純みたる心
引越しってめんどうだ。ぐちゃぐちゃになった机の上を全部整理して、必要なものをダンボールに詰めて、やっぱりぐちゃぐちゃな机のなかも整理して、詰めて、いらないものはゴミ箱へ。普段整理整頓とは縁遠い生活をしている私からすると、苦痛このうえない作業だった。
「なんや、オンナノコとは思われへん部屋やなあ」
「そりゃ蔵の部屋に比べたら誰の部屋もそんなもんでしょ」
「名前の部屋はフツウに見てもちょっと片付けてなさすぎやけどな」
否定できない。とにかくものを捨てられない性質で、いつ撮ったかわからないプリクラとかがわんさか出てくる。大切な友達と撮ったやつは残しておきたいから、財布にでもしまっておこう。
中1のとき友達にもらった手帳。開いてみたら6月までしか予定を書き込んでいなかった。このときから何ひとつとして成長してないな、と苦笑いを浮かべながらごみ袋に放り込む。もらったときに表紙のデザインがすごく可愛らしくて、何度もお礼を言ったのを思い出した。ちくちく胸が痛む。やっぱり整理整頓は楽しくない。
「蔵の部屋はさ、キレイでしょ」
「ん?まあ、せやなあ」
口を動かさずに手を動かせ、とでも言いたげに視線をよこしてから、蔵は荷物を詰める作業をしてくれていた。こればっかりはどうしても聞きたいのだ。
「どうやってものを捨てるの。悲しくない?」
「んー……」
手を止めた。包帯を巻いた右腕と左腕をわざとらしく組んで考えるそぶり。芝居がかってるなあと前々からずっと思っていたけど、本人からすると案外素なのかもしれない。ここでキレイに片づけをする術を聞き出して、引越し先ではぴかぴかの部屋を保てるようにしたい。
「捨てるんじゃないねん」
捨てるんじゃなくて、ともう一度言う。やけに真剣そうに声を出すものだからこっちの心臓がどきりと跳ねた。
「ものがなくなってしまっても、もらった記憶がなくなるわけちゃうから」
子供に語りかけるような優しい口調だった。年下扱いされている気がして(実際私のほうが子供っぽいのも確かで)、素直に聞くのがちょっと癪だった。言っていることは分かる。けれど私は蔵みたいに大人でもなければ賢いわけでもなくて、ものを見ないと、そのものが自分の手元にないと、不安で落ち着かないのだった。
「やっぱ無理」
「ハハ。そんなんで俺がおらんくても暮らしていけるんか?」
「それも無理」
幼稚園のときからずっと一緒で、小学校も中学校も一緒に登校したりして、困ったときには助けてくれる自慢の幼馴染だった。もちろん蔵に彼女ができたときは遠慮してできる限り近づかないようにしたけれど、見た目とは裏腹の残念な性格であんまり長く続くことはなかったからその期間も短い。べったべたに甘やかされている、と言っても過言じゃない。
けどそれも今日でおしまい。遠くの高校に進学を決めたのは自分だ。
「なんや俺のほうが不安になってくるやん」
「勝手になってればいいじゃん」
「かわいげないなぁ」
そんなこととっくの昔に分かってるはずなのにいまさら口に出すなんて。私が意地っ張りで強情なことくらい知ってるくせに。不安なんだったらついてきてよ、と性格の悪いことを言ってみればそれは難しいわ、と目尻を下げて微笑んだ。もちろん本気で言ってるわけじゃないし、蔵には蔵の未来がある。私がそれにどうこう干渉したりすることはもうきっとないだろう。
「でもプレゼントはあるで」
「引っ越す前から荷物増やしてどうするの」
「かさばらへんから、大丈夫」
蔵が私の手をゆっくり取った。男だというのに私と同じくらい、ひょっとすると蔵のほうが白いかもしれない。自分とちがうぬくもりがただぼんやりと伝わってきた。どうしたのって聞こうとして、のどの奥で声がかすれて消えた。手の甲にゆっくり、綺麗な幼馴染が口づけを落とす。それから名残惜しそうに唇が離れて、やわく握り締めた手をほどいた。
「ものがないと、忘れてまうんやろ。はやく、おれのことわすれてな」
そんなの私のせりふだ。頭が思いっきり殴られたようにあつい。忘れてほしいなら渡さないで、ものより重いものをこの腕にずっと抱えることなんてできやしない。