「ねぇ、本当なの? 根津くん」 「うるさいな。とっとと失せろ」 屋上は風が気持ち良い。今日も快晴だ。柵に体を預けて、私は紙パックのジュースをじゅこっと鳴らした。根津くんは飛び降り自殺のリベンジをしようとしている最中だったらしい。 「でも、今こうして私の前にいる根津くんが幽霊でもない限り、全部本当の話だね」 「……チッ」 舌打ちを一つして、根津くんは腰ほどまでしかない柵をひらりと乗り越えると――私の方、屋上に着地してそのまま横をすたすたと歩いて行く。 「どこ行くの?」 「お前のせいで興がさめた……」 「ふぅん」 去って行く背中を見つめていると、キーンコーン……と予鈴の音が響いてはっとした。教室に戻らないと。 * 根津くんは誰しもが知る人嫌いだ。 いつも一人を好む。けれど周りの皆は根津くんの事が大好きだから放っておかない。昼休みは隙あらば色んな人に一緒にご飯を食べないかって声をかけられているし、放課後は部活の助っ人なんかに誘われてる。バレンタインは特に大変で、下駄箱、机、ロッカーから全校の女の子からのチョコが詰め込まれ溢れるほどらしい。うーん、どうなんだろう? 「ねぇ、それは流石に噂だよね。根津くん」 「あー……? なに? 」 今回、根津くんは家庭科室のガスコンロで一酸化炭素中毒を起こして自殺しようとしていたらしい。床に寝転がった根津くんを踏まないようにしながら、割れ飛び散ったガラスに気をつけながら、先程勢い良く飛んできた硬式の野球ボールを拾い上げた。 「なに? お前もオレの事好きなの? 」 好き? うーん、どうだろう。 「……別に。好きじゃないよ」 少し考えた後、見下ろしてそう言うと根津くんは変わらずにやっと口元を歪めたまま、両手で顔を覆ったまま私に言った。 「オレは嫌い。お前は特に」 「……うん、知ってる」 嫌い、か。 ガラスの割れた音に気付いた先生が駆けつけるまで、なぜか私の胸には真っ直ぐ向けられた根津くんの「嫌い」がちくちくと沈み続けていた。 * 根津くんは頭がいい。 テストではどの教科も満点でいつも学年一位だ。特に勉強をしなくてもいつもそう。100年に一人の天才だと先生たちは言っていて、海外の有名大学から飛び級入学式しないかと誘われてるらしい。5歳にして英語を喋り出したって話も聞く。 「本当なの? 根津くん」 椅子の上、図書館の梁に首吊り用のロープをかけていた根津くんは、嫌そうに私を見下ろした。 「お前、暇なの?」 「暇じゃないよ」 暇じゃない。本当だ。今だって図書館に来たのは、借りていた本を返すためで、それが終わったら、頼まれて集めたプリントを先生に提出しないとだし。 「暇じゃないなら何でオレに付き纏ってくんだ」 「……なんで」 なんで、だったっけ。私は何故根津くんに興味を持つようになったんだっけ? オウムのように復唱し考え込む私に、ため息ひとつ吐いて、「もういい」と根津くんは背を向ける。頼りなく揺れる縄に首をかけようとした瞬間、ばきっ! と大きな音がして、彼は綺麗にすっと消えた。……足元を見ると、床板が抜けている。 「根津くーん、大丈夫?」 膝をついてそっと下をのぞく。元気に舌打ちがひとつ返ってきた。うん、今回も無事そうだ。 * 根津くんは死にたがりだ。 死にたがるのに毎回毎回失敗して、死にたがるのに皆の人気者で、死にたがるのに頭も良くて、死にたがるのに容姿も良くて――死にたがるのに、誰もがなぜ死にたがるかを知らない。 思い出した。私は根津くんに聞きたくて、興味を持ったのだ。 屋上のドアを開ける。初めて話しかけた時の様に、根津くんは屋上にいた。今回は、柵の内側に。 「ねぇ、聞きたいことがあるの」 返事はない。根津くんはわたしに背中を向けたまま、そこに佇んでいた。 「根津くんはなぜ死にたいの」 「……」 伏せられて、逸らされて、合わさることのなかった根津くんの瞳が、今初めてじっと私を見た。屋上に吹き付ける風が酷く髪を吹き荒らす。太陽がまぶしくて、ちかちか、する。 「嫌なんだよ。全部簡単でやりがいがなくて」 沈黙の後、ぽそりと根津くんは言った。 「つまんねぇんだよ」 苦々しく吐き捨てる声とは裏腹に、根津くんは泣きそうな顔をしている、気がした。 「根津くんは見ていて面白いよ」 咄嗟に、叫ぶような声量でそういってしまった。根津くんは訝し気な顔で私を見ている。意味わかんねえ、とでも言いそうな顔だ。 「ね、根津くんは、死のうとするのに死ねなくて、面白い助かり方をして、私はそれがとっても面白いと思う」 「悪口か?」 「違う。そうじゃなくて」 違う。違うと本能的に思う。私が言いたいのは、もっと単純な感情のはずで。 「好きなんだと、思う」 そう。これだ。この感情。私は、私は。 「根津くんを見ているのが、好きなの」 面食らった顔で私を見ている根津くんの口から、は、と音が漏れる。 「はは……あはっ、ははは……はははは」 最初は力なく溢れたそれは、だんだんと大きくなって、笑い声になって、根津くんの肩を震わせる。どうして笑っているのか理解できなくて、今度は私がぽかんとする番だった。笑ってる彼は無邪気で気力に満ちたありふれた学生みたいで、まるで別人で、いつもの何倍も魅力的で、惹きつけられてしまう。 ひとしきり笑ったあと、根津くんは笑い疲れたのか軽い調子で柵に腰かけた。 「なぁ、小林」 「う、うん」 名前を呼ばれるのは初めてだ。少し驚いた。苦そうに眉を潜めた笑顔をつくって、根津くんは言った。 「最初からお前みたいなやつに付き纏われてたら、少しは俺も楽しかったのかもな」 そう告げて根津くんは、柵の向こうに身を倒した。 「え」 ひゅっ、と喉がしまる。なぜか、初めて彼の死を恐怖に感じた。 「ね、根津くん!」 手すりに体当たりでもするように縋り付く。下を覗けなかった。覗きたいのに見るのが怖くて仕方なかった。ばくばくと心臓が耳の真後ろにあるような音がする。 大丈夫。きっと大丈夫だ。あの根津くんだ。きっと、今回もまた柔らかいものに着地してるはずで、から、なんでこんなに、私は怖いの?勇気を振り絞って覗き込んだ先、地面には何もなくて。根津くんはどこ。根津くんは 根津くんは…… 根津、くんは。 ……。 あれ? 根津くんって、誰だったっけ? |