青と橙色が混ざり始めた空を、一羽の鳥が飛んでいく。
暗い天を孤独に、優雅に飛ぶその姿を、庭で見上げていた今剣は歓声にも近い声を上げた。
「みてください、あるじさま!おおきな"とり"です!」
今剣は鳥を指差してたからに教える。
彼女は地平線に沈みゆく太陽の光に目を細めながら、空を仰ぎ見た。
「ふむ。あれは鳶だな」
「とび!」
今剣に答えるように、頭上でピーヒョロロロロ・・・という鳴き声が響き渡る。
鳶という鳥は知ってはいたものの、きちんと"鳶とはこのような鳥なのだ"とは
認識していなかった。世の中を見てきた時間は目の前の彼女より長いが、
まだまだ今剣が知らないことで世界は満ち溢れている。
「あるじさまはものしりなんですねぇ」
「おうとも。頭の出来には自信がある方だ」
たからは眩しい光から目を休めるように一度瞼を下ろすと、再び上げて今剣に笑顔を向けた。
夕日の暖色に照らされたその顔は、とても優しいものであった。
「とりは、そらをじゆうにとべてうらやましいです」
今剣は空を旋回する鳶を見上げる。
「いちどでいいから、とりになってあのひろいそらをとんでみたいと、ぼくはおもいます」
岩融より、太郎太刀より高い視界から見下ろす世界はどんな風なのだろうか。
空を飛ぶという感覚は、いったいどんな気分なのだろうか。
想像する度に今剣の心はわくわくと弾む。
「あるじさまは、なにかなりたいものはありますか?」
「私か?そうだなぁ・・・」
彼女は視線を地面にやって思考する。
主の答えを待ちながら、これはもしかして愚問だったかもしれないと今剣は思った。
だって、たからは人が望むもののほとんどを手にしている。
―――容姿、頭脳、富、権力。彼女は他人からしたらなりたい存在で、羨望の的だ。
そんな全てを持ち合わせたたからが、それ以上に渇望するものなど今剣には想像出来ない。
だから彼女の答えはきっと、「特にない」だ。けれども、
「私は―――なんでもいい。叶うのならば、なにかになってみたいものだ」
と、まるで願うかの如く遠い夕日を見つめる。
眩い光に眉間をシワを寄せる横顔は、苦痛と自嘲が混ざったかのような表情にも見て取れた。
"なにかになりたい"
すなわちそれは、自分以外であるのならなんだって構わないということ。
今剣はたからの言葉からそう感じ取った。つまりは、己からの脱却。
多くの人間が憧れるであろう彼女自身が、自分を拒絶している。
自己を否定する自身の主に今剣は酷く胸が痛んだ。
今剣が大好きなたからを、それを彼女自らが嫌うだなんて。
「・・・やっぱり、とりはやめます!」
もうすぐ出てくる星の輝きのように、今剣は明るい声と笑顔を浮かべる。
たからは不思議そうに今剣に視線を戻す。
「たとえうまれかわれるとしても、ぼくはあるじさまの"かたな"がいいです」
そう言って、今剣は彼女に向けてにっこり笑う。これは本音だ。
いくつかの選択肢があろうとも、やはり最後に選ぶのは今の自分である。
でなければ、前の主にも、今の主にも出会えなかったのだから。
そして今剣がこう言えば、
「じゃあ、私も"今剣の主"がいいな」
と、表面上だけだったとしても、たからが笑って自身を肯定してくれるのが分かっていた。
2016.1.18