カタストロフィーを迎えたエンジェルスキンコーラル
通りがかった自習室の扉が空いていて、何とは無しに気になったエレンは覗いてみた。
そして表情をやや固くした。中に一人ぽつんといたのは、これといった明晰な理由も無いのに
エレンが苦手とする佳奈子の後ろ姿であった。
よく読書や勉強をしているところを見かけるので今もその最中なのだろうと思ったのだが、
少し丸まったその背と、こくりこくりと揺れる頭から察するにどうやら寝ているようだ。
普段なら特に声をかけることもなくエレンはそのまま立ち去るだろう。しかしもうすぐ夕食の時間だ。
このままだと寝過ごして食いっぱぐれてしまうかもしれない。
きっと放って置いてもミカサが、いや必ず彼女を迎えに来るではあろうが、もしもそうならなかった場合
あの時声をかけていればと、ちょっとした罪悪感が残るであろう未来をエレンは予想してしまった。
「・・・」
エレンはしばらく考えたあと、自習室に入り佳奈子に近づいた。起こして、すぐに立ち去ればいい。そう思った。
けれども起こそうと声をかけようとしたその時、頭を垂れている佳奈子の首筋、うなじが顕になった。
うなじは自分たちにとって特別なものだ。憎き、人類を脅かす巨人の、たった一つの弱点。
彼女が巨人であれば今が絶好のチャンスであろう。だが、佳奈子は巨人よりも、エレンよりも小さい人間だった。
佳奈子の寝息と頭が動くに連れてそのうなじが強調されていく。黒髪の間から覗く肌の白いこと。
―――すると、不思議と妙な気分がエレンの中で生まれた。
体の底からすっと登ってくる、熱いような冷たいような高ぶった感情。巨人のうなじを目の前にしたら同じ気分になるのだろうか。
それは今のエレンには分からない。ただ分かるのは、この興奮による衝動を抑えられないことだ。
エレンは抗えず、むしろ任せるように口を開けた。
ちくり。そんな、ちょっとした刺激をうなじに感じた佳奈子は目を覚ます。
思わずうなじに手をやって辺りを見渡すが誰もいない。窓からは夕日が差し込んでいる。
今目覚めてなければ夕飯に間に合わなかったかもしれない(その前にミカサが迎えに来るだろうが)。
佳奈子は背筋を伸ばし、体をほぐしてから椅子から立ち上がる。
虫にでも刺されたのだろうか。そう首筋を気にしながら自習室をあとにした。
「・・・カナコ、これはどうしたの?」
宿舎に戻ってきた佳奈子のうなじを見て、ミカサは顔を険しくさせた。
他の者なら気づかないかもしれないが、短い髪から覗く赤いその跡はミカサの目にすぐさま入ってきた。
「自習室で居眠りしてたら虫に刺されちゃったみたいで。・・・赤くなってる?」
彼女は気にするようにうなじに手をやる。
その痕に触れて欲しくなくて、ミカサは「あまり触らない方がいい」と止めさせた。
「・・・・・他に誰かいた?」
「ううん。誰もいなかったけど・・・」
「そう・・・」
不思議そうな顔をする彼女に何でもないとミカサは首を振る。
―――佳奈子の言う通り確かに"虫"のようだ。可憐な花である佳奈子に虫が、害虫が群がるのも無理はない。
そしてそれらを排除するのがミカサの役割だ。けれどもその前に、佳奈子にもきちんと意識してもらわなければならない。
ミカサは言い聞かせるように佳奈子に詰め寄った。
「カナコ。無防備になっては駄目」
2014.4.27