葬儀屋はハレの日を知らない


 廃走-Haisou-


 五人は顔を見合わせると、無言のまま管理室から飛び出して、階段を駆け下りた。三階から二階、一階、そして最後に地階へ続く階段を跳ぶようにして降りた隊員は、すぐに音の正体を理解する。

「な……んだ、この化物は……」

 支部員の一人が、思わずそう漏らした。
 彼らの目の前に聳えるものは、それ以外形容しようのない、悍ましいものだった。
 遠目には歪な肉塊にしか見えないが、良く見ればそれは様々な生物の部位が乱雑に絡み合っていた。蛇の尾、獣の爪、鳥の翼、は虫類の足……何の動物かもわからない眼球が犇めいているかと思えば、人間の頭部や手足も張り付いている。肉塊の表面に脈動する心臓にも似た器官が飛び出ており、其処から太い管が四方へ伸びて肉塊へと埋め込まれている。
 元が何であったかもわからないそれの、無数の目が、侵入者を捕えた。そのとき。

『――――ヴォアアァアアアアッ!!!』

 獣の咆哮とも、人の慟哭とも知れぬ雄叫びが上がり、対峙する五人の心臓を狂気に震わせた。ゾクリと悪寒が這い上がり、息が上がる。目眩がして、ただでさえ醜悪な目の前の肉塊が歪んで見える。ガンガンと金属を打ち鳴らすような激しい頭痛が脳の内側から響いてきて、胃袋を握り潰さんばかりの吐き気までし始め――――そして、これまで理性で抑えていた狂気が、乱暴に揺さぶられた。
 NOISEの狂気に当てられた際に起きる、急性|《断片化》の症状だ。

「あ……ぁ…………い、やだ……こん、な……おれ、いや……うあぁああっ!!」

 調査隊員の一人が目を見開いたまま尻餅をつき、叫び声を上げて震えだした。その目に正気の光はなく、恐ろしくて仕方が無いのに目が離せない様子でひたすら叫び、震えながら、化物を凝視している。やがて、支給品の制服がじわりと変色し、辺りに異臭が立ちこめた。
 恐怖のあまり失禁したようだが、本人はそれも気付かず硬直したまま震えている。

「……ンだよ、全部ぶち壊せばいいんだろ!? なぁ! さっさと始めようぜ!! ふざけた研究所ごとバラバラにしてやるよ!! 全部! 全部! 全部壊れろ!! ぶっ壊れちまえ!!」

 もう一人の隊員も、血走った目で化物を見つめ、口角を歪につり上げて叫んだ。と同時に、体内に仕込んでいた武器を展開し、防御もなにも考えていない乱雑な軌道で突っ込むと大ぶりで斬りかかった。
 辺りに雷鳴のような音が轟き、電撃が破裂する。斬りつけた瞬間、ずるりと皮膚が殺げ落ち、内部組織が露わになった。ただでさえ醜悪な肉塊が鮮やかな肉色になったことで嫌悪感を弥増した。

『ガァアアアッ!!』

 ただの切り傷にしか見えない器官から、どの動物のものかもわからない枯れた叫び声があがる。削ぎ落とされた部位がべちゃりと醜い音を立てて床に落ちるが、肉塊の一部が触手のように伸びてそれを引き寄せ、別の穴から吸い込んでいく。
 切り落とされたものを取り込んだのだから、プラスにもマイナスにもならないはずなのに、肉塊はどくりと脈打つと、何故か一回り大きくなった。
 狂乱状態に陥らなかった三人は、あまりの恐怖で動けなくなっている一人を壁際に下がらせると、体勢を立て直して化物と向き合った。向かっていった一人は、どれが敵かもわかっていない様子で設備も化物も無差別に斬りかかっている。切傷が出来る度に叫び声が増え、重なり、声量が増していく。
 獣の声、人の声、機械越しに怒鳴っているかの如くにノイズ掛かった不明瞭な声、声というよりは音と表現すべき、サイレンじみた騒音。それらが、隊員たちの鼓膜を容赦なく殴りつける。

