母はどんな花が好きだろうか。 長い年を経て、心を通わせることが出来るようになった母親。 今までのことを話していく内に視野が広がり、ふと母の病室を見渡した時に轟は思ったのだ。 ───色が無い。 白くて清潔な部屋ではあるが、あまりに整然としていて寂しい。なにか彩りが欲しいと感じた。 そうして次には花が頭に浮かんでいた。一輪でもあればこの空間は華やいで、母の気分も明るくなるのではないか。 花を見て笑う母を想像すると、轟も自然と広角が上がった。母親の笑顔を見れることがなにより嬉しい。 密かに笑っている自分に母が不思議そうに首を傾げる。 それになんでもないと答えながら、今度ここへ来る時は花を持ってこようと轟は思いを馳せた。 母への、生まれて初めての贈り物。胸の高鳴りに右半身も熱くなる感覚がした。 そしてあくる日。轟はある花屋の前で足を止めた。瓦屋根に格子戸。 洋風のイメージが強い花屋だが、ここの花屋は轟の実家を思わせる純和風の外観だ。 いつもは素通りして病院へ向かうから、こうして立ち止まるのは初めてだ。 人生で初めての花屋にしばし立ち止まっていると、 「おや、轟くん?」 と、自分を呼んだ声に轟は顔を向ける。見知った顔の少女が軽く手を上げてこちらに挨拶をした。 声をかけてきたのは同じクラスの剣先和叶であった。 「剣先」 「こんなところで会うなんて奇遇だね」 近くまでやって来た和叶が微笑む。彼女の言う通り、特別交流があるわけでもない自分達が学校意外、 それも休みの日にこうして外で出会うとは思いがけないことである。 制服ともヒーロースーツとも違う格好の和叶は、いつもと感じが違ってなんだか目新しい。 ただ、いるだけで場がぱっと明るくなる華やかさは変わらないなと思いつつ、轟は首を下に動かす。 「あぁ、そうだな」 「もしかして轟くんも花屋に用事かい?」 「・・・"も"、ってことはお前もか?」 まさか用事まで重なるとは。またの偶然に目を瞬く轟に、彼女は胸に手を当てて大きく頷く。 一つ一つの動作が芝居のように大げさなのも相変わらずだ。 「うん、そうともそうとも!ここにはよく来るんだ」 「そうか」 躊躇いもなくすっと店へと入って行く和叶を黙って見送る。 少しすると彼女が花の間から顔を出し、きょとんとした表情で轟を見つめた。 「どうした轟くん?」 「そんなとこで立ち止まってないでおいでよ!」と、生き生きした花達に負けない満開の笑顔で轟を手招きする。 それは同年代とあまり接触のなかった轟には馴染みの無い光景。 「・・・おう、」 やや反応が遅れたあと小さく返事をして彼女の方へ足を向ける。 照れ臭いというか、こそばゆい感触がした。 「いらっしゃいませ」 中へ入ると黒縁の眼鏡と笑顔が印象的な中年の男性が轟と和叶を出迎えた。 花の香りが漂う中、彼女を見た店員は「あぁ、和叶ちゃん」と笑みを深くする。 「どうも、こんにちは」 「はい、こんにちは。そちらは・・・あぁ、体育祭で見た子だ」 「轟くんだったかな?格好よかったよ」とかけられた言葉に轟は控え目に頷く。 面と向かって褒められるのは気恥ずかしかった。 「さて、ご注文は?」 「私はいつも通りおまかせで」 「はい。轟くんは?」 注文のシステムがよく分からず、探るようにお見舞い用でと答えれば、男性は優しげな微笑を作る。 「どういう感じにしたらいいかな?元気が出るようなとか、明るくなるようなとか」 「・・・じゃあ、元気が出るような感じで」 「分かりました。お値段は2000円ぐらいで大丈夫かな?」 商売だからかもしれないが、丁寧で焦らせない接客にほっとしながら轟は静かに首を縦に振った。 注文を受けて奥に行こうとした男性に和叶が「あ、」と声を上げる。 「私は特別急ぎでもないんで、轟くんのを先にお願いします」 彼女のその言葉を受けて、店員は今度こそ奥へと姿を消した。 予想だにしなかった気遣いだったので遠慮する間もなかった。 「さんきゅ」 お見舞い用といった自分を深く追及しないでくれたことへの感謝も込めての礼だ。 「いやいや、構わないよ」 そう笑いながら和叶が髪を耳にかけた時。動きに合わせてずれた袖から現れた腕の内側に、 絆創膏が貼ってあるのが目に付いた。注射をしたあとに貼る正方形のテープだ。 ほんの一瞬だけ見えたそれを彼女はすぐさま隠した。今思えば和叶が歩いて来た方向は病院がある方だ。 「───内緒にしてくれるかい?」 唇の前で人差し指を立てる和叶の笑顔は心寂しいものであった。 不意打ちに似た表情の変わり様に思わず黙って頷く。 「ありがとう。助かるよ」 寂しい笑顔を引っ込めて和叶は朗らかな笑みを出す。そして彼女は言葉を重ね始めた。 それは先ほどの会話を押し流すかのようであった。 「今日は助かった」 注文通りの元気が出る花束に轟は目を落とす。 彼女と出会わなかったら店に入るのにもまごついていたかもしれない。 「なんにもしてないけど轟くんの役に立てたのなら幸いだ」 「・・・借りが出来ちまったな」 そんな大げさだと和叶は声を立てて笑った。 「でも、そうだな。君がそう思うのならいつか返してくれ」 保留となった借りを返すのは案外近い将来であることなど分かるはずもなかった。 2017.10.09 |