▼ 冬色チョコレート
【冬色チョコレート】
調査のために街へ出て、ふといつも見る街並みと違うことに気付く。
どの店もやけにピンク色やハートの装飾に塗れており、チョコレートを前面に押し出しているのだ。
不思議に思い、店先に立ち並ぶ幟を見て、漸く思い至った。
「バレンタイン……」
気付いた途端、近くのスーパーから漏れ出る呼び込み音声が耳に届いた。
『二月十四日はバレンタイン! 大切な人へ想いを伝えよう!』
録音されたノイズ交じりの女声がやけに明るいテンションで訴えている。言われるまでそれと気付かないような、世間の移り変わりに疎い真白にも、感謝の念くらいはある。だからといって、贈り物にチョコレートを選ぶかは別だ。
「……まあ、いいか」
道端で暫し考え込み、結局スーパーは通り過ぎた。
まずは仕事を済ませなければと思考が切り替わったのもあるが、ハートにまみれた可愛らしいラッピングがされたチョコレートを持ってレジに並ぶ自分が一ミリも想像出来なかったのが一番の要因である。
「次は、駅向こうのアパートか。早めに済ませよう」
小さく呟き、真白(ましろ)は雑踏に紛れて街中を行く。
調査をしていくうちにバレンタインのことはすっかり忘れ、日暮れと共に冬辻探偵事務所へと戻ったときには頭の片隅にすら残っていなかったのだが。
「お帰りなさい、真白さん。良かったらどうぞ」
「雪永さん、それは……?」
真白を出迎えた雪永が、ピンク色の包装紙に包まれた小さな箱を差し出してきた。
斜めに紅いサテンのリボンが巻かれた彩度の高い派手なピンクの箱は、目に眩しく毒々しささえ感じられる。ハートのプリントが可愛らしさを演出しているが、しかしどうにも圧が強い。
「先ほど買い出しに出ましたら、店先にて可愛らしいチョコレートがたくさん売っていたんです。どうやら世間はバレンタインのようでして。折角なので、真白さんに」
「……ありがとう」
再度、どうぞと言われて受け取れば、雪永のうれしそうな笑みが更に深まる。
ソファに腰掛けると帰りを予測して作っていたらしく、出来たてのホットココアがテーブルに置かれた。
いつものようにカップへ手を伸ばし、口をつけようとした瞬間、その手がピタリと止まる。
どういう心境か、ココアの上にハート型のホイップアートが乗っていたのだ。
「雪永さん?」
「ふふふ。面白いでしょう? 真白さんは、仕事上がりに甘いものを召し上がるのがお好きですから、ホイップクリームを載せたら喜んでくださるかとと思ったんです」
「それはそうだが、別にハートじゃなくても」
雪永は相変わらずうれしそうに微笑んでいる。
抑も、血縁はないとはいえ叔父と姪という関係性で、此処までハートに塗れた贈り物をするのはどうなのか。
当の雪永に全く他意がないことはわかっている。真白もこの程度で勘違いするほど色恋に敏感な少女ではないし、抑も彼に対して抱いている感情は恩義であって決して恋慕ではない。
「でも、可愛くないですか?」
「…………雪永さんの趣味はわからん」
否定はしないが、肯定も出来かねる。
そんな真白の反応さえ想定内であるかのように、雪永は楽しそうにしている。
「ホワイトデーのお返し、期待していますね」
「勝手に送りつけておいて、お返しを要求するのか」
「ええ。実は、愛用していたループタイが壊れてしまいまして」
ほら。と言って、雪永は琥珀のネクタイ留めだったものと、最早ただの紐と化したネクタイを掲げて見せた。確かにその紐は、彼が特に気に入ってつけていたものだと真白も記憶している。琥珀の端が欠けてしまい、ネクタイを止められなくなっているようだ。
真白がこの事務所に来て、初めての冬。彼の誕生日に、日頃の感謝の印だと言って送ったものだ。
「次も、折角ですから真白さんから頂きたいんです。このささやかで可愛い叔父心を叶えて頂けませんか」
「自分で言うな」
呆れて笑いながら、ココアを啜る。
言われずとも、誕生日にはまたなにか送るつもりでいたというのに。
彼はいつだって、こうして真白に動機を与えるのだ。
「このネクタイを売っていたブランドが、ホワイトデーの直前に新商品を出すことは調査済みですので。店頭に並んだら買ってきてください。ああ、領収書もお忘れ無くお持ちくださいね」
「雪永さん。それは贈り物じゃなく買い出しと言うんだ」
笑って誤魔化す雪永の表情から、相変わらず内心を読むことは難しい。
きっと彼は、来月の今頃に真白が同じネクタイをプレゼントすることも、それから「うっかり」店で領収書をもらい忘れることもお見通しなのだろう。彼の想定通りに動くことに、何の異議も抵抗もない。昔から敵わなかった。それに一切の悔しささえ抱けないほどに。
憧憬を抱きこそすれ、それが恋情になることはあり得ない。何故なら、彼に対するなにもかもが真白には『かなわない』から。
箱から取り出して口に放り込んだチョコレートは、ホイップ入りのココアより甘く感じた。