「っ、し、支部長……アイツ、カイ先輩が壊した備品も喰らって……喰った設備が、さっき、体の一部みたいに、あそこ……」

 エンジェルの少年が指した先には、先ほどまで赤黒い肉片が張り付いていた箇所に飛び出た、機材の一部があった。
 無機物も生き物もお構いなしに吸収し、自らの一部とするあれは、まさしく化物と呼ぶに相応しい。
 悍ましいことに、あれは傷つける度に周囲のものを取り込んで、ぶくぶくと肥大化していた。

「これ以上喰わせたら拙い。一気にたたみ掛けるぞ」
「了解!」

 支部長が絶対領域を展開し、先行して戦っているカイと、残るエンジェルの二人に支援を送る。感覚が冴え渡り、狂気を揺さぶられたことで微かに震えていた指先が、ふっと鎮まった。白い光を指先に収束させて小さな矢を作ると、化物の上部で心臓のように脈動している赤黒い器官を狙って放った。
 光の矢が肉塊を貫くと、一拍の間を置いて血が噴き出し、天井を赤く塗り潰した。

『ギャアアアァッ!! アァ! がぁあっ! いだぁああいぎあああぁぁあ!!』

 無数の傷口がそれぞれ叫び声を上げ、のたうち回る。三階で聞いたのと同じ不快な音が響き、この場にいる者の肺を衝撃で以て震わせた。
 先ほど撃ち抜いた傷口もまた、脈動して血を噴き出しながら、ごぼごぼとこもった叫び声を漏らしている。何故かダメージを与えれば与えるほどに、あの怪物は無数に発声器官を得る。その中には言語じみた音も混じっていたが、誰もが気付かぬふりをしていた。
 もう一人も、落ちていた瓦礫を拾うと手の中で爆弾を生成し、好き勝手暴れ回っているカイとは別方向から化物に近付いた。
 訓練生からエンジェル隊員になったばかりでこんな化物と対峙することになるとは思わなかったが、現場に来てまで見習い気分でいたら死ぬのは自分だ。

「ちまちま削ってたらだめだ……早く仕留めないと……!」

 ひどい頭痛が鳴り響く。近付くと尚更にうるさい。嗚呼、五月蠅い。煩い。こんな醜悪な化物は、この世にいてはならない。精神力で無理矢理抑え込んでいる狂気が、溢れそうになる。
 嗚呼、忌々しい。煩い。煩い。煩い。――――殺せば、静かになるだろうか。
 視界が白く染まる。一瞬、全ての音が消える。自らの心音すらも遠い世界で、生成した爆弾に力を込め、更に強化した。

「さっさとくたばれ!!」

 口のような器官に爆弾を投げ込むと、即座に跳ね退いた。
 触れれば取り込まれるだろうと思い、無理にねじ込むことはしなかったが、瞬時に伸びてきた触手を見るに正解だったようだ。
 直後、化物の内部から大爆発が起こり、激しい爆音を上げながら周囲に血と肉片と機材の破片が飛び散った。びちゃびちゃと不快な音を立てて室内に細かい肉片が降り注ぐ。

「これだけ、やれば……」

 バラバラに飛び散り収束しなくなったのを確かめて息を吐く。飛び散った肉片は、もうピクリとも動かない。計器を見ても、生体反応は此処にいる五人分だけと示している。

「終わったか……」

 恐慌状態だった一人がどうにか立てるようになり、暴走状態だった隊員も討つべき標的が消えて落ち着きを取り戻したときだった。

「なんだ……?」

 不意に、建物が揺れた。
 地震かと過ぎるが、すぐにそれが楽観過ぎる予測だと気付く。
 壁面に、床に、天井に、見覚えのある器官が次々に発生し始めたのだ。

「そんな……倒したはずじゃ……!」
「し、支部長!」
「っ、走れ!!」

 支部長が叫ぶや全員が一斉に走り出す。階段を駆け上がり、来た道を駆け抜けて。出口を目指して、脇目も振らずに駆けていく。受付があった場所が見えてきたとき、再び建物が大きく揺れた。

