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我は偉大なる美食家エメラルド  



訓練での汗と汚れを熱いお湯で洗い流し、濡れた肌から湯気を立ち上らせながら、佳奈子は脱衣所で体を拭く。
最近は風呂上がり後が暑いと感じるようになってきた。もう、すっかり夏だ。

佳奈子は体の濡れをしっかり拭き、髪は雫が落ちてこない程度までにして、
下着を履く。すると―――

「カナコの肌ってもっちりしてて、弾力があるね」

そう、背後から囁くような声で言われ、背中をつつっとなぞられた。
声は上げなかったものの、佳奈子はびくっと体を震わせて振り向く。

「もう、驚かせないでよ、イリス―――」
「ふふ、ごめんね?綺麗なものだからつい・・・」

イリスは苦笑した。その瞳は佳奈子の上半身に向いている。
なんだか品定めをされているかのような視線で、佳奈子はさっとタオルで隠した。

「あ、私ったら・・・ごめんなさい」

イリスは謝ったが、佳奈子はまだ彼女の視線が突き刺さるように感じ、
直様シャツを着込んだ。それからは佳奈子は、風呂上がりでまだ何も纏っていないイリスに言う。

「・・・湯冷めしちゃうから早く着た方がいいよ?」
「あぁ―――うん」

頷くと、イリスはやっと佳奈子から体の向きを変え、着替え始める。
佳奈子は人知れず小さく溜め息を漏らし、自分も着替えを再開する。

―――何故だか分からないが、イリスと話す時、酷く緊張することがある。

恥ずかしいといったものではなく、それは恐怖、怯えに近いものだった。
時たま、彼女の視線がナイフのように感じれらる。
そしてその切っ先を喉元に突き付けられているような―――そんな錯覚がする時があった。

でも、彼女、イリス・ダナーはそういった人間ではないのだ。
ナイフなんて鋭利な性格ではなく、むしろ真逆の温厚な性格の持ち主だ。それに加え、控え目で大人しい。
そんなイリスと佳奈子がいがみ合うわけもなく、たまに会話する程度の、これといって仲が良くも、悪くもない仲である。

ミルクティーのような淡い茶色の髪を三つ編みのおさげにし、森をイメージさせる鮮やかな
グリーンの瞳で読書をしているのが常だ。
特に美人といったわけではないが、顔立ちの崩れは無く、充分に可愛らしい容姿をしている。
口元にある黒子が、あどけなさの残る顔を少し大人びて見せていた。
―――イリスは、教室の隅で静かに読書をしている文学少女といった感じであった。

ただ、そんな文学少女が本以外に興味を示すのが―――食事だ。
とはいえ、サシャのような人の食事にまで手を出そうとする食い意地が張ったものかと言われれば、そうではない。

食い物ときたら見境の無いサシャを悪食、暴食と例えるならば、イリスはいかに美味く食べるかをこだわる美食家であった。
特にそれは、ごくたまに出る肉の時は顕著なものだった。
食べ方も綺麗なもので、正に食い散らかすといった言葉がぴったりなサシャと比べたら雲泥の差である。

「―――カナコは、ここに来る前どんな物を食べてた?」

佳奈子が着替え終わったところで、同じく着替えの終わったイリスが、自然とやや変わった質問をしてきた。
何が好き?ならまだ分かるが、どんな食生活を送っていたか、なんて患者に聞く医者のようにピンポイント過ぎる。

訝しい。しかし、それがはっきりとしない。だからこそ、訝しい。
どう返していいものか佳奈子が思案して口を閉ざしていると、イリスはまた謝った。

「あ、ごめんね。ただ他の子に比べて肉付きがいいなあって思ったから」
「・・・それは私が太ってると?」
「ううん、ごめんなさい。そういう意味じゃないの」

イリスは頭と両手を振りながら、他意はないのだと体でアピールする。今日はよく謝る日だ。

「別に―――他の子と一緒で、特別いい暮らしをしていたわけじゃないけど・・・」

現在のここでの佳奈子の出身地は、壁が崩壊した今、都合の良いシガンシナ区ということにしている。
人類活動地域内でもっとも危険な場所であり、その為そこに住む住人の待遇は良かったらしいが、
それでも貴族には及ばないだろう。

―――実際は、ここの基準で比べたら相当いい暮らしをしていた。
衣食住に困らず、食べ物の質は、下手をすれば貴族より良いものを食べていたかもしれない。

この世界にやって来る前の、まるっきりそのままの姿ではなく、体や年は変わったが、
それでもなに不自由無く暮らしていた体に変わりはない。

イリスは少し顔を伏せて数秒の間を開けたあと、顔を上げて切り出す。

「じゃあ、ウォール・マリア崩壊後は開拓地にいたんだよね?」
「うん、そうだけど・・・」

怪訝に思いながら佳奈子は頷く。

壁崩壊後の話は辛い経験をした者が多い。
だから、普通は安易に話を振ったりはしないものだが・・・。
なのに目の前の彼女ときたら、佳奈子が頷いたのを見て顔を輝かせた。
佳奈子はその唇が開きかけたのを見て、まだなにかあるのかとうんざりした。

「ってことは―――」
「楽しそうだな。私も混ぜてくれよ」

ふいに、そうして肩を組んできたのはユミルであった。
密着する風呂上がりあとの彼女の肌が熱い。

ユミルの割り込みで、イリスの表情はさっきの興奮がすっかり消えていた。

「な、別にいいだろうイリス?カナコはお前だけのオネエサンじゃないんだ」

「―――それともなにか、人に聞かれちゃヤバイことでもあるのか?」と、笑みを口元に貼り付けてユミルは言う。

「・・・いいえ、別に。私はもうたくさんお喋りさせてもらったからあなたに譲る。―――またね、カナコ」
「あ、うん」

―――興醒め。その言葉がぴったり当てはまるぐらいの、去りようであった。
イリスの姿が完全に消えたところで、佳奈子はほっとした。

「・・・行ったか」

ユミルは組んでいた肩を外した。

「ありがとうユミル。助かった」
「癪だが、お前になにかあると私の可愛いクリスタが悲しむから助けてやったんだ。自惚れるなよ」

ユミルが人を小馬鹿にした態度で見下ろす。
皮肉屋・・・いやもしかしたら本気かもしれないが、相変わらずの彼女の態度に佳奈子は苦笑する。

「―――けど、私は親切だから忠告しておいてやる」

ユミルは真面目な顔をした。

「アイツはなにかある。近付かないことだ。お前も薄々気がついてるだろ?」
「・・・うん、まぁ」

自分以外、それもユミルのような聡い者がそう思うということは、やはりイリスにはなにか疑わしいものがあるのだ。
ユミルはもう一度真面目な顔して告げる。

―――佳奈子は後に、それが正しかったことを身を持って知ることになる。

「もう一度だけ忠告しておいてやる。―――イリス・ダナーには近づかないこった」



2014.8.04