【flavor】
昨夜の激しい行為の所為で鉛のように重い腰をゆっくりと自分の椅子へ下ろせば、鈍い痛みにも似た痺れが身体の内側からじわりじわりと広がった。その原因を作った佐伯の横顔をちらりと見遣れば、こちらの視線に気付いた彼が一瞬の間を置いてからにやりと口端を持ち上げて。無駄に長い足を優雅に動かして私の横に来ると、底意地の悪い厭らしい笑みを浮かべて静かに一言。
「辛そうですね」
オフィスの中には私と佐伯の二人しか居ないというのに、私にだけ聞かせるような声で囁かれた言葉に眉尻が上がる。わかっているくせにぬけぬけとそう言ってのける七つも年下の男の楽しそうな顔は、いつものことながら忌ま忌ましいことこの上無い。
戯れるようにこちらに伸ばされた彼の手を掴んでぐいと引き寄せれば、不意を突かれてバランスを崩した佐伯が胸元に倒れ込んでくるのを空いた方の腕でがっちりとホールドして。
「お蔭様で」
たっぷりと皮肉を込めて言いながら生意気な男の頬を摘み上げると、何を思ったのか佐伯は幼い子供のように嬉しそうに微笑んだ。
そんな顔を向けられたらこれ以上何も言えなくなってしまうではないか、なんて言うこともできず。一つ小さく溜息を吐いてから乱れた髪を指先で梳いてやれば、不意にその手を取られそのまま薬指の付け根に恭しく唇を落とされた。
「……まったく、君という男は…」
見栄っ張りなくせに大人びていたり、かと思えば妙に子供っぽいところがあったり、そのくせ飽くまでポーカーフェイスを気取っている…こんなに忙しない奴は今まで見てきた中でも、きっとこれからも彼が最初で最後だろう。また、それでもいいなと思っているのだから仕様が無い。
「それで、俺へのバレンタインのチョコはちゃんと用意してるんでしょう?」
可愛らしく小首を傾げて上目遣いで見詰める青い瞳が星を散らしたようにキラキラと瞬く。成る程、普段寝起きのよろしくない佐伯が今朝は起きてからずっと機嫌が良かった理由はそこか。
言うまでも無くバレンタインにと準備したチョコレートは持って来ているし、それを藤田や他の社員達が出社してくる前には渡してやろうと考えてはいたが、流石に佐伯の方からこんな風に強請られるとは思わなかった。
心地好い驚きを噛み締めて鞄の中に入れてある小さな箱を取り出そうとした手をふと止めて考える。つるりとした包装紙とサテンのリボンを指の腹で撫でてその感触を味わいながら思い出すのは昨夜のこと。
また何の前触れも無く盛り出した佐伯の激しく繊細な愛撫を全身で受けつつも、ギリギリで保っていた理性を総動員させて制止の言葉を吐き出した。しかしこの男は微塵も聞く耳を持たず、むしろ獰猛さに拍車が掛かり結局は更にヒートアップしたケダモノに頭の先から足の先まで文字通り貪り尽くされてしまった。月曜日の朝から重い体を引き摺って会社に顔を出すなんて御免だったから止めたのに…流された私も同罪なのだろうが、やはり何かお返しの一つでもしてやらなければ気が収まらない。
さてどうしてやろうかと思考を巡らせ、抑え切れず上がる唇を誤魔化すように彼の耳の裏へと滑らせるように押し付けて。
「まだ食べるんじゃないぞ?仕事が終わってから私が食べさせてやるからな」
意識して低く甘い声色を出しながら佐伯の手の中に綺麗にラッピングされたチョコレートを収めてやる。言葉の意味を理解した佐伯の赤く染まっていく耳先に満足して腕の檻から解放してやれば、僅かに欲情の光を宿した双眸を縁取る長い睫毛がふるりと震えてから蝶の羽のように数回ゆっくりと閃いた。
「全部、食べさせてくれるんですか?」
緩やかに零れ落ちる煽情を孕んだ音の波が鼓膜を揺さ振り背骨を抜けていく。危うく佐伯の纏う濃厚な空気に流されそうになるのを堪え、主人が飼い犬に「待て」をするように持ち上げた右手の平を彼の眼前に翳して。
「残したら、お仕置きだ」
わざと挑発するような言葉を選んでやれば、事実上の“おあずけ”を食らった佐伯は少しだけ不満そうな目を向けてからすぐに平素の自信に満ちた笑みをその顔に貼り付けた。
出会ったばかりの頃と比べたら随分コロコロと表情が変わるようになったものだ。まるで自分が世界の中心だとでも言うような憎たらしい顔をしているというのに、それがどうしようもなく愛しくて堪らない。私も相当絆されてしまったらしい。
「お手柔らかに」
言いながら背中を向けた彼の細められた瞳に滲む淡い煌めきはどこまでも貪欲で果てしない。じっくりと煮詰められた空間の中、空調の風に運ばれた佐伯愛用のフレグランスの香りがドロドロに溶けたチョコレートのように甘ったるく感じた。
END.
20110214
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バレンタイン用に書いたもの。攻めたがりで大人な御堂さんと生意気で子供っぽい佐伯が好き。そんなメガミドが書きたかったが無理でした。