花屋街の守人


▼ 六花と辻神


 六花の仕事は、普段は然程多くない。
 全国を気ままに飛び回り、怪異が起きていれば解決し、花屋に報告を済ませたら旅先の宿で眠る。各地の景色や催し物を眺めて歩く余裕があるときが殆どで、忙しなく駆け回ることのほうが稀だった。

 彼が現れるまでは。


「此処ですね……はぁ……立派な大店なのですから、ケチらなくても良いでしょうに」

 新月一歩手前の暗い暗い夜、誰が見ても周辺で一・二を争う大店の屋根でひとり呟く。
 この呉服屋の若旦那が、今回の賃金回収任務の対象なのだが、彼は決して金が惜しくて逃げたのではない。
 幾度となく『彼』と関わっている六花にはその理由も何となく理解出来たが、とはいえ六花自身は逃げ出したいほどの苦手意識はないため、やはり納得は出来なかった。

「花屋の規則です、参りましょう」

 主人の憂鬱を案じるかのように揺れる羽衣をそっと撫で、六花は陽炎のように宵空から姿を消した。


 ―――*月**日
    占術代**両。確かに頂戴いたしました。

    花屋代理 六花


 翌朝、呉服屋の若旦那が裏庭で隠れて手紙らしきものを燃やしている様が従業員に目撃されたとか。


 * * *


「回収、してきましたよ」

 辻占屋の目の前にふわりと降り立った六花を、いつもの食えない笑みが出迎えた。
 多忙の原因である『彼』は、花屋街の住民でありながらも、主に現世の四辻で辻占屋を営む辻神で、名を|朱華《はねず》という。元は怪異であったのが転じた存在である。
 ボサボサの長い灰髪と、昏い金色の瞳、ニヤニヤとした笑みを張り付けた口元からは、鰐のように鋭く尖った歯が覗く。顔色も死人の如き白灰色で目の隈もひどく、手指などは老翁のように節くれ立っている。
 妖に人間と同じ美醜の基準はないとはいえ、それでもさすがは元怪異。風貌だけで得も言われぬ不信感を覚える有様である。

「いやあ、申し訳ねえですなあ」
「申し訳ないと思うなら逃がさないでください。此方、今回の分です」
「はいはい、確かに」

 手触りの良い和紙の封筒を受け取り、開けて確かめるでもなく懐へしまうのを見届けた六花が用は済んだとばかりに踵を返すと、

「ちょいとお待ちなせえ」

 鷹揚な声が呼び止めた。
 嫌な予感と共に振り返る六花の目に映るのは、いつもの笑み。

「いつものお礼に、タダで占ってやりましょ」

 どういう風の吹き回しか。彼は大金を積んでも気に入らない客には決して占わず、仮に占う気を起こしてもただ働きなど絶対しない主義であったはずなのに。

「お礼に対価は求めやせんて」

 笑いながら、朱華がちょいちょいと指先で招く。呼ばれるままに、普段客が立つ位置に六花が立つと、満足げに笑みが深まった。
 三十センチばかり身長差があるせいで、思い切り朱華を見上げる格好で佇む六花を暫し見つめていたかと思うと、ニィと朱華の目が三日月形に細められた。

「嗚呼、お前様、今宵は面白いものを拾う。骨は折れやがりますがねえ。仕事はちゃんとやったほうが……いいものを見れますぜぇ」
「面白いもの、ですか……」

 彼は、具体的に語ったほうが面白いときはそのように話すが、伏せていたほうが面白いときは決して口を割らない。今回は、どうやら後者のようであるので、六花は取り敢えずそれらしいものがあれば言われた通りにしてみようと心に留め置き、ぺこりと一礼した。

「では、失礼しますね」
「また明日、世話になるでしょうがねぇ」
「ふ、不吉なことを言わないでください!」

 逃げるようにして飛び去った背中を見送る朱華の顔は、最後まで変わらず楽しげなままだった。



* * *



「―――……仕事って、こういうことでしたか」


 すっかり陽が落ちた帰路の最中。
 突然死角から飛んできた黒い影を羽衣が防いだことで、六花は敵襲を察した。
 初撃を阻まれ低く唸るソレを、距離をとったまま視認する。見える魂は九十九ばかり。それら全てが、拙い術式で縛られており、どれもまともな使い方がされていないと一目でわかる有様だった。

「なんとまあ、勿体ないことで……」

 襲撃者は、双頭の狼。
 黒い霧に覆われたような姿をしていて、攻撃性が前面に表れている。
 新月に加え、辺りは木々に覆われていて視界が悪く、人間の目には伸ばした自身の手の先さえも見えない闇の中、六花は袖で包まれた手で口元を隠し、淡く微笑んで見せた。

「可愛い式神さんですね。あなたにはとても勿体ない、いい子です」

 羽衣がはらりと解け、無数の札に姿を変える。無地の抹茶色だった羽衣は緋色の札に、そして全ての札に暗い金色の文字が浮かび上がる。
 円を描く札に囲まれたまま、六花は鋭い眼差しを暗がりの奥へ向けた。

「……ふむ。なるほど、貴方は『弁慶』さんですか。人の身でありながらよくぞそれほど集めましたね」

 弁慶。物欲に囚われ堕ちた怪の総称。
 一つ、六花の声に応えるように鈴が鳴った。同時に、闇の一角から動揺が伝わる。
 それらを肯定と捉え、六花は自身を取り巻く札の一部を闇の奥へと投げるが、真っ直ぐ飛んだ札の軌道に無理矢理引っ張られたような動きで式神が飛び込み、札を体で防いだ。……いや、防がされた。