「うわあっ!?」

 最後尾を走っていた隊員が揺れに足を取られて転倒した。が、何故か痛みがない。やわらかいクッションの上に倒れたような感触に訝りながら、ぶよぶよと弾力のある手をついて立とうとするも、なま温かいナニカに包まれて力が入らなかった。
 見たくないのに、知りたくないのに、目が勝手に確かめようと動く。

「ヒッ……!」

 床についた手が、肉色の地面にずぶずぶと飲み込まれていた。彼の周囲が重点的に変化し始め、瞬く間に巨大な生き物の内臓にでも入り込んだかのような異様な光景に変わっていく。

「た、すけ……」

 泣きそうになりながら顔を上げ、前を行く背に手を伸ばすが、天井から垂れ下がる幾筋もの肉の滝に阻まれて、咄嗟に駆け戻ったエンジェル隊員の手は届かなかった。
 それどころか、伸ばした手まで垂れ下がる肉色の糸に絡みつかれて、飲み込まれていく。

「……ッ、すみません……!」

 助けに戻ったエンジェル隊員は咄嗟に手を引き、踵を返して走り出した。目の前にいるのに、手を伸ばせば届く距離にいるのに、彼らは自らの脱出を優先した。
 玄関扉を越えて外へと出て行く後ろ姿を絶望の眼差しで見つめながら、逃げ遅れた一人の隊員は、大きく傾いで生きたまま建物の内部へと吸収されていった。

「カイ先輩! 腕を切り落としてください!」

 外に飛び出すなり、とんでもないことを叫んだエンジェル隊員に、カイと呼ばれた青年は一瞬面食らった。だが、叫んだエンジェル隊員の手首に蠢く肉色の組織があることに気付き、反射的に内蔵武器を展開。肩から先を大型のナイフで切り落として、その腕をビルの入口へと放り投げた。

「ぐっ……す、すみません、助かりました……」
「アイツは……ガレスは?」

 腕の止血を試みながら支部長が訊ねる。エンジェル隊員は黙って首を横に振った。
 飛び出してきたエンジェル隊員の状態を見れば救助は無謀だったとわかるだけに、悔しくてならない。恐らく、誰が傍にいても彼の救助は出来なかっただろう。
 共倒れか、見捨てて逃げるか。それしかなかった。

「マジかよ……支部長、生体反応は確かに消えてたんだろ?」
「ああ。計器の故障でもなければ、確かに我々五人のみとの表示だった」

 いま改めて見ても、生体反応は部隊員の人数と同じ、五人分だと表示されている。

「こんなの、どうしろって……」

 どうにか脱出出来た四人は、悍ましい肉の塊と化した建物を、暫し呆然と見上げていた。低い音を立てて脈動し、三階建ての建物全てが化物の体と化したそれを彼らの力だけで倒すことは、最早不可能だった。

「……下手に攻撃をすれば周辺の建物も巻き込んでしまう。廃ビルばかりとはいえ、なにがあるかわからない……こうなれば……」

 支部長は端末を取り出すと、ある要請を対策本部に送った。

「増援ですか、支部長?」

 こんなものをどうにか出来る人員なんていたのかという思いも込めて、エンジェル隊員が問う。

「……いや、呼んだのは葬儀屋だよ」
「葬儀屋、ですか?」

 耳慣れない言葉にエンジェルが首を傾げる傍らで、支部長は沈痛な面持ちで異形と化した建物を見上げる。
 壁面に浮かぶ内蔵や血管、割れた窓から覗く内部機関は鮮やかな肉色で、ぬめりを帯びて力強く脈動している。新たな生を、命を謳歌するように。肺に響く重低音は、まるで産声のよう。生命の冒涜としか思えない化物はしかし、この場にいる誰よりも生の歓喜に震えていた。
 その拍動は、逃げ出した四人を呼んでいるかのようだ。

「ああ。このどうしようもない事態をも葬る、管理局上層直属の、地下部隊だよ」

 ただ見守ることしか出来ずにいる四人の元に、第三者の足音が近付いてきていた。



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