯は海の方を眺めていた。その視線は遠く水平線を撫ぜるような、力のないゆるやかなものだ。
「好きにやりなよ」
なにせわたしは超他人である。無責任に、慰めにもならないような慰めしか言えなかった。
海辺だけあって風が強い。来て早々のアクシデントもあったし、もう帰ろう、と思った。わたしは無言で立ち上がって、お尻の砂を払ってから自転車のほうへ向かった。ハンカチ1枚くらい、失ったところでどうということはない。
少しだけ佐伯のほうを見たけれど、彼はわたしが去ることに無頓着そうであった。思春期の憂いを邪魔して申し訳ないな、くらいの気持ちを抱えて、わたしはまた自転車のペダルを回した。


--


目の前であーだこーだと言う佐伯を見て、わたしは思いっきり首を傾げた。
「佐伯さ、最初に会った時そんなキャラじゃなかったじゃん。詐欺?」
「詐欺も何も、凹んでたわけだし。あと誰だって初対面相手と恋人相手じゃ態度も違う
ものだろ」
「こんなメン……面倒くさい奴だと思わないじゃん」
「メンヘラって言いかけた?逆に夜中に海で泣いてる男がメンヘラじゃないと思う?」
そんなに勝ち誇った顔でメンヘラ宣言をされてもな。
あのあと佐伯が何を考えて、どう行動したのか私は知らない。ただ翌日教室に佐伯が来て、わたしの顔を見るなり「一緒に遊ぼう」と声をかけてきた。突然すぎて顎が外れるかと思った。乗りかかった船、と言われるとどうにも弱くて、そこからちょくちょく遊ぶようになって、気づいたら付き合ってたし、気づいたら高校受験も終わってたし、違う高校に行っても付き合いは続いていた。
佐伯は高校でもテニスを続けている。彼の心情はともかくとして、わたしはそれが嬉しかった。ひょっとして、テニスコート近辺で固まっている女の子たちと同じように、わたしも佐伯のテニスをしている姿が好きなのかもしれない。
「佐伯って今もテニス部の王子様って呼ばれてるの?」
「うん」
「すご」
たしかにテレビをパッとつけて出てきた男より、佐伯のほうが顔がいいということはザラにある。インスタ映えする、と名乗るだけはある。こうやってカフェのテラス席を2人で陣取ってみても、なぜか佐伯だけ映画の撮影みたいな雰囲気になる。もう慣れたけど。
佐伯はきゅうっとわたしの手を握った。あつい。
「俺にとっての王子様は名前だけどね」
「……あ、そ」
これでときめくのは不覚。湯だったみたいな感覚は佐伯の体温のせいである。
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