『ぎゃんっ!!』

 痛々しい鳴き声が六花の心を抉る。

「非道いことをする」

 式神にも意思はある。
 それを不完全な術で押さえつけて操っているせいで、姿形までもが不安定で影のようになってしまっている。離れていてなお、彼らの精神が軋む音が聞こえそうなほどの抵抗を六花は肌で感じていた。

「式神や付喪神を集めるだけ集めて、ろくに使いこなせもしない弁慶のなり損ないには、即刻ご退場願います!」
「くっ……! 行け! 殺せ!!」

 獣の吠える声と共に影が膨張し、双頭の牙が六花の肩に突き立てられる。

 ―――が、六花は一歩も下がることなく左手を前に翳した。
 右手は優しく式神の頭を撫でている。

『珠の緒よ 絶えねば絶えね』

 六花の唇が、謌を紡ぐ。
 全ての札が六花の周囲から飛び去り、闇の奥へ姿を消したかと思うと、弁慶を取り囲む武器や式神をすり抜けて弁慶の体に張り付いた。

「―――……!!」

 断末魔すらあげさせず一寸の隙間もなく札で覆い尽くして元凶である怪を浄化すると、良く通る高い遠吠えを残して、六花に喰らいついていた陰の式神も夜に溶けるようにして消えた。
 遠くでは弁慶が集めていた武器や式神の依り代がバラバラと地に落ち、酷使させられていた体を横たえている。

「はぁ……何とか終わりました……」

 翳したままの左手に札が集まり、再び元の羽衣の形へと戻る。数多の武器や小物たちも気になるが、なにより気がかりなのは一番理不尽な扱いを受けていたであろう双頭の狼。
 最後の遠吠えの、悲しげでありながらどこか安堵したような優しい声が耳に焼き付いて剥がれない。

「痛い思いをさせてしまいましたけれど、応えてもらえますでしょうか……」

 しゅる、と、羽衣が六花を中心に円を描く。
 宙を踊る指先が印を描き、最後の一筆を結び切ると淡い光を放ち始めた。

『天つ風 雲の通ひ路吹きとぢよ 吾子の似姿しばしとどめむ―――我が音に応え、降り来り候え!』

 人の声とは思えない幾重にも重なる音の波紋が木々に反響し、葉を震わせる。風が駆け抜けて、六花の髪と振袖を大きく舞い上がらせたかと思うと、高く澄んだ遠吠えが六花に降り注いだ。

「おや」

 風が止み印が収束したとき、六花の前に現れたのは黒い双頭の狼ではなかった。
 よく似た姿の、けれど所々が鏡写しのように違う、獣耳を頭上に揺らした二人の青年が足元に跪いていた。

「お名前を、頂けますか」
「霰」
「霙と申します」
「私の名は六花。……霰、霙、お顔を上げてください」

 面差しもよく似ているが、やはり鏡写しの箇所がある。

「……応えてくれてありがとう。これからは私があなたたちの主です。どうか、傍にいてくださいね」

 確と頷いた霰と霙に、六花は優しく微笑み返した。




 * * *




「―――こちら、今回の回収分です」

 翌日。
 予言通り、本当に再度回収任務に駆り出され、会いに来た六花を出迎えた朱華の顔は、いつにも増して楽しそうに見えた。
 六花の主観が大いに反映されていなければ、の話ではあるけれど。

 以前の術者、怪の弁慶は未熟であったために、黒く形の不安定な双頭狼の姿で振り回すことしか出来ていなかったが、改めて六花が喚んだふたりは、それは綺麗な白い毛並みの双子の狼として顕現した。普段はいまのように手のひらにも乗る大きさの狼の形をとって六花の両肩に鎮座している。その様は、最早ぬいぐるみも同然である。
 しかし手乗りの子犬と甘く見て喧嘩を売ろうものなら、想像の万倍はひどい目に遭うと今日の取り立て先が証明してくれている。
 ケチな妖だから良かったが――座敷を血塗れにしたことはともかく――今回の取り立て先が人間だったら死んでいたと、六花は疲れの滲んだ顔で嘆息した。

 弁慶討伐のあと、六花だけでは回収しきれないために駕籠屋を呼んだのだが、駕籠屋は地面に散らばる付喪神や式神の山を見て、あからさまに引いていた。なにせ、九十九もの壊れた器物や札や管狐の管や人形が、不法投棄所もかくやと言わんばかりに積み重なっているのだ。
 辻神の占いでは此処までのことは言われていなかったと伝えると、それはそれは同情の眼差しで見られたものだった。

「いやあ、毎度申し訳ねえですねえ」

 受け取った朱華の目線が、六花の左右の肩をゆるりと行き来してにんまり細められる。

「ああ、やっぱり面白いもんを拾いやがりましたねえ」
「……ええ、まあ、お陰さまで」

 六花の疲れた声を察した霰と霙が、威嚇するように低く唸った。

「随分と懐かれていやがりますねえ。僥倖、僥倖」

 それすら可笑しそうに、辻神が笑う。
 気儘な一人旅に、初めて伴が出来た。新たな出逢いと、小さな変化が、六花の日常へと変わった一日であった。



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