ソグディアナイトの微笑み
世界が逆さだ。
つかの間の浮遊感の中そんな世界を見ていれば、背中に衝撃が走った。
地面に大の字になった佳奈子は空を仰いで呟く。
「やっぱアニはすごいなあ」
すると、上から溜め息が聞こえてきた。それは佳奈子を空中に放り投げたアニからだ。
「・・・関心してる暇があるなら、もっとマシになるようにすれば?」
「あはは、ごもっともです」
痛い所を指摘されて、佳奈子は思わず笑ってしまう。
最近はこうして空いた時間や、対人格闘の時間はアニに相手をしてもらっている。
非力なのもあるせいか、そもそも才能がないからか、対人格闘の成績が芳しくないのだ。
そこで、誰かに教えを請おうと佳奈子は思い立ったわけで。
まず初めに実技に置いては全てトップであるミカサにお願いすると、もちろん彼女は即答でこれを承諾した。
しかしここで問題が起きた。
単刀直入に言ってしまえば、ミカサは教え方が下手なのだ。
普段からたまに文法がおかしいことはあったが、それが見事に発揮されてしまった。加え、彼女の技術は力がいるものだった。
恵まれた体格と抜群の才能を持ったミカサでこそなし得るその技は、平凡な佳奈子には困難であった。
では、ミカサが駄目となるとお次は次席のエレンかというと、彼には避けられているから却下だ。
出来れば体格が近くて、かつ、佳奈子にも可能な技術を教えてくれる人がいい。
・・・と、ここまで条件を絞ってしまえば、自ずと一人しか出てこない。それが、アニだった。
最初は断られるかなと思ったものの、面倒臭そうな顔しながらもアニは首を縦に振ってくれた。
―――そしてあれから一週間。残念ながら、目に見えた進歩は無い。
アニの教え方は的確だ。けれど、佳奈子がその教えを吸収出来ない。
せっかく時間を割いてまで教えてもらっているのに、申し訳なくなってしまう。
「ごめんね、アニ」
佳奈子は身を起こした。すると、アニが手を差し伸べてくれた。
「謝らないでよ。それじゃぁなんか、あんたも私も損してるみたいだ」
あの無表情のまま彼女は答える。佳奈子が何を謝っているか察しられるアニはとても賢かった。
「・・・アニは損してるでしょ?」
佳奈子はその大きさの変わらない手を借りて立ち上がり、苦笑いを浮かべる。
例え進歩が無い佳奈子でも、この特訓は価値のあるものだ。しかしアニには何の得も無く、ただ時間を浪費しているだけだ。
彼女は暫くの沈黙のあと、口を開いた。
「・・・あんたは筋は悪くない。基本も出来てる。ただ―――」
アニは綺麗な扇状になったその睫毛を見せつけるようにゆっくり瞬きする。そして薄いブルーの瞳を佳奈子へ向けた。
「相手を倒そうっていう意思が弱い。戦意が足りないんだよ」
全く持ってアニの言う通りだ。なんせそういったものとは無縁な世界で佳奈子は生きてきた。
気に食わない者に対して殺意やら敵意やら似た感情を抱くことがあっても、それは心の中での話し。
・・・実際に行動に移してしまう者もいるがほんの一部だ。
柔道や空手をやったことがなければ、人々の間で争いが起こるような衣食住に困った環境で育ったわけではない。
ましてや人類の天敵など存在していない。そしてなによりも、
「うーん、女の子に戦意なんか向けられないしなぁ・・・」
「・・・・・・・・・・・・は?」
たっぷり間を空けてから、アニは怪訝そうな顔で発した。
佳奈子はそんなアニの表情などお構いなしに、困った風にもう一度言う。
「女の子のアニにそんなこと思えないよ」
「・・・その女の子に対人格闘の指導をしてくれって頼んだのに?」
「あ」
自分のちぐはぐな言動に思わず佳奈子は声が出る。
と、アニは珍しく唇を弧にして微かに笑った。
「馬鹿だね、ほんと」
2014.3.12