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サファイアの海にて-01  





風と共に香る潮の匂い、止めどなく寄せては返す波の音──

「海だ、」

陽光を照り返してキラキラと宝石のような眩しさを放っている久方振りの風景に
佳奈子は無意識の内に呟いていた。

連れ立って来た面々が初めての景色にそれぞれの歓喜の声を上げるのを聞きながら
佳奈子は波打ち際に歩いて波に触れてみる。波は指先を撫でるようにして寄せ、そして返し、また寄せた。
春先のまだ少し冷たい水温。それが触れる度に干からびていた体にじわじわと浸透するようだった。

波も海自体もさして自分に取って珍しいものではない。
奇麗だとは思うけれど周りのように海そのものに感動する初めてはもうとっくに失っていて。

──それでも、心が打ち震えていた。

この夢と自分の現実には何一つとして整合性がなかった。
人も文化も世情も自然さえも噛み合うものが存在しなかったのに眼前に広がる海だけは同じだった。

ブーツを脱いで砂浜に素足を埋める。
濡れてしっとりとした柔らかい砂の感触と慣れた水温になんだか帰って来たような錯覚を起こした。

母なる海。
全ての生物の故郷として海は捉えられており、海に対してノスタルジックな胎内回帰願望を
持つ日本人は少なくないという。

日本人でなとくともアルミンやエレン、調査兵団といった多くの人間が海の存在を知り、
そして望んで目指したのだから人種差はないのかもしれない。帰巣本能とでも言うべきだろうか。

「カナコっ!…ひっ」

名前の後に小さく上がった悲鳴に佳奈子が振り返ってみると、ミカサが波に驚いて飛び退いているところであった。
巨人相手だろうと誰だろうと滅多に怯みはしない彼女の か弱い姿がどこか可愛らしくてつい笑ってしまう。
するとミカサはしゅんとしながらも視線で助けを求めて来たので、佳奈子は手に持っていたブーツを
波が届かない場所へ置いて空いた手を彼女へ差し出して誘った。

「ごめんね。ほら、ミカサも靴脱いでこっちへおいでよ」
「う、うん…分かった」

脱いだブーツを佳奈子のブーツの隣に並べたミカサは恐る恐るといった様子で波打ち際に近付く。
そして寄せて来た波にまたも飛び退いたが、

「大丈夫だよミカサ」

言葉をかけてやれば彼女は佳奈子の手に自身の手を重ねた。
と、再び戻って来た波がミカサの足を濡らして接触した手にぎゅうっと力が込められる。
硬直した体の力は唇までにも神経が伝わっているらしくきつく真一文字に結ばれていた。

波が寄せて来る度に縋るように手を強く握る彼女に大丈夫だと言ってやること数回。
ミカサは息をゆっくり吐くのと一緒に体に入っていた余分な力を抜いた。

繋いだ手はそのままに佳奈子は彼女の隣に並び立った。
慣れて余裕が出来たからか、興味深そうに波を見下ろすミカサの表情には笑みがあった。
海を好きになってくれたらしいその様子に佳奈子の頬は嬉しさで緩む。
唯一の繋がりである海をミカサに受け入れて貰えるのは喜ばしいことだった。

「…不思議」

視線を下に落としたままの彼女の声音が白波の音に乗る。

「どうして海の水は寄せて返してくるんだろう」

今日、始めて海を目にして"波"という現象も"海水"という言葉も知らないからこその幼い子ども染みた質問だった。

偏西風や貿易風といった常に吹いている風の影響で波は立っていて──
と、説明しても伝わらないだろうしもちろん言うわけにもいかない。

他にも地球の自転、公転に月、太陽、その他の惑星の引力よって生じる海水の動きも
原因の一つであるものの、それには地球球体説と地動説から説かねばならないが、
これこそ口にするのはまずい。

「…なんでだろうね」

結局佳奈子は知らないふりを演じた。無用なことはしまって置いた方が得策だ。
ボロは出さないに限る。

「カナコでも知らないことがあるの?」
「そんなのたくさんあるよ」

驚いたという風に目をぱちくりするミカサに呆れて苦笑しながら波を軽く蹴った。
本当に彼女は自分を全知全能の神とでも思っているところがあり反応に困る。

ミカサよりここの人間達よりも知っていることはある。
けれどもそれ以上に知らないことの方が多い。

世界の行く末、エレン達の物語の結末。──そして自分がこの夢から覚める方法。

佳奈子は海原に瞳を向けた。両の目に収まり切らない風景のなんて果てしないことか。
自分のこの誰に問いかけることも出来ない最大の疑問と同じだ。
常に立つ懐疑のさざ波に心をすり減らされながらもここまでやって来た。

しかしすり減って角が丸くでもなったのか親しくなった彼らと、こうして繋いでいる
彼女の手を離しがたく思うようになってしまった。

夢から覚めたいけれど、覚めたくない。覚めたくないけれど、夢から覚めたい。
そんな矛盾を一人で循環させている。

「きれい…」

隣からの無垢な言葉がまさか自分に向けられたものとは思わずに佳奈子は同意した。

「うん」

そうここは残酷なほどに、

「奇麗だ──」



2021.3.11